第387話 見上げた空
「おーい、誰か知らんか?」
「えー、わかんなーい。」
「お父さんもいないけどマナもマリナもいないよ。」
「どこかのう・・・。」
などと、捜されているとはつゆ知らず、太郎は世界樹のてっぺん付近にいた。
てっぺん付近というのは、てっぺんより少し下にある枝葉の上に、マナが蔓を生やして足場を固め、寝転がっても落ちないくらいの広さを確保している。
風は吹かない。
シルバが止めているからだ。
「真っ青な空だなー。」
「ねー。」
マナは転がってる二人よりも、蔓を伸ばして部屋を作ろうとしている。
なんか丸い実が生えてきたんだけど。
美味しいというか、これ葡萄じゃん。
「隠れ家に良いなー。」
「ねー。」
屋根を作ったところで飽きたらしく、太郎に飛び乗ってくる。
「こんくらいでいいよねっ。」
「十分だねー。」
「ねー。」
広さ的には8畳ぐらい。
3人で囲んだら満席になるくらいの小さなテーブルを置いて、持ち込んだパンとコーヒーを出す。サラダは無いので、頭の上に生っている葡萄を一つもぐ。
「屋根があって助かる、陽射しが強いな。」
「ねー。」
地平線の彼方を見詰めながら、ゆっくりと食べる。
ほら、ポロポロこぼしてるヨ。
なんでマリナが面倒見てるんだ・・・。
「そう言えば、神様はまだ寝てるのかしらね。」
「あー、呼ばなくていいんじゃないかな。起こしたら悪いし。」
「どうせ暇してるだけなんだけどね。」
「神様見たかったなー。」
「マリナならいずれ会えるよ。」
「そっかー、じゃあ楽しみにしてるね。」
満面の笑みでパンを口に放り込む。
もぐもぐ。
咀嚼音しか聞こえない静かな場所だ。
「それで、どうしてここに来たくなったの?」
太郎は口の中のパンを飲み込んでから応じた。
「夜寝るのが怖い時が有ってね。」
「まだ、あの嫌な夢を見るの?」
「たまに思い出すんだ。人を殺したこと。人を見殺しにしたこと。」
地上でうどんがソワソワしているが太郎を見付けられない。
「人殺しになって平然としていられるほど、俺の心は強くないんだよ。」
マリナが悲しそうな表情で見つめてくる。
まるで自分に何か悲劇が起きたかのように涙まで流して。
抱き寄せて頭を撫でると、マリナは顔を擦り付ける。
「感情も伝わってるみたいね。」
「二人で一人みたいな感覚の時も有るけど、急に何でも出来るような錯覚に陥った時とか、なんで俺がやっているのか不思議に思う時とか、助けて欲しいけど誰に助けを求めればいいか分からなくなった時とか、不安と恐怖で動けない時とか、気が付くと傍に居るんだよ。」
「心配なんだよね。」
「うん、そー。」
「あの時ほどの絶望感は無いけど、今でもたまになるよ、何も上手くいかなくて全てを失うような感覚。」
太郎は聖女の悲しみを受け止めた。
そして、耐え抜いたとはいえ、人としての感覚を一部失った気もする。
「ナナハルも、ポチも、スーも、エカテリーナも、俺の子供達も、他のみんなも心配してくれる。嬉しいけど辛いんだよ。」
「子供達も大きくなったもんねぇ。」
「大きくなり過ぎだよ。」
畑仕事をしても疲れ知らず、戦闘ではすでに大人顔負けの威圧持ち、俺にあんまり似ている気がしないくらい美男美女。
娘なんかは俺の子供を産みたいと縋る事だってある。
母親が推奨してるからさらに困る。
「俺が以前いた世界では、優秀なんて無縁だったけどなあ。今じゃ何をしても凄いって言われて、俺の知識じゃないしオリジナルでもないから恥ずかしいだけだよ。」
「パソコンで一人遊びしてるくらい寂しい生活してたもんね。」
「そ、それは言わないでくれよ。」
「むー!」
マリナが怒っている。
あっちの世界での話はマリナの記憶に一切ないから、寂しいのだ。
「キスしてくれないとフーリンに子作りしてきたって言っちゃうよ。」
