376 意識
「ふふ。すっきり」
ピンと張りつめていた空気が、一瞬にして緩和する。その華奢な体からは想像もつかない程の凄まじい声量。
“吟遊詩人”と呼ばれる彼女は、地に伏していく魔物の姿を見てうっそりと微笑んでいた。ぞわりと肌が粟立つような感覚に、オリビアを始めとした四人は唖然とした表情で彼女を見つめている。
「クルルゥ……」
ユランの傍らでは、そのあまりの破壊力に驚いたのか、ドラゴンが鼻をピスピスと鳴らしながら小さく縮こまっていた。それを見たセレスは慌ててドラゴンの背を撫でて宥めようとするが、ドラゴンはますますユランの服の中に顔を突っ込み、体を丸くするだけだった。
「あぁ……! 怖がられてしまったかしら……」
「……だ、いじょうぶ、だとは思います。ドラゴンは耳がいいから、少し驚いただけなんじゃないかな……?」
「まぁ……! 悪いことをしちゃったわ……」
先程とは打って変わり、セレスはしゅんと肩を落として落ち込んでいる。そんな彼女を見て、ユランとオリビアは顔を合わせ苦笑い。
イーサンとフレッドは、彼女たちを保護した際に話は聞いていたようだが、実際に見るのはこれが初めてだ。遠方の敵に狙いを定め、己の声だけで倒すあの圧倒的な力。騎士団やアーノルドたちでさえも、彼女たちが味方でよかったと安堵の息を吐いていた。
しばらく走行していると、いつの間にか街中からスタンピードを知らせる警鐘の音が消えていることに気付く。そして気付いた誰もが、逃げていてくれればいいのだがと、鐘を鳴らしていた名も知らぬ人間の無事を祈っていた。
アオォオオ──────ン……
すると、遠くの方から微かにだが狼の遠吠えのようなものが響いてくる。それを受け、バージルを守るように騎士団と並走していた魔狼たちが一斉に遠吠えを返し始めた。
ここでダレンと共に御者席に座っていたヴィルヘルムが、前方を走る騎士団とトーマスたちに声を掛ける。ゆっくりと走る速度を弱め、遥か上空を飛ぶドラゴン以外には周囲に魔物がいないことを確認し完全に停止した。
「バージル陛下、どうか御無礼をお許しください。……トーマス様、オリビア様。ハルトさんが見つかったようです」
「それは本当かッ!?」
「ヴィルヘルムさん……!! 本当なの!?」
ヴィルヘルムの言葉に、トーマスは堪らず馬から飛び降り荷馬車へと駆け寄る。オリビアも御者席に向かい彼の腕を掴んで離さない。
二人の言葉に静かに頷くヴィルヘルム。そして、それを見てダレンが口を開いた。
「どうやら無事に保護できたようです。妖精も一緒だと」
その言葉を聞いた途端、二人はとうとう我慢出来ずに人目も憚らず泣き崩れた。
危険な事に子供たちを巻き込んだのはこれで二度目だ。無事でいると信じていても、やはりどこかで不安を隠しきれず、自分に言い聞かすように心を強く保つことに必死だった。
オリビアはダレンの服にしがみ付き、トーマスは地面に膝を突きながら両手を握り締め、神に祈るように頭を下げた。そして、只々感謝の言葉を嗚咽交じりに繰り返す。
そんな二人を、周りは只静かに見守っていた。
しばらくすると、二人が落ち付くのを見計らったように再び遠吠えが響いてくる。その鳴き声にワーグたちが一斉に返事を返すと、ダレンがフゥと息を吐いた。
「どうやらハルトくんと共に教会に向かうようです。ライアン殿下とレティ、恐らくユウマくんもそこだと」
「それは本当か……!? ライアンも無事だと……!!」
ダレンの言葉にバージルも即座に反応を示す。だが、手綱を強く握り締め、走り出したい衝動を抑えているようだった。
「はい。決して嘘は申しておりません。ハルトくんといる妖精は魔力の感知に優れているようです。私共ではこの距離では何も感じることは出来ません」
それを聞き、ヴィルヘルムとセレスも真剣な表情で頷いた。
「そうか……。あとはユイトくんと、メフィストくんだけか……」
バージル陛下の言葉に、トーマスたちは唇を噛み締めた。
そこでまたもや、ヴィルヘルムが声を上げこう提案した。
「バージル陛下、トーマス様。目的の屋敷はもうすぐそこです。……恐らくですが、私の分かる範囲ではこの先には先程までいたような魔物はいない筈。ここは二手に分かれましょう。ダレンの従魔であるワーグと合流次第、我々もすぐに後を追います」
ヴィルヘルムの有無を言わさぬ提案に、隣に座るダレンも、馬車の中にいるセレスも強い眼差しでトーマスを見つめ、無言で頷く。
「……分かった。すまないが、オリビアとユランを頼む」
「かしこまりました」
ヴィルヘルムたち三人は、慣れたように頭を下げた。
「私はバージル陛下と共に向かいましょう。フレッド、貴方はここに残りなさい」
「な、何故ですか……!?」
