第61話 美味しい食事
俺は久しく米を食べていない。目の前に米が有ったら食べたくなるという訳でもなかったが、今は食べたい。梅干しとか味噌汁とか、突然食べたくなる。しかし存在しないモノをいくら悩んでも手に入らない。まあ、梅くらいなら何処かに存在していそうな気もするが。
パンは食べ続けると飽きるが、米なら飽きなかった。最近はパンもあまり食べていないし、保存食ばかり食べているから、落ち着いた雰囲気の場所で、湯気が昇るような温かいご飯もたまには食べたい。その思いが伝わったらしく、ナナハルは感心したように言った。
「こっちの大陸の者にしては珍しいの。」
「まあ、元々この大陸の人間ではないからね。」
「ん?お主もどこか別の大陸からやって来たのか?」
ちょっと面倒だが、順を追って世界樹の事から説明した。一度死んでいることは伝えなかったが。
「・・・つまり、お主はこの世界の住人ではないと。」
「厳密に言うと先祖はこの世界の住人なので、この世界の事を全く知らずに普人しかいない世界で育ったという事になりますね。」
「で、その世界ではこれを神社と呼ぶと。」
「これも厳密に言うと似ているだけで、色々と不足している飾りとか有りますが、別に有っても無くても問題ないでしょう。」
「米は同じモノが有るんじゃな。」
「まー、食べてみないと解らないけど、見た目は同じですね。」
「スズキタ一族は不思議な奴が多かったという話は聞いておるが、ここまで変わった奴は初めてじゃ。」
変わっているか、変わっていないかの判断は自分では出来ないので、それは疑問のままにしておいて、これだけの水田が有るのに水が少ない気がする。ここに来る前に見た川も、何となく水量が少ないと思った。
「水が少ないのは毎年この時期になると川の水は減るのじゃ。グリフォンの住む森に水の湧く泉が有って、そこから川がこちらに向かって続いておるが、実はそれで困っておってのう。」
「困ってる?」
「トレント達は水を吸い上げるのは知っておったが、水が少ないと池の水までも吸い上げてしまうのじゃ。わらわは雨を呼ぶ術を知らぬゆえ、一度枯れてしまえば元に戻るのに何年かかるか分からぬ。運が良ければ一度の大雨で戻る事も有るが、余りにも降り過ぎると田畑も駄目になってしまうのじゃ。」
水問題はどの世界でもどの時代でも苦労することに変わりはないか。池は結構大きいと思うが、底は見えないのでどのぐらいの水が貯まっているのか、どのくらい不足しているのかは分かり難いが、頭部のふさふさの耳が力無く垂れているのを見ると、相当困っているようだ。
「最近は大好きな風呂も入るのを我慢しておるのじゃ・・・。」
風呂・・・何日も入ってないな。自分の脇の臭いは嗅ぎたくないが、スーもマナもそんな事を気にせずにくっ付いて来るからなあ・・・。
「どのくらいあったら普通なの?」
「・・・あぁ、あの刺さっている棒に赤い紐が付いておるじゃろ。あれが濡れるくらいまであれば・・・お主なにしておる?」
池の傍まで近づくと、マナも付いてくる。しゃがみ込んで池を覗き込むと、自分の顔と太郎の姿が映っていた。水草に小魚が沢山隠れて泳いでいるようで、マナが指を差して笑っている。
「いっぱいいるね!」
8000年以上生きていて知識にはかなりの偏りは有るが、珍しい物を見た時のマナは子供の様に見える。やっぱり、かわいいな。
近づいてきたナナハルがマナの頭を撫でる。
「世界樹と同じ波動を感じるのじゃが・・・本当に世界樹なのか?我が子を見ているようじゃ。」
「子供いるの?」
「おらんよ。独り立ちしておるからの。」
撫でられているマナはまんざらでもなさそうだ・・・いいのか、それで。
「池を見てどうするのじゃ?」
「こーするんだよねー。」
俺が言う前にマナが言ったので、行動で示すと、ナナハルの目が丸くなった。ふさふさの耳がピーンと立っている。俺が池に向かってかざした掌からは水がジャバジャバ出ているのだから。
「お、おおお、おぬし・・・神気魔法じゃな?!」
「うん!」
自慢げに応えるのはマナだ。
流石に直ぐに水位が上がるはずもないので、片手ではなく両手で出す。出る量は倍になったが、全然水位が上がらない。このままやっているといつ終わるか想像もつかない。
「そんなに出して身体は大丈夫なのか?」
「最近は平気かな。丸一日風魔法で空飛んでも平気だから。」
「おぬし・・・本当に普人か?」
「そうだよね?」
マナに言うと笑顔で頷いた。
「勇者でもないし、魔女の能力とも違うし、僅かに世界樹と同じ波動も感じるし・・・その神気魔法があれば世界が崩壊してしまうほど恐ろしいモノじゃぞ。」
威圧したわけでもないが、ナナハルが僅かに身体を震わせた。
もし、敵対心を持っていたら追い返す為に戦っただろうが、この者に勝てる筈もない。力技で押し返せるかもしれないが、平然とこの量の水を出し続けているという事は、マナの許容量がどれほどのモノなのか。そもそも限界があるのか?
