127 明日はどんな顔で
「……ここ、ですか……?」
「あぁ、ちょっと座ろうぜ」
アレクさんはベンチに腰掛け、手でポンポンと隣を叩きここに座れと促した。
「喉渇いたな。ユイト、水飲む?」
「あ、はい。いただきます」
魔法鞄から取り出した水を受け取り、渇いた喉を潤す。
渡された水はひんやりとしていて、歩き回って火照った体が生き返る様だ。
「ハァ……、美味し……」
ホッと肩の力を抜くと、どこからか晩課の鐘の音が聞こえてくる。
もうそんな時間かとふと顔を上げると、
「うわぁ……! すごい……!」
僕の目の前には、オレンジ色の夕日に照らされた村の町並みと、乗合馬車で見た向日葵まで一望出来る絶景が広がっていた。
この場所からあんなに遠くまで見渡せるなんて……!
風で揺れる草花が、オレンジ色の夕日でキラキラと照らされ、思わず見入ってしまう。
「キレイだろ?」
アレクさんの声に、フッと意識が引き戻される。
どれくらい眺めていただろうか。
いつの間にか、頬をかすめる風も涼しいものへと変わっている。
「あ、ごめんなさい………。僕……」
やってしまった……。
景色に夢中になって、アレクさんを放っておくなんて……!
「いや? 気に入った?」
「はい! 思わず見入っちゃいました……!」
「よかった! ここ、村の人しか知らない穴場らしくて……」
アレクさんは気にもしていない様子で、僕に優しく微笑んでくれる。
村の人しか知らないって事は……。
「もしかして……。行くところ、わざわざ探してくれたんですか……?」
「う……、ここら辺の店、あんま知らなくて……。訊いて回った……」
「アレクさんが? ホントに?」
だから村の人たちも、僕たちを見てあんなに話しかけてきたのか……!
グレースさんも時間を気にしてたし……。
「アレクさん、連れてきてくれて、ありがとうございます」
お礼を伝えると、アレクさんは目を細め嬉しそうに微笑んだ。
夕日に照らされたアレクさんの髪は、オレンジ色に染められ、風に靡く度にキラキラと光っている。
僕のために色々探してくれたのかと思うと、胸がくすぐったいような、きゅっと締め付けられるような、不思議な気持ちになる。
「それ、ちゃんと着けてくれてるんだな」
まっすぐに見つめるのがなぜか恥ずかしくて、僕は首に着けていたネックレスを指で無意識に触っていた様だ。
アレクさんはまた優しい目をして僕を見つめる。
「はい……。その、気に入ってるので……」
「そうか、スゲー嬉しい」
「アレクさんはもう着けたりしないんですか?」
僕がこれを貰ってしまったからか、今のアレクさんは指輪もネックレスも何も着けていない。
「オレ? ん~、また気に入ったのがあったら買うかもな」
アレクさんは剣を使うから、指輪やブレスレットは着けたくないらしい。
だから指輪をネックレスに通していたのか。
そう言えばアレクさん、ピアスもしてないし、僕にくれたこのネックレスだけ着けてたのかな……。
僕も何か、お礼が出来ればいいんだけど……。
「あ、沈んだな」
そんな事を考えながらアレクさんの言葉に顔を上げると、夕日もいつの間にか沈み、辺りは段々と薄暗くなっていた。
「そろそろ行くか? 遅くなるとオリビアさんも心配するしな」
「……はい。そうですね……」
暗いから、と言って僕の手を引いてくれるけど、なんだか恥ずかしい。
さっきまで普通に手を引かれていたのに……。
坂を下って行くと、アレクさんは来る時とは違う道に進んでいく。
「あれ? こっちじゃないんですか?」
僕がさっき通った方を指差すと、アレクさんはこっちの道を通れと村の人たちに言われたらしい。
何があるのかはアレクさんも知らないそうだ。
向かう先にあるのは森みたいなんだけど……。
何も感じないから大丈夫、と言って、僕が安心する様に肩が触れ合うくらいの距離で歩いてくれる。
それからアレクさんは僕の歩幅に合わせてゆっくり歩き、アレクさんのパーティの人たちの事や、ダンジョンに潜った時の話、僕のお店での事、そんなたわいもない会話をしながら進んでいく。
辺りはもう真っ暗だけど、不思議と怖くはなかった。
「……ん? なんか聞こえるな……」
アレクさんの言葉に立ち止まり、じっと耳を澄ますと、
「あ、ホントだ……。これは……、水の音……?」
二人で顔を見合わせ、足元に注意しながら先へ進むと、小さな小川が現れた。
皆で泳げるような大きな川じゃなくて、さらさらと緩やかに水が流れている。
「こんな所に小川なんてあるんですね……」
「ホントだな。これを見せたかったのか……?」
「ん~? どうなんでしょう……」
「まだなんかあんのかな……?」
二人でしゃがんで小川の方を眺めていると、一瞬、草の辺りで何かが光った気がした。
何だろうと目を凝らして見ると、その光は一つ、二つと増えていき、ふわりふわりと僕たちの周りを飛んでいく。
「すげぇ……」
「これ……、蛍……?」
気が付くと、小川の周りの草花に蛍がとまり、淡い光が次々と点滅を繰り返していく。
そして、ふわりふわりと光りながら舞う蛍の幻想的な光景に、僕とアレクさんはいつの間にか言葉も発せず、唯々息を呑むその光景を黙って目に焼き付けていた。