「悪いこと覚えたなあ。」
「えへへー。」
褒めてないし、犯人はすぐわかる。
全く・・・。
「ここなら誰もいないし、いいか。」チラッ
「世界樹の波動で認識しにくくなってるから問題ないわよ。」ウンウン
「じゃあ、ご飯食べてからにしよっか。」
「やったったー。」
ともかく、楽しんだ。
それだけ。
家に帰ると昼食が用意されていて、エカテリーナがぼんやりして待っている。
もう昼を過ぎて昼食を食べている者など一人もいない時刻になっていた。
そのテーブルに座って太郎は食べ始めたが、なかなかこちらを向いてくれない。
怒っているワケではなく、拗ねているだけなのだが・・・。
「ちゃんと理由があったんだから、素直になりなさい。」
マナに言われればエカテリーナは溜息を吐いて諦めるしかない。
そういう存在なのだから。
「太郎様は狡いです。」
「ごめんって。」モグモグ
「本当はちゃんと温かかったんですよ。」
「冷めてるけど美味しいよ。」
と言ったのはマリナである。
「それに、皆さんが太郎様を捜していましたよ。」
「ん?なんか約束してたっけ?」
「約束とは言っていませんでしたけど、何か凄い不安になったそうです。」ムギュ
いつの間にか笑顔を太郎に向けているうどんにエカテリーナは抱きしめられている。
凄い嬉しそうなのは何でだろう。
「なにかあったん?」
「お、おったおった。」
「あれ、ナナハル?」
「はぁー・・・、なんとも無いようでよかった。うどんの気配を探っておって正解じゃったの。」
あのうどんがソワソワしている時は、抱きしめる相手を見付けられない時。そして見つけられない相手というのは、だいたい太郎であるという事。
太郎でなければ行けない場所がどこかに在る。
それが何処かという確証は無いが、不安だけは有るのだ。
もちろん、ナナハルはこの事を誰にも相談していないが、魔女も聖女も、気が付いていて、同じ不安を持っていた。
「世界樹もマリナもおるのなら問題はないか。」
「なんでマナとマリナが関係あるの?」
「関係ない方がよっぽど気が楽であったんだが・・・。」
ナナハルは正確に教える気が無いようで、安心したうどんを連れて厨房に戻ったエカテリーナが座っていた椅子に、荒々しく音を鳴らして座った。
「あんまり心配させんでくれ、正直、肝が凍るかと思ったぞ。」
冷えを通り越してる。
「スーやポチもなんらかの不安を感じてはおるようじゃが、そんな時にうどんを捜すのでな、それに倣ったワケじゃ。」
「あー、そゆコトね。」
マリナは察したが、俺は分からないぞ、なんの話だ。
マナは何も気にせず冷えたスープを飲んでいて、その様子を窺い知る事は出来なさそうだ。
「まあ、何があったかは訊かぬ。訊いても助けになれん事も知っておるでの。」
ここでやっと太郎は察した。
「あー、以前みたいに俺が起きなくなっちゃうみたいな?」
「半分正解ってところじゃな。」
正解は、太郎が忽然とこの世から消えてしまう恐怖であって、その不安は常に有る。
そもそもこの世界の住人では無い事で、祖先を辿ればこの世界の住人に間違いはない。しかし、いつでもどこへでも自由に移動が出来る存在になったとしても、遠く離れた場所に居るのと、手が届く事の無い別世界へ行ってしまうのとでは、雲泥の差がある。
「なんにしても太郎はもう少し荷物を下ろしても良いのではないか?」
「責任は感じてるよ。そして下ろしたい荷物はたくさんあるんだけど、下ろすにはもう少し時間が必要かな。」
「それは100年後か1000年後か。」
「10年後かもしれない。」
そう応じてからナナハルを見たが、目には僅かに怒りが込められているのを感じる。
その程度では太郎に恐怖なんて感じないが。
「お、お手紙をお持ちしたんですけど・・・。」
その怒りを感じているファリスが、恐怖に震えながらも太郎に手紙を渡した。