「・・・いつまで出せるのじゃ?」
「どうなんだろう・・・。」
過去には使い過ぎて倒れたり気分が悪くなったりと色々とあったが、マナが攫われて追いかける頃にはそれほど気にしなくなっていた。それ以前に気にしている余裕も無かったし、マナよりも純粋な疲労感が増していてどっちが原因なのか良く分からない。
30分ぐらい経過すると、マナが飽きてきたようだ。小魚が集まったところに小石を投げて遊んでいる。スーとポチも何もすることが無いようで、黙ってこちらを見ている。少なくとも俺にはそう見えた。
「・・・も、もうそのくらいでよい。いつ終わるか分からないのも不安じゃが、お主が倒れてしまうと、なんか後ろから恨まれそうじゃ。」
目を細くして俺の肩に手を乗せた。それが合図となって水を出すのをやめたのだが、結構なほど貯まったようで、赤い紐まで最初の水位と比べると残りは半分くらいに。体調にも変化はない。
「・・・そうじゃ。礼に飯を食べて行くがよい。肉は無いがお主なら満足するはずじゃ。」
そう言って俺達を建物の入り口へ案内する。入り口と言っても正面からではなく、勝手口のようなところだ。中に入ると懐かしい匂い・・・畳だ。中には囲炉裏も有るが、土間にかまどが有るので料理はここでするのだろう。
「上がってくれて構わんぞ。」
俺は昔の習慣が抜けていなかった。だから当たり前のように靴を脱いでいたのだが、スーとマナが不思議そうに俺を見ている。
「ここで靴を脱ぐんだよ。ポチはこっちきて。足拭くから。」
背負った袋を下ろし、タオルを取り出すと、少し湿らしてからポチの足を丁寧に拭く。されるがままのポチも不思議そうな表情だ。
「お主の話で聞く限りじゃが、やはり似ておるな。」
「畳を土足で上がるなんて俺にはちょっと。」
「そうじゃな。」
笑っているナナハルはスーやマナ、フーリンなどとは違う美しさが有る。そのナナハルは、あんなひらひらの多い服で料理するのかと思っていたら、慣れた手付きでたすきを掛けていた。髪の毛もキュッと縛り、見事なポニーテールだ。
「あ、先に茶を出すべきじゃったな。」
「お構いなく。」
既にマナが太郎の指をしゃぶっている。その指からは水が出ているのだが、行儀が悪く見える。
「ほれ、湯のみじゃ。」
受け取って指から水を注ぐ。普通に考えれば変な光景だ。
「便利じゃのう。わらわは一人で水を汲んで・・・この人数では水が足らん。」
水瓶の蓋を開けた時に小声で「シマッター」と言っていたのは気が付かないフリをしておき、袋の中から久しぶりに取り出したビーチサンダルを履くと、土間の水瓶に水を足そうとしたのだが、その直前に止められた。
「先に味を確認させてくれ。」
「そんな事しなくても美味しいわよ!」
マナが言うのを無視して湯のみを俺の前に差し出してきた。それも申し訳なさそうに、小さな器を両手で持っている。注いだ後にその水をまじまじと見つめてから口を付けた。一口飲むと、誰が見てもわかるほどに驚いている。
「なんじゃこれ・・・ゴダイ山の湧水のように美味いぞ。これで酒を造れば最高じゃな。」
「でしょー!」
いつも通りのドヤ顔のマナである。
水瓶に水が満たされるまで黙って見詰めていたナナハルは、丁寧にお辞儀をして柄杓で水を掬う。そこからは俺には手伝えないので、囲炉裏の傍に座って待つ事にした。
囲炉裏の傍は畳ではない。木の板がハメてあるだけで、なにかの草を編んで作った小さな座敷が置いてある。火は入っていないので暖かい事は無いが、まだ入れる必要もないだろう。
暫くするとマナがポチを枕替わりに昼寝をしていて、スーは何か落ち着かない感じだった。
「何もしないのって、なんとなく、あれですよネ?」
「そーだね。なんか手伝おうか。」
ナナハルにそう告げるとスーは料理を手伝う事にしたが、見た事のない料理ばかりで、手伝うというより、教わっている感じがする。
その光景を見て思い出したのは風呂だ。こっそり探そうとするが直ぐに気付かれた。
「風呂場はそっちの渡り廊下の向こうじゃ。客人としてもてなすつもりなのだが・・・まぁ、仕方ないのう。」
風呂場は広く、全員で入っても十分に余る。しかもこれ檜造りじゃないか・・・。なんだこれ、デッキブラシも有るぞ。お湯は直接出せるし、とりあえず洗うだけでいいか。
陽も傾き始める夕方。意外と時間の経つのが早い。スーとナナハルの二人で配膳をしているのを黙って見ていたが、ポチにも同じようなモノが出されている。
「さっきも言ったが肉はないでの、それで我慢じゃ。」
と言ってはいるが、見た目は何かの肉っぽい。スーが笑顔でポチに言った。
「さっき味見させてもらったんですけど、凄いですよ。ポチさんも満足します。」
半信半疑のポチは匂いを嗅いでいる。ちなみに配膳されたのは俺達の分だけでナナハルの分はない。
「わらわは客人が食べた後で食べる。気にするでない。」
一緒に食べたかったとは思うが、これが普通なのも知っている太郎は手を合わせて言った。
「いただきます。」
三者三様の表情で見られたが、マナが真似をするとスーも同じことをして、ポチは手を合わせられないので目を閉じて暫く待った。
「美味い。凄い。」
久しぶりにご飯だ。白米だ。お箸で食べている。懐かしい。これは味噌汁だよな。豆腐も有る。沢庵だー。それにこれは肉ではないが食感はまるで肉の様だ。川魚については食べている途中でナナハルが説明した。
「水が少なくて川魚も小さくての、今は獲るのを控えておるのじゃ。」
スーとマナが箸の使いかたに悩みつつ、教えながら食べ始めた。何とか使えるようになっていて、美味しさについては表情が物語っている。
問題のポチだったが、その肉のようなものを最初は舐めていたが、食べ始めるとガツガツと食べていたから、気に入ったんだろう。
何もかも懐かしく感じる食事はあっという間に満腹の二文字で心も体も満たされていた。




