第45話 追跡
魔法部隊の兵士たちに囲まれた太郎は意外にも冷静だった。一番慌てているのはスーで、後ろを警戒しつつ、目は常に動いて姿勢は僅かに腰を落とし、直ぐに次の行動に移せるようにしている。ポチが喉を鳴らす。
「あの娘とはどういう関係なんだ?私の質問に素直に答えてくれれば少しくらい見逃してやってもいいぞ。」
目的は足止めなので、少しでも遅らせればよい。太郎にしてみれば数百人の軍人に追いかけられるうえに、国内で常に人の目に怯えなければならなくなることを考えれば、見逃してもらう方をとっても良いのだが、嘘とバレるようなことを言うわけにもいかず、言葉にするには気を付けて考えなければならない。
「彼女は俺の大切な人だ。」
「大切な人?あんな小娘がか、お前はそういう趣味でもあるのか?」
世界樹が擬人化している姿は一般的な娘で、子供の部類に含まれるだろう。妹と言った方が良かったのだろうか。
それにしても、この距離で会話しているのに太郎があの魔法を使った本人だと気付かれていないのは幸いだった。マリアは気が付いているがグレッグには説明しておらず、グレッグ自身あの魔法は見ているが容姿まではっきり見たわけではない。
「長く一緒にいるんだから大切なのは当然だ。だからこそ、なぜ軍が連れ去ったのか。その方が気になるんだが?」
「この世界の・・・いや、答える必要はない。訊いているのはこちらの方だ。」
軍人と言えば情報を隠して教えてくれないという勝手なイメージが有るが、こちらの世界の軍人も変わらないという事が分かった。もう会話する意味はない。
「もう通してくれてもいいだろ。」
どのくらい時間を足止めすればいいのか、そこまで言われていなかったことを思い出すと、要するに無理をせず可能な限り引き延ばせばいいのだから、適当な事を言っておく。
「我々の行動をこれだけ足止めしているんだ。ちゃんとした理由は有るんだろうな?」
何を言っているんだコイツは。と、思ったのは太郎だけではなかった。もはや、ただの言いがかりだ。足止めをしておいて足止めをされているという被害者的な発言は小さな怒りを伴ったが、どうにか爆発はさせなかった。争い事は好きではないし、避けたいが、自分の行動を邪魔されるのは純粋に腹が立つものだ。
太郎が呟いた。
「剣を抜くふりをするから上に飛んで逃げるよ。」
アイコンタクトのような高度な意思疎通は出来なかったので、これは仕方がない。風魔法を駆使すれば高く跳びあがる事も可能だが、どうしてもマナの消費が激しい。逃げる手段としては悪くは無いが、相手の中に風魔法に長けた者がいたら追いつかれる可能性もある。しかし、戦うよりは何倍もマシな筈だ。
「足止めした覚えはないね。」
「現在、しているではないか。」
「では、俺達は行ってもいいんだよな?」
攻撃は指示されていないから取り囲んで見ているだけだが、ポチに睨まれると腰が引けている者もいる。まだ小さいと言ってもケルベロスは凶悪な魔物として一般的な認識がある。
「その魔物を連れている理由も確認せねばならないな。」
「ちゃんと許可は得ている。」
「証明は?」
苛立ちが爆発寸前だ。見た目は若くなってもおっさんだった時の精神は残っていて、無駄な問答ほど腹が立つ。大きな溜息を吐くと、腰の剣に手を当てる。まだ合図とは違う。怒る演技も必要かと考えていたが、本当に怒っていて演技の必要はなかった。腰を落とすと、周りの雰囲気も変わった。視線が痛いほど突き刺さる。
剣を半分まで引き抜くと、すぐに元の位置に戻し、ポチとスーとともに真上にジャンプした。風の魔法で跳躍力を強化したのではなく、純粋に直上へ飛ぶ。一気に10メートル以上の高さまで来ると、魔法障壁を足元に作り、足場がわりにして乗った。足元からいろいろな魔法が飛んできたが、土魔法と水魔法を混ぜ合わせるようにして作った壁は意外なほどに強固で、壊れることなく一息つくだけの余裕が有った。しかし長居は無用だ。
「魔法障壁を空中に作るのは理解できますけど、こんな使い方は発想した事なかったですねー。」
「どうする?」
「あっちに行ったからそのまま追いかけるさ。」
太郎の示した方向は王国の首都を指している。足元の魔法攻撃が途切れると、同じ様に飛んで来る兵士たちが無数に見え、グレッグがズバ抜けて早く昇ってくる。それを冷静を通り越して冷ややかな視線で睨むと、示した方向に向かって飛んだ。
飛びながら魔法障壁を次々と置いてゆく。一定時間で消えてしまうとはいえ、猛スピードで移動する者にとって避けるのは難しい。追いかける方は飛びながら攻撃魔法を放つ余裕はなく、太郎の魔法技術がかなり高い事が証明された。そして移動速度はポチとスーとくらべても遜色ない。
グレッグだけが、更に加速して追いかけてきた。置かれた魔法障壁を体当たりで破壊しながら進み、更に火魔法で攻撃してきた。