デュラハーン達は、本来ギルド内で子供に与えられる仕事である手紙の配達をやっていて、ファリス以外にも数人がこの村の中で働いている。
仕事自体がそれほど多くないので、今の子供達は小荷物の配達もやっていた。
「ありがとう。」
逃げるように去っていくファリスを目で送りつつ、受け取った手紙は温めなおしたコーヒーを飲みながら読む。
内容は貴族からの招待状で、太郎は当然のように受けた事は一度もない。
以前のように力でねじ伏せようとする輩は減ったが、手紙に添えて何らかの物品を付属させるようになった所為で、断り難くさせるという作戦だ。
太郎にとって魅力的な物品だった事はない。
「なんかの薬の素材らしいけど、ナナハルはこれ欲しい?」
「超高級霊薬をいつでも貰えるのに欲しい訳が無かろう。」
「だよねー。」
なんでマリナが返事するの。
「どうにかして俺と会って交渉したいみたいなのは分かるんだけど、手紙で送られるとは思わなかったなあ。」
「仕事が増えるのは悪い事ではない、村の発展の為にも無駄な手紙を受けておけばよい。それで太郎が困ることは無いであろう?」
「会いたいとか、来て欲しいとかぐらいなら無視で良いんだけど、欲しいモノと金額をいきなり提示してくるのは危ないんだよなあ。」
無視された方の事情を考える必要を認めない。
「重鎮どもが送ってこない事で察せられると思うのじゃが・・・あ奴らは情報の共有というものをやらぬ。わらわも情報の大切さは知っておるが、この村と太郎を知ってからはある程度理解しておるつもりじゃ。」
その言葉には隠すべき情報は隠し通すという意味も込められている。
「・・・列車に乗りたがる人が増えてるのも良いんだけど、貴族が優先されているみたいだね。」
「・・・承知した。ぶん殴っておく。」
最近のナナハルは少し過激だが、実際に殴ったりはしないだろう。
多分。
しないよね?
良い笑顔してるなあ・・・。
「それにしても特権階級って碌な奴がいないよね。もちろん、良い人も居るのは理解しているけど。」
「太郎は貴族が嫌いなように見える。」
「好んで近付く気はないね。そもそも、立場を気にしなければならないようにしたいんだから。」
「そうであったな。」
「しがらみが無い世界にするのは無理だけど、この村でくらいは自由にしたい。」
「その所為で太郎が不幸になる事だけは許さん。」
慈しむような視線を感じた太郎は、ナナハルが本気なのを知っているからだ。
気が付いたら二人が静かだ。
「今日はこの後どうするつもりじゃ?」
食べ終えて眠そうな表情のマリナと、寝ているようにしているマナが、テーブルに涎を垂らしている。珍しくナナハルが二人の口元を拭いて抱きかかえた。
最近は甘えてこない子供達に少しの寂しさを感じていて、子育てとしての母親は卒業する時期なのかもしれない。教育者としての母親になるとナナハルはとても厳しい。
「そうだね、畑の様子を見て回るくらいかな。」
「平和で良い事じゃ。」
「子供達が血に飢える狂戦士に成る姿なんて見たくないからね。」
「・・・手厳しいの。」
平和であっても訓練や修行は怠らない。
スーにも飽きられているが、太郎は殆ど訓練をしない。
そこには理由も有るのだが、皆が納得するような理由じゃないだろう。
「さて、スーとポチと一緒に見回ってくるかな。」
それは食堂の外でこちらを見る姿に気が付いた太郎が、ご機嫌取りも含めて、珍しくマナとマリナが大人しいので、たまには並んで散歩する事にした。そういう平和な日こそ大事にしたいと、深い意味もなく、雲の流れる青い空を見上げながら、期待しながら待っているところへ向かうと、逆に向こうからこちらへ近づく。
「剣の修行しましょうねー。」
太郎は渋柿を口に放り込まれた気分になって笑った。




