第85話 要求
組手魔法は完璧ではなかったが、ドラゴンの攻撃を防ぐのに十分な効果を発揮していた。それは兵士達に自信を与え、動きにも活気が増した。将軍もひと息つけたようで、反撃の手段を講じ始めている。ただし、防御魔法陣で覆っていない外側は、何時こちらに炎が向けられるのか、戦々恐々としていた。
ドラゴンは旋回をやめて一定の場所に留まっていて、今迄で一番大きな炎を吐いた。防御魔法陣の一部が崩れ、城の外壁を崩し、兵士が数人燃えた。それはマナが指摘した弱い部分だったが、穴の開いた箇所を兵士が集まって直ぐに補正する。
「世界樹は何処に居る?!」
突然、咆哮のような声が響き渡る。太郎にも聞こえたし、マナとスーも一瞬身体が止まった。ドラゴンを見上げるとこちらを向いていない事からまだ気が付いていないと判断し、移動を再開する。ポチの背中にエカテリーナがしがみ付いて乗っているのは、太郎がそうするように言ったからだ。
離れた場所、最前線ではドラゴンの声を聴いた将軍が疑問を持った。
「世界樹?・・・そんなのが我らの国に在るのか?」
周囲を見渡しても答えを持っている部下はいない。
「組手魔法なんかで俺を足止めできると思うなよ!」
返答を待たず、口を大きく開いて炎を吐き出す。一つの炎ではなく、火球となって雨の様に降りそそぐ。その一つ一つが人を丸飲みにするほど大きい。攻撃と防御がお互いの存在を主張するように凌ぎ合う。結果的に言うと防御側が守り切ったが、被害も多かった。丸焼けになって転がる兵士に水魔法が飛ぶ。
攻撃する側が疲れたのが原因で一時中断しただけで、このまま攻撃を受け続ければ防御魔法陣が破壊されてしまう・・・。反撃、反撃をしなければ!
「ありったけの土魔法であいつを叩き落とせ!」
怒号と同時に将軍が自ら前に出て魔法を放つ。空中のドラゴンより更に上空には幾つもの巨大な岩石が出現し、疲れていて確認を怠ったために、落下してくる岩石群を避け切れなかった。岩石の他にも巨大な槍の形をした石が地上から空へ飛んで行く。
上下からの同時攻撃で岩石が命中した。石槍は刺さらなかったが、何本も当たっている。姿勢を崩し一時的に浮遊能力を失ったのか、落下したドラゴンは地面に激突することもなく、直ぐに再浮上した。遠くてその表情は分かりにくいが、怒りに満ちている事だけは分かる。ドラゴンは再び城に急接近し、魔法陣を力ずくで突破し、城を将軍や兵士もろとも崩壊させたのだから。
その光景は港からでも確認できた。港から見えるという事は国王の目でも見えるという事だ。将軍の一人がやられたのは衝撃的だった。椅子から立ち上がり、口を閉じたり開いたりするだけで言葉は発さず、自分でも気が付かないうちに座っていた。
周囲の兵士達も動揺を隠せない。
「世界樹だと・・・?」
ドラゴンの声は国王にも聞こえていて、その言葉を弱々しく呟く。
そんな存在は500年以上前に消えたと文献に書き記してあるのを知っている。
前国王の息子の一人で、貴族であるがゆえに世襲で国王になった。戴冠してから四半世紀すら経過していない。
なぜ・・・なぜ私が国王の時にこれほど問題が発生するのだ・・・。
「そうだ・・・あの娘だ。」
椅子から勢いよく立ちあがると近くの兵士に命令した。
「勇者を呼べ。」
マギ・エンボスは本人の希望と国の都合も有って未だに無名の勇者だった。期待するほどの戦闘能力もなく、怯えるほどの警戒も必要なく、ある程度の金さえ渡せばこちらの思い通りに動かせる・・・そう思わせる程度の勇者なのだ。
しかし、文様は有るのだから偽物ではない。偽物でなければ他の勇者は寄ってこない。勇者による損害が少なくて済むのだから、これほど都合のいい勇者はなかなか存在しない。だからこそ、居るだけで良い存在なのだが、今は勇者である可能性を信じなければならない・・・。
「あの城・・・もう持たないんじゃない?」
自分が働く店の窓から眺める外では、ドラゴンに体当たりされただけで大きく崩壊し始めている。ハンハルト兵士達の魔法攻撃が当たった時は小さくもない歓声を上げたが、今は見る影もない。崩壊の轟音が街中に響き渡ると、いつここが危険になるのか、不安で怯える人が増えた。
崩された組手魔法は直ぐに再構築できず、ドラゴンの放つ火球を個別に対処している。城の一部でも火の手が上がり最前線の兵士達が逃げ惑う。
「たった一人のドラゴンでこんなことになってしまうんですね・・・。」
マギの声は怯えている。勇者なら突撃していくのが普通の感覚なのだが、彼女にそんな勇気などない。どうしてこんな娘に勇者の文様が現れたのだろう?
