389 季節外れの花
《 ちょうろうさまっ!! はやくしめて──っ!! 》
狼が大きな菩提樹へと向かって駆け抜けると同時に、リュカが大声で叫んだ。
森の入り口が完全に開き切る前に、その木の枝で組まれたアーチが逆再生のように急速に閉じていく。
狼は躊躇もせず転がるようにその中心へと飛び込んだ。
「何だ!?」
「魔物か……!?」
逃げ遅れた住民たちを避難させるために森の入り口に集まっていた冒険者たちは、森の入り口が急に閉じ始めたことに困惑する。その次の瞬間、ザザザッと大きな音を立ててその枝の中から黒い塊が飛び込んできた。
魔物かと戦闘態勢に入っていた冒険者たちだったが、背に人を乗せていると気付いた途端にその中の数人が狼の元へと駆け出した。
「ハルトくん!! 無事だったか!!」
「──バート……!?」
「リーダー!! バートさん見つかった!!」
「なに!?」
王都の住人たちを森の中へ避難させていたエイダンと、幸いにもエイダンたちと出会い森へと避難していたドリューたちが駆け寄ってくる。
逸れていた仲間が見つかったと安堵したのも束の間。
バートの背中にしがみつき泣くハルトと、血の気を失い真っ青な顔色のままピクリともしない仲間の姿を見て、ドリューたちは最悪の事態を覚悟した。
舌をだらりと出し息を切らして座り込んでいる狼の背中からバートの体をゆっくり下ろし、地面に横たわせると、恐る恐る彼の呼吸を確認する。
「どりゅーさん……。ばーとさん、だいじょうぶ、ですか……?」
黒い触手がゆるりと解けしゅわりと音もなく消えていく。それを確認して狼の背から飛び降り、ハルトが横たわるバートの傍らに駆けて来る。
だがドリューはその問いかけに答えることができず、ただ己の拳を握ることしかできなかった。
「ハルトくんっ!! 無事だったんですね~っ!!」
「怪我はないかっ!?」
報せを受けて森の奥からステラとエレノアも駆けつけるが、ドリューたちと地面に横たわる一人の冒険者の姿を見て、思わず口を噤んだ。
「……ぼ、ぼく、が、もっと……、はや、く……」
そう言って泣きじゃくるハルトを見て、ステラは傍らに寄り添い、「ハルトのせいじゃない」と、その背中を優しく擦る。
ここにマイルズがいればとそんな考えがエイダンの頭を過るが、ふるりと首を振り唇を噛み締めた。
《 ドクダ 》
《 ドクガアル 》
《 モリニハイッテキタ 》
ハルトの耳に、ざわざわと数人の話し声が聞こえてきた。
パッと顔を上げると、自分とバートを見つめる冒険者たちは皆、悲痛な表情を浮かべたまま唇を噛み締めたり俯く者ばかり。
けれどその声は消えずにずっと囁いている。
《 ニンゲン 》
《 ステナキャ 》
「──っ!! すてちゃ、だめですっ!!」
思わずバートの体を庇うように被さると、その声が先ほどよりも強くざわつき始めた。
突然大声を発したハルトの様子を見て、ドリューたちは何が起こったのかわからず困惑の表情を浮かべる。
《 はるとっ!! はなれてっ!! 》
いつの間に離れていたのか、リュカの声に顔を上げると幾つもの枝先がバートの体に向かってくるのが見えた。捕まったら捨てられると思い、慌ててその枝を払いのけようとするが、数が多過ぎる。
ハルトの抵抗も虚しく、しゅるしゅると幾つもの枝先がバートの体を絡め取り森の奥へと運んでいく。
「だめっ!! まって!!」
《 はると!! 》
その枝を追い走り始めるハルトだったが、必死に走っても追いつけない。
どんどんその姿が森の奥に消えていく。
「……ぅあっ!」
上ばかり見ていたため、地面から大きく盛り上がった木の根に足を取られ転んでしまった。
膝がジンジンと痛む。
いやだいやだ
バートがこのままいなくなってしまったら
想像するだけで唇が震え、涙がぼろぼろと溢れて止まらない。
けれど、このまま何もできないのはもっといやだ。
泥だらけになった袖口で涙を拭い、森の奥へと再び走った。
すると、先ほどとは違う人の声が微かに聞こえてくる。
この森に避難した住民たちが、何かを取り囲むかのように同じ方向を向いていた。
その足元を潜り抜け、ハルトが目にしたもの。
「……ばーと、さん」
そこには、他の木よりも一際太く大きな木が、地面に横たわったバートの頬にある切り傷に細かな根を這わせていた。
