第169話 マリアとグレッグ (5)
ガーデンブルクの執務室。
その部屋では今日ものんびりとお茶を飲む姿がある。
少し前までは凄いやる気に満ちていた筈なのだが、今の姿に軍人らしさと言うよりも、労働の意欲を全く感じられない。
何千年も生きている者にとって数十年何もしないで過ごすなど普通の事だが、100年も生きる事の出来ない者にとっては、数ヶ月で音を上げるほどの堕落ぶりである。
食事すらしない日も有るのでグレッグにとっては心配の種になる。
堕落すら通り越して、人としての生活も止めてしまっているような感じは、部下達に不安を抱かせてしまっている。
謹慎ももうすぐ解けるというのに、これでは困る。
困り続けていても解決策は無いのだが、ある日、突然に、急に、マリアは動き出した。その切っ掛けとなったのは、彼女にとって、とても大切なあの人だ。
早朝に意味も無くのんびりとしていた執務室で、何かを感じ取り、窓を開いて、夜明けの空を睨む。
「こ・・・この魔力は・・・!」
懐かしい感じがした。
数百年どころか千年以上捜し求めていた。
間違いない。
「マリア様?」
グレッグが心配して声を掛けるが、名を呼ばれてもなかなか振り返らない。果てしない空を、ただ見詰めている。
そして、彼女は言った。
「コルドーからの報告の話、間違いなかったわよね?」
「あいつらが嘘を付く事に何の利益も有りませんので。」
「そうよね、村にもならない規模で・・・魔王国がどれほど絡んでるのか調べた方が・・・。」
「では、ギルドを通じて?」
グレッグの質問に、首を縦に振らない。
「訓練はちゃんとしているのよね?」
「え?え、はい。もちろんです。」
「じゃあ、あそこの山まで飛んで行くわ。」
「今すぐですか?」
「ええ、もちろんよ。」
窓枠に足を乗せると、そのまま身を乗り出して窓から外へ出る。グレッグも慌てて追いかけるが、今回の飛行速度は今までとは比較にならないほど速い。
後ろ姿を探した時には、既に豆粒ほどの大きさに成るほど遠くにいて、飛行する前に、足元で訓練をしている部下達に一声かけてから飛んで行く。
その部下達は意味も解らず敬礼して見送った。
数時間後。
二人は山頂の少し平たい場所に居る。
食べ物も飲み物も無く、角ばった石に腰を下ろして休憩している。
「マリア様、ここからだとあのデカい木が良く見えますね。」
「アレが世界樹。」
「あの時の子供の本当の姿ですか・・・。」
「そうよ。あの成長力、あの高魔力、敵になってしまってはドラゴンの力が必要になるわね。」
「敵という事はいずれ戦うという事ですか?」
「もう戦ってるじゃない。」
クレッグは世界樹と直接戦ってはいない。それはマリアの記憶であって、グレッグはあの男に身体を斬られた事の方が印象に強い。
「今ならあの村に行けそうな気がします。」
「勇者の勘?」
「そうなんですかね・・・まだ良く分からないですけど。」
睨むように見詰めるマリアが視線をいくつか移動させる。
「迷いの森に誰か逃げ込んでるわね。」
「ここから見ると人がいるかどうかわかりませんが、明らかに手を加えた跡が見えますね。」
見下ろす山には、僅かに街道と思しきものが見える。
「行き交ってるどころか、あちこちに人がいるわね。」
「そんなにですか?」
「えぇ、馬車が動いているのが見えるでしょう?」
目を凝らすがグレッグには見えない。
「それにしても、少し寒いです。」
「そんなに寒い・・・確かに寒いわね。」
山頂に吹く風は地上とは全く違い、肌寒さと言うより骨にまで凍みる。
「もう少し観察しておきたいから我慢しててね。」
「はい。」
グレッグは偶然足元にあった枯れ枝を一本だけ見付け、魔法で小さな火を放って燃やそうとするが、冷たい風が吹き続けるために表面が焦げただけで終わってしまう。
「いた・・・いたわ・・・やっと・・・。」
そう呟くマリアの頬機赤く染まり、寒さの所為でなければ高揚感に満ちているのだろうと思う。
「でも、何であんなところで?」
疑問が深まるが答えが簡単に出る訳も無く、マリアは暫く睨み続けた。
幾つかの家が見えるし、大きな建物もある。
コルドーから受け取った報告書にもない建物だ。
そしてあらゆる建物よりも大きく、一番目立つ大きな木が世界樹だ。
「こうしてみると本当に大きいですね、しかも魔王国軍の兵士達が常駐してるようですしあいつらに行かせるくらいならこうした方が楽だったのでは。」
「目の前まで行かないと分からない事も有るわ。」
「確かにそうですけど。」
そう言いながら身を震わせるグレッグは、マリアが全く寒がらない事を不思議に思う。強く吹く風に長いスカートがなびくほどだ。
実は風上に立って、少しでも上官に風が当たらないようにと考えているのだが、足場も悪く、何処に立っても風を受けていて、どうしようもない。
「何かとんでもない者が居るわね。あの村に戦力を集めて侵攻でもするつもり・・・にしても場所が悪すぎるし、わざわざ自分が燃やされた場所に戻って来るって言うのも何を考えているのやら。」