フレアリスの疑問は誰にも解決される事はなく、角が刺さって穴が開くんではないかと思うくらいぴったりと壁に頬をくっつけて、外を眺めている。
その彼女が気が付いた。
「あれ?タロウ達じゃない?」
「そうですね、何処へ行くんでしょう?」
人がいないので直ぐに分かる。何しろあのポチが目立ち過ぎるからだ。商店街を通り抜けた太郎達は、街の外へ向かっていた冒険者が今度は逃げ込んで来たために、その波にのまれそうになって、一時的に戻ってきていた。フレアリスが見たのはその一瞬で、次に現れたのは勇者を捜す兵士達の姿だ。隠れていた兵士が怯える。自分を捜しに来たと思ったのだろうが、全く関係なかった事を知る事で安心する。しかし、その内容を知ってもどうにもならない。
捜している当事者達の会話がその問題を提議していた。
「勇者の顔って知ってるか?」
「・・・勇者がいるって初めて知ったんだが・・・。」
「男じゃないのか?」
「女だって言ってたぞ。」
「本当に勇者ならもうドラゴンと戦ってるんじゃないか?」
「どーせみつからないさ、適当に・・・。」
結局、大声で名前を叫ぶという選択を取らざるを得ない。
「マギ殿ー!」
「勇者どのー!どこですかー?!」
「まぎえんぼすどのー!」
至る所から響き渡る声を聞いて、フレアリスは傍に居るマギを優しく抱きしめたが、表情は怒りに満ちている。その間にもドラゴンの攻撃は止まず、城の他にも幾つもの貴族の家が破壊されている。被害が住宅街や商店街に及んでいない事が奇跡のようだった。
「どうする?」
マギは震えていた。家族の事、恋人の事、今まで隠していた勇者であること、それらが一気に流れ込んできて、恐怖と不安が一気に増幅したのだ。抱きしめたのがマナだったら簡単に震えを止めていただろう。
「行きます・・・いえ、行きたいんですけど・・・身体が震えて・・・。」
立ち上がることも出来ないマギは、決意したというよりも断る方法が無く、追い詰められて出した結論にしか見えない。その間も走り回る兵士達が自分を呼ぶ声は収まらない。その時に更に大きな声が響き渡った。
「世界樹がいるのはわかってるんだ!」
存在していると言われただけで、実際には見ていないが、あの女の言葉に嘘は無いだろう。今でも半々ぐらいしか信じていないが、いちいち説明する必要はない。存在していないのなら、その方が良いのだから。
だからこそ、居る事を知っている風に叫ぶ。否定などさせない。その声が脳にまで響いた事でマギの考え方に少しの変化が現れた。それは自分が出ることで世界樹を守れるかもしれないという事だ。あの人達はきっと私より何倍も活躍してくれる。そして、何倍も強い。
マギにとっての決意は決して小さくはない。震えが消えて立ち上がる事が出来たからだ。フレアリスはその心の中まで覗くことは出来ないが、ある程度は理解し、外へ向かうマギの前に出て、いつの間にかカギがかけられていた扉を蹴破った。
「あんた、何するんだ?!」
「鍵が無いから壊しただけよ。悪い?」
「なんでっ・・・あ、あんた鬼人族か・・・。」
「私の店ではないから、壊れた扉はちゃんと弁償するわよ。・・・この国が滅んだりしなかったらね。」
そう言い残して二人が外へ出ていく。現れた女性に兵士が駆け寄ったが、それは避難するように言っただけで、勇者だと気が付いて貰えなかった。なのでそれは無視して城へ向かっている。勇者を探しているのだから城に行くべきだと思ったのはマギだけでなくフレアリスも同様で、まさか港に呼ばれているとは思っていなかった。
二人の横を走り抜けていく幾人かの兵士。その内の一人の腕を掴んで引き留める。
「な、ななんだ?!」
突然の事なので転びそうになったが、振り返ると自分の腕を掴んでいる女性が美人だったので、思わず頬が赤くなる。
「何の用で?」
「勇者を捜してるんでしょ?」
「そうですけど、貴女が勇者殿で?」
崩落音が響くと、兵士の癖に身を屈めた。平然としている二人を見て、慌てて立ち上がる。ちなみにマギは平然としていたのではなく、色々な事で頭がいっぱいになっていて、気にする余裕が無かっただけだ。
「こっちよ。私は付き添い。」
「あ、あぁ・・・最近解放されたって・・・。」
ちょっと前までは牢獄生活だった鬼人族の方が有名なのは仕方がない事だろう。もう一人の女性を見ると、明らかに強そうには見えない。見えないが、少なくとも目の前の兵士よりは強い。
「貴女がマギ・エンボス殿で?」
「はい。」
「とりあえずこちらに・・・。」
城とは別方向だったので確認する。
「国王様は港で開催される予定だったので・・・。」
「なるほどね。」
途中で案内する兵士が変わり、少しずつだが良い装備を身に付けている兵士に変わる。まだ捜している兵士達に見つかった事を伝えに走る兵士達とは逆に、港へと向かう。
本来なら兵士以外の人々で埋まる筈だった広場は、その兵士すら数を減らしていて、臨時で作られた会場の一番奥に国王はいるらしい。天気が良い事だけが救いの青空天井には、ドラゴンの暴れる姿がはっきりと見える。
将軍であろう人の出迎えが有り、急いでいる事を理由に挨拶も事前説明もなく国王の前に通された。そこで最初に声を上げたのは国王ではなかった。