「ハァ…、なんだか今日はすごかったです…」
僕たちはエルタル村を出て、ギリギリ間に合った最終の乗合馬車に揺られている途中だ。
もうすっかり日は暮れて、馬車からの景色は楽しめそうにない。
御者さんも残念ながら違う人だった。
「あんまり遊ぶようなとこはなかったけど……。楽しんでもらえたか?」
アレクさんは隣に座る僕の顔を見ると、優しく微笑んでくれる。
「はい! 村の人たちもいい人ばっかりだったし、グレースさんのマフィンもすごく美味しかったです! それに夕日もキレイで……! 最後に蛍……? も見れて良かったですね!」
「ハハ! ホントにな。教えてくれればいいのに……」
「でもそのおかげで、アレクさんも楽しめましたもんね?」
「まぁな。あれは感動するな……」
あの蛍を教えなかった村の人は、きっとアレクさんにも驚いてほしかったんだろうな。
「ふわぁ……、」
馬車に揺られながら、思わず欠伸が漏れてしまう。
この時間は普段、家でのんびりしている時間帯だもんな……。
「疲れたか? 着いたら起こすから寝てていいぞ?」
「いぇ……、僕も、起きてます……」
「大丈夫か? ほら、寄っかかっていいから」
「ん……」
アレクさんは見かねて肩を貸してくれた。
そうすると僕は、襲ってくる睡魔に抵抗出来るはずもなく、あっさりと夢の中へ……。
「今日はありがとな……」
アレクさんが何か呟いた気がしたけど、僕には確認する術はなかった……。
*****
「―イト……」
「ん~……」
「―─イト……、ユイト!」
「ふわっ!?」
僕を揺するアレクさんの声に慌てて目を覚ますと、乗合馬車はすでに村に着いていた。
御者さんも、笑って僕を見ている。
「うわぁ! ごめんなさい……! 寝ちゃってました……!」
慌てて飛び起きると、アレクさんは僕の手を引いて馬車から降り、御者さんに代金を支払っている。
「あ、ありがとうございます……。馬車のお金……」
「あぁ、気にすんなって」
「……でも、今日はずっとアレクさんが出してくれてるし……」
「え? オレが連れ回したんだから当たり前だろ?」
何を言ってるんだみたいな表情で僕を見ると、また手を引いて村の門へと歩き出す。
村の門を潜ると、お店にも来てくれた警備兵さんたちが並んでいて、軽く挨拶。
僕は見慣れた町並みに少しだけホッとする。
「なぁ……。オリビアさん、怒ってないかな?」
「え? 大丈夫じゃないですか? たぶん……」
「たぶんかぁ~……。結構遅くなっちゃったしなぁ~……。あ、なぁ、明日はオレも付いて行っていい?」
「え? 明日って、行商市ですか?」
突然のお願いに、少し面食らってしまう。
「うん。荷物持ちくらいならするからさ! ダメか?」
「う~ん……、僕は助かりますけど……。あ、明日はお世話になってる方たちと一緒に回るんですけど、いいですか?」
ソフィアさんとフローラさん、二人と一緒だからなるべくゆっくり回りたいと思ってたんだ。
「あぁ、オレは一緒に回れるなら何でもいいけど」
「ならお願いしようかなぁ……? お婆さん二人なんですけど、オリビアさんも足が悪いし、ハルトとユウマも連れて行くので……。僕だけで荷物が持てるか不安だったんですよねぇ」
「じゃあオレも行って問題ないな?」
「はい! 明日もまた一緒って事ですね?」
「そうだな!」
満面の笑みを浮かべて返事をするアレクさんを見ていると、明日も会えるんだと嬉しくなってしまう自分に気付く。
場所はギルドの通りなので、アレクさんとは行商市の入り口で待ち合わせだ。
「あ、もう着いちゃいましたね」
「だな……。あ、これ忘れない様に渡しとくな」
「あ、マフィンと果物ですね? アレクさんが持っててもいいのに……」
「いや、こんなにあっても仲間に食われるだけだし……。ハルトとユウマも喜ぶだろ?」
「ふふ、ありがとうございます! アレクさんはお人好しですねぇ~」
僕がマフィンと果物を受け取ると、それだけで両手はいっぱいになってしまう。
アレクさんには本当にお世話になっちゃったな。
明日、なにかお礼出来ればいいんだけど……。
「アレクさん、今日はありがとうございました! とっても楽しかったです!」
「あぁ、オレも。一緒にいれて嬉しかった」
「あの、アレクさ……」
明日の事を確認しようと上を向くと、頬にふにっとした感触が……。
え? アレクさんの顔、近すぎない……? それに、この感触って……?
「……じゃあ、また明日な?」
「え? あ、はい……」
「ユイト、おやすみ」
「はい……。おやすみ、なさぃ……」
アレクさんは僕の頬を優しく撫で、来た道を足早に戻って行く。
その後ろ姿を見送りながら、僕の心臓はバクバクと、うるさいくらいの大きな音を立てて僕の身体中に響いている。
触れられた頬から、アレクさんの熱が回るみたいに熱い。
胸の鼓動を鎮めようとするけど、さっきの感触が蘇って顔までまっ赤になっていそうだ。
「あした……、どんな顔して会えばいいの……」
僕はしばらくの間、店の前で立ち尽くしていた……。
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