魔法は届かなかった。風魔法のマナコントロールが難しい上に飛びながら魔法を打つ事など経験する者はそうそういない。
「あの速度で飛びながら魔法障壁を置いていくとはいったい何者・・・まさか?!」
気が付いた時は遅かった。このまま飛び続けてはマナが枯渇してしまう。同時に太郎以外も限界が近い。太郎だけはまだマナに余裕があり、スーとポチが減速し始めたので右腋でポチを左脇でスーを抱えて飛び続けた。とは言っても、追手がいなくなるまで1分も必要にならなかった。最後のグレッグが落下していくのを確認すると、少しずつ減速し、ゆっくりと降下した。
地上に降りた最初にスーに驚かれた。
「あんなにマナを消費してまだ飛べるなんて、どれだけなんですかー。」
「多分薬のおかげかなあ。」
「薬のおかげだけであんなに魔法を使うとか、飛びながら魔法障壁を置いていくとか、意味が分からんレベルだぞ。」
ポチもケルベロスとしては年齢に比べてかなりの腕前なのだが、マナの保有量は少なく、少しふらふらしている。
「それにしても、なんであんなに邪魔してきたんだろうな?」
「マナ様が世界樹ってバレてるとかあるんですかねー?」
「可能性としてはかなり有りそうだな。」
「しかし、そうなると連れ去った最大の理由って・・・。」
魔女の研究対象として実験体にされる可能性が激しく怖い。
「い、急ごう。なんか嫌な予感しかない。」
首都に向かって歩く一行は、マリアに遅れること10日以上。二つの町と一つの村を通過して、人目を気にしつつ出来る限り目立たないように行動して、やっとの思いで到着した。魔王国と比べるとかなり貧しく見え、広大な田畑と一部だけ大きな建物がアンバランスに配置されている。王城が目立ち過ぎるほど大きい。
リバウッドと呼ばれる町では冒険者の姿があまり多くなく、冒険者ギルドの周辺の酒場や鍛冶屋、道具屋にぽつぽつと確認できる、国営の商工ギルドに人気がないのは国境での会戦が終わって募集が無いからなのだが、その人気のない原因が、今の自分達にあるのではないかという疑いを消す事が出来ず、スーと相談して裏ギルドを利用する事にした。
「情報を集めるだけならこっちを利用した方が早いんですよ。お金はかかりますけど、今の私達なら問題ないです。」
裏ギルドと言っている割には堂々とした建物がある。宿屋兼酒場の平屋建てで、意外と大きい。人相の悪い男もいるが、想像以上に普通のギルドとあまり変わらない。町の中心からそれほど離れた場所に有る訳でもなく、畑と水路に囲まれているので、初見は大きな農家という印象をぬぐえない。
数時間前に到着していたグレッグの部隊はすでに任を解かれていて、待機状態の兵士たちに死者が無いことを確認すると、それを報告する為、城の隅の方にある小さな司令室に向かっていた。
ノックして反応を待ってから入室する。
「予定より早いけど、その様子だと逃げられたようね。」
「申し訳ありません。あれほどの使い手だとは思いませんでした。」
逃げられた時の事を細かく伝えると、マリアの方も少し驚いた様子だった。
「風魔法で飛びながら魔法障壁ねえ・・・。」
「マリア様が連れてきた娘はどうなりました?あいつらは大切な人だと言っていましたが。」
椅子から立ち上がって手招きすると、マリアが隣の部屋に入る。そこには全裸で寝かされた少女の姿が有り、流石に目を逸らした。
「あら、あなたには刺激が強かったかしら。」
首と両腕両足にもリングが付けられていて、身動きが出来ない。何かを諦めたかのように堂々と寝ていて、隠したり恥ずかしがったりはしない。
「人間だと思うからダメなのよ。」
「は、はぁ・・・。」
マリアが寝ている少女の手を持つと、いきなり握りつぶした。指が明後日の方向に曲がる。しかし、痛がる様子も無く、手を離すとすぐに元に戻った。
「擬人化した姿なのよ。凄いマナの力よね、本来だったら姿を維持することだって困難な筈なのに、両手両足を切り離したっても元に戻るのよ。」
「それはもう化け物ではないですか。」
「そうね、確かに化け物ね。放置したらとんでもないことになるわ。何しろ500年以上前に燃やされた世界樹ですもの。」
グレッグの理解力が限界を超えた。
「世界樹ってあの?」
"あの"という短い言葉の中には溢れんばかりの意味が込められている。ドーゴル魔王国とハンハルト公国とは一部内容の違う話がガーテンブルク王国に伝わっている。コルドー神教国にも世界樹の話はあるが、建国されてからまだそれほど経っていない国には影響が少ない。長く存在していて、多くの人々に影響を与え、周辺国のみならず荒れた大地や大海を越えた向こうの国にまで知れ渡っている。
それだけの影響力を持つ世界樹がこの少女だと受け入れるのは普通は困難だろう。会話を再開するまでの数分間の無言がそれを物語っていた。




