第388話 向こうへ
その日はエルフと兵士が共同訓練をしていて、村の中はいつもにも増して慌ただしかった。事前に通告されているから混乱はなかったが、何十人ものケガ人が出るほどの模擬戦闘は苛烈を極めた。
「もっと死ぬ気で守れ!」
「この村が無くなったら明日の飯は無いんだぞ!」
兵士が報告に来る。
「隊長、左翼の森に進撃が撃退されました!」
「流石に森に入ると強いな・・・。よし、お前はハンドマンだったな。」
名を呼ばれ背筋を伸ばす。
「森から出てくるところを狙えるように魔導兵を配置しろ。個々の能力はエルフの方が上だ。一人も逃すな。」
敬礼して立ち去る姿を見送る。
総指揮のチャチーノは副官のチャライドンに相談する。
「右翼はどうだ?」
「もう一圧しだな、森に追い込めれば・・・。」
「リミットはあと一時間か・・・。」
ダンダイルの指示で、今回の模擬戦闘は3時間と定められていて、それを過ぎれば即時撤退、戦闘終了となる。
「オリビアの戦闘指揮と統率力は凄いな。やはり信頼力で負けてるんじゃないか。」
「無理を言うな、子供に人気のある指揮官に勝てるワケないだろ。」
「お前の方も俺より人気があるのに副官になりやがって。」
ニヤニヤしながら応じた。
「閣下にはかないません。」
苦汁を飲まされた表情に変わるが指示を飛ばす。
「ならさっさと行け、迷いの森に追い込めれば評価で勝てるだろ。」
一方、エルフ側では意外なほどの抵抗にあい、森の手前まで追い込まれていた。
「トーマス、様子はどうだ?」
「意外なほど統率力がしっかりしていますね、矢を放って分断を狙っているのですが、シールド隊が強固に動かず耐えられています。」
「うーむ・・・今回は武器に差が無いようにされてしまったというトコロがな。」
「魔弓が使えませんので吹き飛ばせられないのです。」
「魔法も風以外は使用禁止で拮抗させられますね。」
「奴らは必ず我々を森に追い込もうとする、その時に隊の入れ替わりが行われる、その瞬間を狙いたいが・・・。」
真正面から迎え撃って行く予定だったエルフ軍は、進撃を止められた上に後退を余儀なくされていて、ソコには重盾兵がゆっくりと進んでくる。
「とにかく時間は1時間を切った。入れ替わりを見逃すな、そこにしか好機は無い。」
「ではオリビア様も前に出ますか?」
「無論だ。こちらの右翼は反撃に出て時間を稼いでいる。後退命令と同時にこちらが突出し、森の中に入り込まれないように伏兵を敷いていると見せかけてこちらへ向かわせろ。急げ!」
「はっ。」
こうして、時間が30分を切った頃、エルフ軍の右翼が一気に後退し森の中へ逃げ込んだところで事態は急変した。
「伏兵が来るぞ!突入中止だ!」
誘い込むような最低限の反撃の矢は、危機感を覚えさせた。
それこそが目的だと気が付くには時間が足りない。
「よし、相手は掛かったぞ、左翼に回れ。」
左翼では囮役のオリビアが最前線に出てきて、士気が一気に上がった。
大歓声が沸き起こると、突撃してきた魔王軍の剣士隊に無数の矢が飛び、進撃を止める同時にオリビアが突撃した。
「おい、交代に手間取るな、訓練通りにやれ!」
こちらも最前線に出てきた副官のカールが檄を飛ばす。
慌てふためく部隊に一定の統率力を取り戻させたが、そこに追撃が来た。
「何処からか矢が?!」
森に押し込んだはずの敵の右翼が、突撃してくるのが見えた。
放たれた矢の殆どに威力がほとんどなく、ただ降ってくるだけにも見えたが、混乱するには十分だった。
「おかしい、あんなに遠くにいた筈の部隊が何故こっちに?!」
気が付いた時、更に後方から魔王軍の左翼が追いかけてきた。
だが、どうしても遠すぎる。
到着するまでに右翼は大混乱のまま蹂躙されるだろう。
既に前線はオリビア一人の進撃も止められない。
配置した魔導兵は敵味方が入り乱れて混戦している所為で反撃も出来ず、後退を余儀なくされた。
凸陣形の最前線に立つ戦いの女神は勝利を呼び込んだのだ。
時間が過ぎると、上空に合図の爆発が起きる。
見上げたのはその爆発ではなく、この後に行われる戦闘検討会を想起したからで、敗色が濃厚だからである。
「畜生、やられた・・・。」
それは、ルカが戦況結果の報告書を受け取るよりも早く呟いた一言だった。
ダンダイルとトヒラが、カールとルカ、オリビアとトーマスの四人を迎え、美味しいカレーが提供された部屋でお互いの健闘を称えた。
カレーになったのは作るのが楽だったという合理的な理由である。お代わり自由という宣言もあって、模擬戦に参加した者達は別の歓声が上がっていた。
両軍合わせて800人が参加する規模の戦闘訓練は久しぶりで、合同模擬戦闘の結果を検討を食事と並行しながら行い、いくつかの問題点を確認して終えた。
