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390 断末魔の叫び


 足の怪我はまだ酷いものの、バートの呼吸が戻った事で冒険者や避難していた住民たちの張り詰めていた空気が一瞬で安堵の色に変わる。

 そして、花を咲かせながらなぜか狼狽えているトレントの姿に笑みを浮かべる者もいた。

 

《 ……ふぅ。さて、情けないところを見せてしまったが…… 》


 そう言って、トレントの窪んだ大きな目がハルトを捉えた。

 大きく枝をしならせたその大木(たいぼく)に、皆の視線が集まる。


《 私たちの声が聞こえているようだが…… 》

「……はい。おはなししてるの、きこえます」


 ハルト以外、誰もトレントたちの言葉は理解できない。

 だが、ハルトが真剣な声色で答えた事。それに理解を示したように頷くトレントの様子を見て、周囲にざわめきが起き始める。


《 外は随分と騒がしいようだが…… 》

「はい。……そとは、まものが、たくさんいます。おうちがやけて、みんな、けがして、こまってます」

《 あぁ……! それは大変だ……!》


 トレントは悲壮感たっぷりに口を下げ、さも心配そうにハルトを見つめる。

 そして、思い付いたように満面の笑みを浮かべた。


《 ……そうだ! どうだろう? 怪我をしている者もいるようだし、外は危険だ。……皆一緒に、(ここ)で暮らしてみては……? 》

「もりで……?」

《 あぁ! 良い提案だと思うのだが…… 》


 にこにこと笑顔を浮かべる長老と呼ばれるトレントの提案に、ハルトは迷いもせず首をふるふると横に振る。


「ぼく、そとにいきます……!」


 落とさないよう服の中に入れていた聖灯石をぎゅっと握り、ハルトは唇を噛み締めた。

 その傍らには、何度も住民たちを妖精の森へと避難させていたセバスチャンと、肩には妖精のリュカが寄り添うように飛んでいる。

 そしていつの間にか、息を切らして休んでいたはずの黒い狼も、ハルトの傍でどしりと腰を下ろしてトレントを見つめていた。


「そとにいって、おにぃちゃんたちを、さがさなきゃ……!」


 虚勢でも何でもなく、ハルトの目には強い意志が感じられた。

 それを見て、トレントはまた大きく笑い声を上げる。


《 それは残念だ! 答えを間違えれば養分(しょくじ)にできたものを! 》


 そう言って、トレントは大きく顔を歪ませ笑い出した。その大きなうねりと共に、次々と森の木々たちが共鳴する。

 まるで谷底から誰かが叫ぶように、渦巻くような低く不気味な音が周囲に響いた。

 その異様な光景に、ハルトの後ろにいた冒険者たちの顔色が変わる。トレントたちに気付かれないよう、そっと武器に手を置くが、それを嘲笑うかのように次々と枝が伸びその手に絡めて遊び始めた。