オリビアたちと共に荷馬車に乗っていたイーサンがそう言いながら立ち上がる。フレッドは共に屋敷に向かおうとしていたが、イーサンの言葉に驚きを隠せなかった。
「サイラス、貴方もです」
「俺……、私もですか……!?」
アーノルドと共に戦馬に跨りバージル陛下を護衛していたサイラスも、自分を名指しされ驚きを隠せない。イーサンは困惑するサイラスから馬の手綱を貰い受け、颯爽と跨ると二人にこう告げた。
「ライアン殿下の側近と近衛騎士でしょう。居場所が分かったのに迎えに行かない馬鹿が何処にいますか」
「ば……、イーサン、口が悪いな……」
「何を言っているんです。本当のことを申したまでです。そんな愚図は王宮には不要ですよ」
「は、はい……!」
イーサンの口の悪さにアーノルドは呆れ、真面目に返す二人にバージルは笑い出した。
「あと、ヴィルヘルムさん」
「はい。イーサン様」
イーサンに名指しされたヴィルヘルムは目を伏せ、座ったまま黙礼をする。
「貴方も我々にスキルを発動するのは感心しませんね」
「…………」
「……まぁ、今回ばかりは目を瞑ってあげますが。余計な気は回さないことです」
そう言いながらイーサンは騎士団を促し、バージル陛下、そして護衛にあたるワーグたちと共にノーマンの屋敷へと駆けて行った。
サンプソンの牽く荷馬車と、騎士団率いる戦馬たちの距離が離れていくのを黙って見守るオリビアたち。
「……やれやれ。やはりバレていましたか」
「みたいですね」
フゥと息を吐き、ヴィルヘルムとダレン、セレスの三人は顔を見合わせ笑い合う。
状況を理解出来ないでいるオリビアたちは、首を傾げたままだ。
「……私のスキルは“洗脳”といいます。相手の意識を変え、操ることが出来るのです」
「なっ!? そんな危険なことを陛下に……!?」
スキルを説明され憤るフレッドに、ダレンが手で制する。
「申し訳ありません。これは私たち三人で決めたことなのです」
ダレンの強い眼差しにフレッドは思わず口を噤む。
「我々を助けて頂いたバージル陛下とトーマス様たちに、せめてもの礼をと」
「私たちではノーマンには逆らえませんでした。……あの方たちは、私たちに希望をくれた」
「……なので、道中は体力を温存して頂こうと思いまして、私の従魔たちにも協力してもらったんです」
そう説明する三人に、フレッドは文句を言える筈もなく、苦々しく言葉を飲み込んだ。思い当ることが多過ぎたのだ。
ここに辿り着くまでの従魔たちの動き。それに反して、騎士団たちは手も出さず只々バージル陛下を守る為だけに走っていた。
住民よりも王族を守るのは当たり前だ。……だが、魔物に襲われている王都の住民を放っておくなど、誇り高き騎士団は決してしないと信じていた。
それなのに、武器を持った住民たちの横を通り抜けようとしたことが頭を過る。
王宮を発つ際に提案された「魔物は自分たちが倒す」という言葉。今考えれば、我々の力を馬鹿にしているのかと思い至るのだが、そんなことは微塵も思わなかったのだ。
剰え、自分自身も不思議と意識を逸らされていたように思う。その事実が情けなく感じた。
「……ですが、流石ですね。陛下とイーサン様、アーノルド様は私のスキルには靡かなかった。トーマス様は少し心が弱っていたようなので、それが無ければ私共の提案は素気無く却下されていたでしょう」
ヴィルヘルムが発した言葉に、フレッドは己の無力を恥じた。
それはサイラスも同じだったようで、拳を固く握りしめていた。
そして同時に、絶対に自分もイーサンのようにライアン殿下の誇れる存在になろうと強く誓ったのだ。
「……ユランさん。貴方にも謝らないと」
そう呟いたヴィルヘルムの言葉をきっかけに、ユランはまるで夢から覚めたような不思議な感覚に陥っていた。
耳に鮮明に聞こえてくるこの鳴き声。
慌てて上空を見上げたユランは、上空を飛ぶ巨大な影に動揺を隠せないようだった。
「ユランくん」
「はい」
いつの間にか自分の背後に移動していたダレンが、ドラゴンに近付いていた。
「このドラゴンには少し酷だけど、荒療治してもいいかな?」
「え……?」
そう言いながらダレンは幼いドラゴンを馬車の床に抑え付けた。
床板に抑え付けられ、ドラゴンは悲痛な鳴き声を上げる。
「ダレンさん!? 何するの!?」
「やめてください!!」
ダレンを制止しようとするオリビアとユランを、ヴィルヘルムとセレスが抑えている。
幼いドラゴンの痛々しい悲鳴が、燃えた王都の街に響いた。
すると、先程まで聞こえていた上空の鳴き声がピタリと止まる。
「うそでしょう……?」
「本気か……?」
音が止み、フレッドとサイラスの声がやけに大きく響く。
上空を見上げると、猛スピードでこちらに向かって飛来するドラゴンたちの姿が見えた。
後日修正するかもしれないです。