三杯目のカレーを食べながら、トヒラが少し不貞腐れているように言った。
「エルフの女性兵は人気が有りますね。」
魔王軍にも魔導兵や弓兵、数は少ないが剣士隊にも女性はいるが、エルフと比べると見劣りする。男どもにとって戦地の女性兵士は貴重な恋愛対象なのである。
そして、犬獣人と猫獣人、他種族の者達が並んで食事をする光景も見慣れた。今までだったら同じ軍隊内でも勝手に分かれて食事するのが普通だったのだ。
「同じ軍内でも差別はある。しかし、ここでは感じないですね。」
「それは君達四人の功績でもある。他の所では未だに上下関係に厳しい者も居てな。もちろん、上司上官を敬うのは間違っていないし、命令に従うのは当然だ。だが、従いたくなる者の方が良いだろう。」
「太郎殿の功績の方が大きい理由ですね。」
「否定はしない。しかし、功績として認める事も出来ない。」
「面倒な話ですな。」
「太郎殿は我々にとって恩人で、尊敬も出来るが恐ろしい人でもある。」
「・・・オリビア様?」
「怖いというのはその能力と実力もそうだが、少なくとも多くの人の心に影響を残している。そして世界が変わろうとしている。我々の常識は明日の非常識に成るだろう。」
「太郎君の事は注視していてもな・・・気が付くと、とんでもない事を終わらせているからな。」
気が付いたら既に終わっていた。
そんな事が何度も有ったのだから、何を手伝えばいいのか分からないというのが共通認識である。
そもそも、出来ない事が有るのか、謎でもあった。
「そういえば、今の太郎君は何をやっているんだ?」
「世界樹の苗を植えに行くとの事で、家族で出かけました。」
「なんか冒険というより散策感覚だな。」
「えぇ・・・ちょっと行ってくると言って帰ってこない人を何度も見てきましたが、あれほどいつ帰ってくるのか心配にならない人も珍しいと思います。」
逆に何処を歩いているのかの方が気に成る。
「昨日までは街路樹を植えていたようだしなあ。」
村の主要道路に彩りが少ないと言って木を植えていた。
それも半分はトレントだから恐ろしい。
残りは何故かリンゴの木だった。
トレントの出す赤い実とリンゴは似ているというのも有るのだが、トレントが凄くリンゴを気に入っていて、どうやら恋心を抱いているようなのだった。
ちなみに、街路樹に成る木の実は自由に取って食べて良いとしているので、村での売れ行きが下がるかと思ったが、カラー達が朝早くからやってきて食べている事も有り、鳥と同じモノを食べようとする者は減った。
店売りなら食べるのだが、たまにワイバーンも食べているので取り辛いらしい。
「あの木の実が魔王国なら銀貨で取引されるんですよ、信じられません。」
「もっと安かった筈だが?」
「トレントの木の実ですけど。」
「あの木の実そっくりだから、ぱっと見で区別付かないのは分かるが・・・。」
「トレントとリンゴの木って見た目も何となく似ているんですよね。」
「流石に魔力の違いで分かるだろ。」
「このカレーにも入っているそうです。」
「・・・原価は知りたくナイな。」
「同感です。」
リンゴとトレントのように数が増え、世界中に世界樹の木が在るように成ると、どうなるのか?
街路樹の全てが世界樹だったら?
世界樹の森化。
もう規格外の度が過ぎる。
「そう言えば夜になると光る実を見付けたとかで、自宅周辺に植えてましたね。」
「そんな実が有るのかね?」
「ホオズキと呼ばれるモノらしいのですが。」
「そんな貴重な物でも、植物なら増やせると言ってましたし。」
「世界樹様が本気を出したら世界が植物で覆われてしまうだろうな。」
「・・・植物で覆われたワケではないのですが。」
今度は何だ。
「湯舟に柑橘系のモノで埋まっていました。」
「なんの意味が有るのだね?」
「なんでも、柚子とか呼ばれる木の実で、凄く良い香りがするんです。」
「匂いだけか。」
「なぜか身体がポカポカするんですよ。」
「トヒラは入ったのだな。」
興味に負けて入ったと、恥ずかしそうに自白した。
横でもう一人の女性も頬を染めてそっぽを向いた。
「あの汗臭い鉱山で良い香りがしたら、流石にですね。」
何故かトーマスが弁解している。
「最近の太郎君は活動的になっていないか?」
「特に問題を起こしているワケではないのです。ですが、凄く興味を引く事ばかりするのです。」
「村に緑が足りないから今度は森林公園を造ると言ってましたよね。」
「温泉の川を拡張して足湯を作るらしく・・・。」
何を言っているのか、理解はデキるが咀嚼するのに時間がかかる。
「子供が一人で遊んでも誘拐されないくらい平和にしたいと言っているのが、よくわからなくて。」
「・・・それは確かに平和かもしれないが、商人や冒険者も入りにくくならんのか?」
「村に住んでいる人達の為のモノらしいです。」