それはまるで、何かを吸い取っているようにも見えた。
邪魔しちゃいけない。
そう直感で感じ、じっとそれを見守っていると、ハルトの傍に一羽の梟が音もなく飛んできた。
「せばすちゃん……!」
《 ハルト、無事で良かった 》
セバスチャンのその言葉を聞き、少しだけ肩の力が抜けた。自分でも、知らず知らずのうちに体が強張っていたのだとようやく気付く。
《 心配するな。長老にはリュカが話を着けている 》
「ちょうろう……?」
ホォ─と鳴き声を上げ、その巨大な木に近付くセバスチャン。その後を追い、ハルトもそっと足を進めた。見上げると、ほんのりと淡い光がその木全体を覆っている。
時間が経つにつれ、誰もがその光景をただただ黙って見守っていた。
フッと木を覆う光が消え、バートの傷に触れていた根が離れどろりと朽ち果てた。そして、根から幹へ黒い澱みが広がっていくと思えたその次の瞬間、その澱みごとスパッとその根を切り捨てた者がいた。
《 危ない、危ない。こちらに広がるところだった 》
ハッハッハと大きな笑い声を上げながら、木の幹に巨大な顔が現れた。
この“フェアリーリングの森”と呼ばれる森の長であり、樹木の聖霊“樹人”だ。
《 長老、ご助力いただき感謝いたします 》
《 ありがとうございます! 》
セバスチャンとリュカが礼を伝えると、枝をブンブンと振り回し弾んだ声で《 良い、良い 》とその巨大な顔が微笑んだ。その振り回す先には数人の人間がなぜか木の枝で縛られており、その枝を必死の形相で避けていた。その様子を眺めながら、周囲のトレントたちも笑っている。
「ちょうろうさん……。ばーとさんのこと、たすけてくれたんですか……?」
《 そうだ。怪我は治せないが、毒を吸い取ってもらった 》
セバスチャンが切り捨てられた枝を魔法で浮かせ、《 すぐ戻る 》とだけ言い残し、そのまま誰にも触れられないように枝と共にどこかへ飛んでいく。
遠巻きに見守っていた住民たちのなかから眼鏡をかけた男性が慌てて駆けつけ、バートの脈や呼吸の有無を調べ始めた。それに続き、悲痛な表情を浮かべたバートのパーティであるドリューとミック、メルヴィルも駆け寄り、その様子を傍らで見守っている。
ハルトもバートの傍らに寄り添い、じっとその様子を観察する。
そして胸板に置いた手のひらに、微かにバートの心臓の音が戻ってくるのを感じ取った。
「……ハァ、大丈夫。この人は生きてる」
男性がそう言った瞬間、仲間の様子を固唾を飲んで見守っていたドリューや冒険者たち、そして住民たちが歓声を上げた。
ハルトは小さな声で「よかった」と呟き、徐々に生気を取り戻していくバートの体に抱き着いた。そして呼吸を整えると静かに立ち上がり、長老と呼ばれるトレントの元へと足を進めた。
それに気付いた長老は、大きな目を近付いてきたハルトに向ける。
⦅ ほぅ……。異界の神の加護か……。珍しいモノを見た ⦆
この世界のものではない神の加護。
それも妖精たちに好かれ、我々の言葉を理解している人間の子ども。
これは揶揄い甲斐もありそうだと、にんまりと笑顔を浮かべ口を開こうとした。
……だが、それはできそうもなかった。
「ちょうろうさん……」
ハルトはそのまま手を広げ、抱き着いた。
「……ばーとさんのこと、たすけてくれて、ありがとうございます……!」
ぎゅっとその巨大な幹に抱き着き、涙を流しながら礼を述べる幼い子ども。服や髪は煤に汚れ、どこで擦りむいたのか、頬からは少し血が滲み痛々しい。
だが確実に感じるその小さな温もりに、今まで感じたことのない感情が芽生えた。
「……あ、花が……」
「きれい……」
ふと聞こえた声にハルトが顔を上げると、巨大なトレントの顔が何とも締まりのない表情でこちらを見つめていた。
そしてその頭上に広がる青々とした葉に、ぽん、ぽんと次々に花が咲いていく。
《 あぁ~~! いかん! 花を咲かせてしもうた~~!! 》
年を取ってしまうと慌てる長老の姿に、リュカは珍しいモノを見たと目を丸くする。
そしていつの間にか戻ってきたセバスチャンは、《 ハルトは長老をも陥落したか 》と、季節外れの花を見てなぜか満足気な様子だった。
長老は意外とお茶目(●´ω`●)




