第87話 崩壊
マギは妹と二人で動けなくなってしまった。周囲にも逃げ遅れて困っている人達が幾人かいるようで、小さな窓から空を眺めているのが確認できる。マギは着る服も無く困っていて、残された人達と同じように空を眺めるしかなかった。
違う意味で残されたフレアリスと将軍は消えてマギがどうなったのか考える余裕を与えて貰えなかった。特に鬼人族を見付けたことで多少好戦的になっていたのかもしれない。ドラゴンは次々と火の玉を吐き出し、城を崩壊させた。空の上では流石に殴る事も出来ないフレアリスは、風魔法を使わずに大きく跳躍して、ドラゴンの注意を引こうとしたのだが、再び足元が崩れ、予定通りにはならなかった。
「あの勇者殿はどうなったんだ?!」
「死んでないから大丈夫なはずだけど、どこに行ったかなんて私は知らないわ。」
崩れて逃げ場がなくなった二人が空を睨むと、ドラゴンの姿が瞳に映る。
「こっちの大陸に鬼人族がいるとはな・・・お前は知っているのか!?」
「あんたに言う事なんてないわ!」
フレアリスの叫び声はかなり大きい。
「なんか言ってるが聞こえんなぁ・・・。」
空高くに浮いているのだから当然だろう。ドラゴンは人の姿に変化し、空から降りてきて二人の前に立つ。
「これだけやっても出てこないんなら無駄足だったか・・・やはりあの女の言う事は信じられんな。」
「あの女?」
「フン。馬鹿力女には関係ない。」
「へー、用が無くなったんなら態々私の前に立たなくてもよかったのに・・・ね!」
フレアリスが全力で拳を振り抜く。人の姿になったドラゴンは避ける事なく両手で受け止めたが、同時に足元が崩れて建物の一部と一緒に落下した。
「お、おい・・・ドラゴン相手にいきなり殴りかかって大丈夫なのか?」
「なに言ってるの?周りを見てもう大丈夫じゃない事くらい分からないのかしら。」
「確かにそうだが・・・。」
崩れて先の無い元通路に、ドラゴンの姿で浮き上がってきた。こちらに近づき、床に足を付ける前に再び人の姿へ変化する。
「・・・あんたドラゴンの癖に飛べないの?」
すぐに言い返さないドラゴンが拳を握りしめる。
「風魔法は難しいんだ。まあ、魔法の下手糞な鬼人族には関係ない話だが・・・な!」
フレアリスと同じ動きで拳を前に突き出し、振り抜いた。フレアリスがその一撃を受け止めたのは一瞬の事で、そのまま真っ直ぐ後方へ吹き飛ばされて壁に激突する。崩れて穴の開いた壁の中からフレアリスが立ち上がった。
「お、良く生きてたな。」
「ブランクが無ければ跳ね返してやったのだけどね。」
強いと言っても訓練を怠れば力は落ちる。今のフレアリスは最盛期よりも3割ほど力を失っていて、これからいろいろと鍛えるつもりだった。だが、それはまだまだ先の話で、こんなところでドラゴンと戦うとは思っていなかったから、少し後悔している。
後悔というのは強い奴と戦えるのに自分が全力を出せない事だ。
「ドラゴン相手でも好戦的な種族だな。」
周りで怯えながら見ている兵士達に囲まれ、将軍が悔しそうに睨み付けている相手は世界最強と云われる種族なのだが、何故か絶望的な感じがしない。どこか垢抜けているというか、若いというか・・・。
「・・・世界樹がどうこう言っていたみたいだけど?」
将軍が訊きたかったことをフレアリスが代弁する。
「あぁ、魔女に言われてな。世界樹が復活しているから見てこいと言われて来てみたんだ。」
「はぁ?!あんた魔女になんか操られているの!?」
その発言はドラゴンの神経を撫でるのに十分だった。
「違うわ!あの女が世界樹の・・・あー、なんでいちいち説明しなきゃならんのだ。世界樹がいないのが分かれば用は無い!」
それはこのまま帰ってくれるのならば兵士達にとっては有り難い言葉だったのだが、すでに数百人単位で死者が居て、このまま終わらせるには迷惑過ぎる事件だ。それも存在するかどうか分からない世界樹の事で。
将軍が周りの兵士に指示を与えようとした時、ドラゴンの方は何か別の事に気が付いたようだった。
「そうだ、アレは・・・さっき燃え尽きた奴は勇者か?」
「そうだったら何なのよ。」
「目の前で仲間が燃え尽きても平然としているからな・・・そうか、あれでも勇者なのか。弱い勇者なら丁度欲しかったところだ。」
「・・・もしかして、勇者が怖いから弱い勇者を抱え込んで他の勇者を近づけさせないつもり?」
「勇者に迷惑しているのはお前らだけではないという事だ。それに、奴隷勇者と言うのも面白い。」
こいつは馬鹿なの?