「薔薇園とか椿園とか、変わった事も言ってましたな。」
ちょっと太郎君が何をやっているか聞いただけで情報が続々と出てくる。
旅の冒険者がこの村でしか手に入らない事を知ってやってくる事が有るのだが、あまりにも簡単に目的のモノを入手出来てしまう為に、この村に居ると危機感というものを見失ってしまうらしい。
「でも、家畜の方の管理は厳重になりましたね。」
「ウシとニワトリとカエルの肉は絶品だものな。」
「植物の塀を作って見えにくくし、更に木の実が付く植物にする事によって興味を逸らせるとか。」
「アイデアとしては発想する事も有るが、実行に金と時間が掛かり過ぎるのが難点だな。まぁ、世界樹様にうどんが居たらそんな問題も解決するのは分かってはいるのだが。」
「たまにお茶を飲むことがある、そのお茶の葉は垣根から採っているとか言ってましたし。」
「そう言われると、村の中心から離れたエルフの方にはそういうものが多いな。」
「太郎殿が嬉々としてやっていました。我々は仕事が増える事で労働力として扱ってもらえる事の方が助かるので問題は有りませんし。」
「このアイデア、魔王国でも時間は掛かるが出来るよな?」
「アンサンブルでもやろうと思えば可能ですが、あまり価値あるものですと、完成前に摘み取られてしまうでしょう。」
「郊外に作った果樹園や畑は拡張しているのだろう?」
「収穫量は増えていますが、この村の収穫物と比べると味がガクッと落ちますので。」
「種一つ拾っても他に持ち込めば高級品だからなあ。」
「太郎殿曰く、真似される事が無いのなら隠さずやってしまおう作戦、らしいです。」
「ここ数ヶ月、周辺を徘徊する野盗や盗賊が減った理由がそれか。」
「そうなりますね。」
「一年後にこの村はどうなっているんだろうな?」
「想像が出来ません・・・。」
ダンダイルとトヒラが、オリビアとトーマスが、居住者という立場と、観察者という立場の違いではあるが、悩みは同じだ。
カールとルカは、変化が有れば報告するようにしていて、集めた情報を整理してトヒラに提出する。
悩むという点を捨てたのが駐屯する立場の二人であった。
「・・・そうだ、以前に太郎君から言われたのだが。」
給仕がそっと置いて行ったほんのりと良い香りのする、湯呑と呼ばれた器に注がれたお茶を、自然と掴み、ズズっと飲んでから声を整えた。
「シードラゴンがそのうち来ると言ってたが、真偽は調べたか?」
あまりにも自然な動作に、全く気が付かず、言葉の方に注意を向ける。
「ナナハル殿が言うにはいつか来るだろうとの事ですが、いつなのかは全く分からないと。その日の気分で明日かもしれないし、来年かもしれないし、100年後かもしれない。そう言われました。」
「海の竜が山奥までやってくるのは間違いないのだな?」
「いつになるのかは分からないだけで必ず来るそうです。」
ダンダイルはお茶を一気に飲み干してから、自分に気が付いて、近くに控える給仕にもう一杯を頼む。
全く、常識を何回塗り替えれば気が済むのか。
数日後に見るこの村の夜景を眺める事となるダンダイルは、今ですら毎日の変化に戸惑っているのである。
少し前までは何をするのかを悩んでいた感じが有ったのだが、ある日を過ぎてから変わったのだ。
その、ある日というのが、ワンゴの事について知ったというのが始まりだったのは一部のモノでも知らない太郎の決意の日だった。
「この村はどこへ向かっているのか突き止めようとした時には、すでに向こう側に居るのだから、掴みどころが無いのではなく、掴む事すらできないのだな。」
「向こう側ですか・・・。」
最近のトヒラは大きな事件や調査も減り、この村に集まる不届き者の調査を主任務としていて、貴族を見付けた時は特に注意深く観察している。
以前のような事件が起きないようにする事は太郎殿の心の安寧に繋がると知っているからだ。ある日突然何日も姿を現さない事が何度かあって、その理由が悪夢に魘されている事を知った時から、トヒラはダンダイルにだけは報告していて、原因が聖女に有ると知れば、無用の混乱を避ける為に部下にも秘密にしている。
「確かに、太郎殿の目は周囲よりも遠くを見詰めている気がしますね。何処と無くそのまま飛んで行ってしまいそうな気がします。ですが・・・必ず帰って来ると信じてしまっているんです。根拠も理由も無いのですけど。」
「それは何となくだが、同意してしまうな。太郎殿が不在なのは見れば直ぐ判るし、それだけで安心してしまう自分は、警備兵としては不合格と知っていても。」
トーマスの発言にカールとルカが笑った。
笑って同意していて、オリビアも同意の頷きをする。
ダンダイルは新しく注がれたお茶が届いたことを確認すると、受け取った後に湯気を吸い込む。
「こんな平和な気分は初めてだ。」