 住民たちはただ黙って見ている事しかできず、大変な場所に来てしまったと内心後悔する者も現れ始めた。


《 ハッハッハ! この小さき者に感謝せよ! 》


 長老がそう叫ぶと、無数に伸びた枝々が遊んでいた武器を無造作に放り投げ、次々と絡み合いながらアーチを作り始める。


《 こんなに退屈しないのはいつ振りだろう! 礼に一つだけ手伝ってあげよう 》

「おれい、ですか? ぼく、なにも、してないです」


 きょとんと首を傾げるハルトに、また楽しそうに目を細めた。


《 いぃや! 言葉を交わせる事がこんなに心が躍るなんて知らなかった! その礼だ! 》

《 ……ハルト、有り難く受け取っておけ 》

《 そうだよ~! ちょうろうさま、たのしそう! 》


 セバスチャンとリュカの助言に、ハルトは目をパチクリさせる。


「……じゃあ、おれい? もらいます」

《 そうだ! 素直でよろしい! 》


 ハルトの言葉を聞き、長老と呼ばれるトレントが大きく息を吸った。



《 我が同胞たちよ!! 道を開け──ッ!! 》



 それに共鳴するように、再び森全体から低い音が風と共にうねりを上げて響いてくる。

 淡く神秘的な緑の光がアーチを覆い、その奥が外の世界と繋がった。


 だが森の入り口が開いた瞬間、大きな塊が飛びかかってきた。

 咄嗟のことに動けない者が多数。ハルトの前に立ち、庇おうとする者多数。悲鳴を上げ、身を伏した者多数。

 寸でのところでその塊を幾数もの枝がギチギチと絡み付き、動きを最小限に押さえていた。


 突如として現れた獅子の体に、蠍のような尾。そして老人のような人面を持ったその魔物。

 左目に矢を刺し、涎を垂らしながら狂ったようにハルトに向かって唸り声を上げる醜いその化け物に、その場にいた者は全員、言葉を無くした。


「なんだコイツ……!?」

「言葉を話してる……!?」


 初めて見るその魔物に、得体の知れない恐怖を抱いた者は少なくない。

 人語を離す魔物など、見た事も無かったからだ。

 そこに、子ども特有のあどけなさを残した声が静かに響いた。



「まんてぃこあ、っていう、()()()()です」



「これが、ばーとさんを……!」



 マンティコアが飛び込んできた瞬間、自身を庇ってくれたセバスチャンと黒い狼。

 その前に立ち、弓を手にしたハルトの姿。

 その目には、何かを決意したように強い意志が宿っていた。


《 さぁ、小さき者よ。よく見ておいで 》


 長老の声が、ハルトの頭上から優しく降ってくる。


《 ──狙うは、喉奥の魔石 》


 耳障りな唸り声を上げ、その憎悪に満ちた目がハルトを目に留めた途端、激しく暴れ始めた。

 だがそれにも動じず、長老の声を聞き、静かにマンティコアの真正面に立つと、その醜い顔が涎を垂らしながらニタリと嗤った。

 耳元で、ギリリと弓がしなる音がする。

 トレントたちが押さえているとはいえ、マンティコアの大きな口がガチガチと音を鳴らしながらこちらに迫ってくるのが見えた。その尾に含む毒を受けたのか、巨体を縛り付けていた枝がどろりと黒く変色し朽ちていく。

 一枝、また一枝。朽ち果てる度に新しい枝がしゅるりと巻き付き動きを止めようとするが、ハルトとマンティコアのその距離は徐々に縮まっていく。

 エイダンやドリューたちが脇を固めるが、その血走った目にはハルトしか映っていないようだった。

 ガチガチと歯を噛み鳴らす音が激しくなっていく。


「く、 ク ぅ、 グ ぐわ ゼ ロォ、 オ」


 悍ましい程の鳴き声に耐え切れなくなった住民が、一人、また一人と意識を失い倒れていく。

 その醜い顔面を歪ませて、マンティコアは地面に鋭い爪を突き立てながら、なりふり構わず這ってくる。

 もうその血走った眼には、己を射った憎らしい子どもしか映っていない。

 絶対にその肉を喰らってやる。

 それだけがマンティコアの頭の中を支配しているようだった。


「──おい……!! まだ手を出せねぇのか!?」

「このままじゃヤバいですよ!!」

「リーダー……!」


 ドリューたち冒険者が、武器を握り締めながら焦ったようにエイダンに問い質す。



「……このままだ」



 その声に、ドリューたちが勢いよく振り返った。


「……このまま、手を……、出すな……!」


 いまだ地面に伏したままのバートが、弱々しく答える。

 血の気を失いながらもその必死な表情に、武器を構えるドリューたちも奥歯を噛み締めながら武器を構え直す事しかできない。



《 さぁ、最後の仕上げだ 》



《 よぉく見て、狙いなさい 》



 長老が枝を伸ばし、優しくその矢の狙いをハルトに示した。

 首元に結んだリボンが、微かに光を帯びる。

 


「……ぼく、おこってます」



 眩い光を纏った矢が、少しのブレもなくマンティコアの口へと放たれた。

 音もなく、それはただ静かに()に向かって真っ直ぐ線を描く。


 それは瞬きをした一瞬の出来事。

 それと同時に、マンティコアの絶叫が森の奥深くへと響き渡った。



今日でこの物語を投稿してから丸5年が経ちました。

いつも応援してくれる皆さま、本当にありがとうございます。

これからもこの物語を楽しんでいただけますように。

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