フレアリスはそう思ったが口には出さなかった。
「さっきの子が勇者だという証拠なんて無い筈だけど?」
「あんなに弱い奴を態々俺の目の前に連れて来ようとする理由が他に思い当たらないのだがな。」
意外と勘の良いドラゴンだと思ったのはフレアリスだけで、元々そのつもりで連れて来た将軍などからすれば、バレるのも仕方が無いと言ったところだ。それに勇者一人でこの国が救われるのなら安い取引でもあった。
現場の将軍による打算の結果が導き出されるよりも早くフレアリスが会話を続ける。
「世界樹を捜しに来たの?勇者を攫いに来たの?それとも、理由を付けて暴れたかっただけなの?」
「・・・世界樹を燃やして以来、平和な日々だったからな。」
暇つぶしも兼ねているとは言わない。
「力だけあっても脳みそが足りないとこの程度なのよね。」
「程度の低い煽り文句だな。」
将軍からすればどっちもどっちだ。と、言いたいのをぐっと堪えながら、生き残った兵士達に指示を与え、少しずつドラゴンの周りを包囲している。完全に包囲したのを確認すると、組手魔法の準備だけを指示して発動のタイミングを計る。
「ドラゴンの要求は世界樹の所在についてか?」
将軍の言葉に余裕を持って対応する。
「そうだ。やはり居るのか?」
「少なくともこの国にはいない。いたとしても所在は知らない・・・教えられない訳ではないぞ、本当に知らないのだ。」
本当は知っている者が口を閉ざす。
「では仕方ないな。」
腕を組んで少し考える。
「勇者はいるのだろう?」
「居る。」
「ちょっと!!」
フレアリスが怒鳴るのは当然だ。どう見ても人身御供にする気満々なのだから。
「居るが・・・先ほどお前が殺してしまった所為でどこかで蘇ったのだ。場所は分からない。」
「分からないなら出て来やすくするだけだ。」
そう言ったドラゴンが両手に炎を発生させる。フレアリスが身構えた直後・・・。
「フリーズ!」
将軍に成るほどの男が魔法を発動するのに言葉を発した。それは強いイメージ力を必要としたのだからで、失敗は死に直結する。将軍の意外すぎる行動にフレアリスは二つの理由で驚いた。まさかここまで接近したドラゴン相手に直接攻撃を仕掛けるとは思わなかった事と、マギを利用して助かろうとした事が、この攻撃チャンスを狙う為だったからだ。・・・実際の将軍の思惑の中に後者は含まれていなかったが。
ドラゴンの身体が一瞬にして氷漬けになった。そこへ更に組手魔法が加わる。フレアリスが驚いて将軍の傍へ飛び込んだのは、この位置に居ると自分も巻き込まれると思ったからで、それは間違っていなかった。
将軍はフレアリスを囮にしてまとめて捕縛しようとしたのだ。
「なにするのよ!」
「俺はお前を信用していない。」
「ドラゴンの方が信用できるのかしら?」
網の目のように魔法の鎖でドラゴンの身体を氷ごと包んでいく。
「いくらドラゴンでも組手魔法なら効果はあるだろう。」
実際に組手魔法でドラゴンを撃墜した記述が遺っている。しかし、それはあの優秀なスズキタ一族だからこそだ。フレアリスは組手魔法を間近で見るのは初めてだったため、ドラゴンが意外にも動かない事に再び驚く。
「うっそ・・・凄いじゃない。」
「これでも将軍になる為に苦労しているんだ。日々の修業は・・・。」
組手魔法はコントロールが難しい。それは訓練でも承知していたが、結果としてはフレアリスが正しかったことを証明する。
音は無く、炎のような光の筋が何本もドラゴンから放たれ、なにかを無理やり引き裂くような切れ目が表面上に現れると、大きな炎が燃え上がった。
炎の中には人の姿では無くドラゴンの姿として現れる。引き千切られた組手魔法を再構築するのには時間が必要で、既に間に合わない。
このままでは二人目の将軍もやられてしまう―――そう思った兵士達は次の行動・・・つまり逃げ出そうとしたのだが、怒りに満ちた反撃は動く暇すら与えられなかった。
周囲を無差別に燃やし続ける炎がドラゴンの両手と口から放出され、瞬く間に城は火の海と瓦礫の山に成った。そこに残ったのは身体の一部を火傷しつつも立ち上がったフレアリスと、燃え焦げた兵士達。動かなくなった将軍二人と、怒りに満ちたドラゴンの姿だった―――
城はどこからでも見えた。
国中の視線が集まる中心に在ったその城は姿を消していた。
不安と恐怖に怯えた人々は逃げる事も出来ず、逃げる場所も分からず、ただただ、なにもなくなった空間を見詰めている。しんと静まり返った後に現れたのは大人の恐慌と、子供の悲鳴と、兵士達の慌てふためく姿と、開いた口を閉じられない国王だった。
僅かにも冷静に動ける者は存在したが、その者達でさえ自分の事で手いっぱいだった。被害が住宅街に及んでいないのは、次に破壊される番を待っているだけにしか思えず、港に国王軍が居るのを知っても、いつか狙われると思えば、そこへ逃げ込もうとは思わない。
その城跡から、不思議な光景が見える。瓦礫が宙を舞っているのだ。それも一つではなく、二三個飛ぶと、暫く休み、再び何個か塊が飛ぶ。それを見て気が付いた。
「フレアリスさんが戦ってる?!」
同じ台詞が別々の場所に居る男一人女一人から発せられ、もう一人の別の男が城へ走った。自分に何が出来るのかという考えは必要ない。とにかくあそこへ向かわなければ成らないという気持ちが身体を動かしたのだった。