「あの真っ黒い大地は何ですか?」
「ドラゴンの炎で焼け焦げた痕よ。あまりもの高熱の所為で土が真っ黒に固まってるの。もしかしたら鉄よりもカチカチに固まっているかもね。」
「焼けると脆くなるんじゃないんですか?」
「ドラゴンの炎を使って打った鉄はより硬くなるという伝説ならあったような・・・ないような。」
マリアでも興味が無ければこの程度の知識である。
見るだけとはいえ、かなりの情報が手に入ったが、気に成る事も増えた。
見える範囲の人数を支えるには小さすぎる畑。
この位置からでは見えない位置にある山へ向かう兵士の団体。
魔女以外で強い魔力を感じる幾つかの存在。
そして、その魔女の存在にもっと早く気が付けなかったのか・・・その理由。
「一度、目の前まで行く必要が有るわね。」
「では準備に戻りますか?」
「グレッグが帰りたいだけでしょう?」
冬山登山に軽装で来た者の末路のような表情で立っているグレッグは、鼻水が凍り始めている。マリアがグレッグの頬に手を当て、冷たさが伝わると優しい笑顔を向ける。
「そんなに我慢してたの・・・生活魔法も少しは覚えておきなさい。」
手から温かさが伝わる。
それが身体の隅々まで浸透すると、寒さを感じなくなった。
「これ、魔法ですか?」
「生活魔法の応用よ。少し調整が難しいけど、火の魔法で暖をとるより効率的に温かくなるわ。教えなかったっけ?」
グレッグは恥ずかしさで顔を赤くした。
しかし、この寒さを耐えられるほどの魔法を常時使っていては、魔力が尽きてしまう。グレッグからすればマリアの魔力は底なしに見えるのだ。
「目標は決まったわ、帰りましょう。」
帰ってきた二人を兵士達は訓練を続けながら待っていた。
妙にソワソワとしていて、何事なのか説明を聞くと、謹慎が解ける日が決まったという事だった。
「三日後に王宮で国王様との謁見があるとの事です。」
「そーなの・・・めんどくさいわねぇ。」
「マリア様・・・流石に面倒は無いです。兵士達の士気にも関わりますので。」
「なんか、みんな訓練を頑張っちゃってるし、近隣で適当にイザコザでも起きて出動命令が来れば良いのだけど。」
「名誉挽回の好機なんて簡単に頂けるモノではありませんよ。」
「私はそんなのいらないわ。」
「必要な部下達の事も考えてください。」
「グレッグはこんな時になると厳しいのよね。」
「それはマリア様の為です。」
とにかく真面目に対応してくれるので時には助かるのだが、杓子定規すぎて面倒な事も多い。しかし、杓子定規だからこの世界ではうまくやっていけるのだ。
軍人限定ではあるが。
「どこかに悪戯魔物で困っているっていう依頼はないかしらね?」
「そんな都合のいいことなんでありませんし、あったとしても既に冒険者がやっているでしょう。」
「まぁ、そんなところよね。」
戻ってきた執務室には、冷めきった朝食がそのまま置かれていて、スープだけを飲んで、残りは片付けさせる。
旅に出るほどの準備は必要ないが、前のように魔力が不足しては困るので、高級ポーションを用意する事と、休暇の申請をする事だ。
何故、休暇の申請をするのかと言うと、謹慎していた時はいちいち報告する必要が無かったのだが、突然将軍が不在になると困る事が有る、と言ういまいち意味不明で面倒な理由で、申請が必要となるのだ。
「将軍級が休暇申請なんて平和な証拠なんですけどね。」
「下っ端の将軍なんだから良いじゃないの。」
「その言い方は意味が分からないですよね。」
「申請書類の方は任せるわね。」
「名前は書いてください。」
「あー、えぇ、そうね。仕方がないわね。」
事前の準備もそこそこに、マリアは思考を巡らせる。今まで存在を感じる事の無かった魔女の魔力。自分以外にいなくなってしまったという事を否定する為の行動。探し続けた結果がもうすぐわかる。
嬉しさも有るが、それ以上に不信感もある。
どうして存在を隠し続けていたのか。
むしろ、どうやってその存在を消していたのか。
そして、あの村に突然現れた理由。
「直接聞いた方が早いわよね・・・。」
自分の行動が大胆な事は理解しているが、その存在を消されつつある魔女として同じ立場である別の存在が、それを隠そうともしていない。
そして、向こうが同じ感覚を持っているのなら、こちらに来る可能性も有るのだ。しかし、何のアクションも無い。あの村に行くには変装していく必要もあるだろうが、魔女同士ならすぐばれてしまう。
「あの村で何が起こっているの・・・?」
分からない事はいつまで経っても解らないままだった。
それからしばらく経過し、申請した休暇が受理されると、部下達にも里帰りさせ、一時的な解散となった。二人はその日最後の朝食を執務室で終わらせると、旅支度を済ませ、誰にも見送られる事なく、振り向く事も無く、ガーデンブルクを後にした。




