第159話 綿花の使い道
目を擦りながら、厨房で作業をしているエカテリーナの周りには誰もいない。普段なら誰かが居ても不思議ではないが、何故か一人だけだ。
「・・・。」
「・・・。」
こっそりと覗き込んでいる者がいる事に気が付いた太郎は、そちらには視線を向けず、グスグスと鼻をすすりながら、無理に没頭しようとしている後ろ姿に、気まずさだけではない何かを感じる。
野菜を手に取り、手を止める。
包丁を手に取り、手を止める。
暫くまな板を見詰めていたエカテリーナは、止める事の出来ない涙で視界を失っていた。
エカテリーナが太郎の事を盲目的に好きになっていると思っている太郎は、まだまだ子供の将来を奪うような事はしたくない。だが、エカテリーナから見れば、あの奴隷生活から助けてくれた人で、自分の全てを太郎様に捧げる覚悟を持っている。
無論、そんな覚悟なんて必要ない。
知らないからこその、持ってしまった覚悟であって、太郎なんかに固執せず、もっと自由に生きてもらいたかった。
だからこそ、太郎とエカテリーナの心はなかなか交わらない。見た目だけではなく心も子供なのだ。
かける言葉が思いつかなかった太郎は、エカテリーナの気持ちを知らない訳では無い。だが、自由を得る事がエカテリーナにとっての哀しみになるとは思っていない。多くの選択肢の中で自由に選択するべきなのだ。
「・・・太郎様は私の事をどう思っているのですか・・・?」
「大切な仲間だと思っているよ。」
正解とは思わなかったが、不正解とも思わず、太郎は即答した。そして続ける。
「マナもスーもポチも大切な仲間だし、グリフォンの様な魔物だって仲間に成れる。」
ナナハルに対しては、どうとても仲間という感覚は無く、恋人でも無ければ、妻でもない。アレは事故の様なモノだ・・・と思っている。
「私もその一人ですか?」
「もちろん。」
「役に立たなくて、こんな事しか出来なくても大切に思ってくれますか?」
料理が出来るのは素晴らしい能力だと思うが、今はそういう事を言う場面ではない。
大切という言葉の中には特別と言う意味も含まれていて、その感情は太郎にも伝わっている。
「いつだって待ってるのに、なにもしてくれないです・・・。」
スーやマナには適度に手を出している事をエカテリーナは知っているのだ。そして、ずっと我慢していた。
太郎の感覚としては、やはり、少々、感覚がズレている。
「太郎様のお役に立ちたいです。太郎様の傍にずっと居たいのです。」
痛烈なほどの思いが伝わる。太郎はそれをずっと知っていて、受け止めて良いのか迷っているが、それは今も変わらない。
一晩だけ抱いてしまった事は少しの後悔も有り、後悔以上の満足感も有り、複雑な思いが有って、優柔不断と言われればその通りなのだった。
「エカテリーナの気持ちは解ってるつもり・・・だけど。」
「ダメなんですか?」
「ダメなんて事は無いよ。」
双方とも何を言えば良いのか困っていると無言となった。どのぐらいの時間が流れたのか分からないが、スーがスッと現れて、双方をじっくりと眺めてから溜息を吐いた。
「二人とも悩み過ぎなんですよー。」
「スー・・・。」
太郎は見ただけで放置し、エカテリーナの肩をガッチリ掴むと、小さくも無い声で言い放った。
「夜にこっそり襲っちゃえばいいんですよ。」
「お、おい・・・。」
「太郎さんはですねー、女に弱いんですよ。」
「え?」
エカテリーナには理解できなかったので、スーは説明を加えた。
「攻められると受け入れちゃうんです。元々スケベですからねー・・・太郎さんは。」
そんな目で見ないで。
「な、なるほど。魅力が無い訳じゃなくて積極性が足りなかったんですね!」
「ですですー。」
「まだ子供なんだから、あんまり変なこと教えない方が・・・。」
「太郎さん!」
「ハイ。」
「エカテリーナは立派な女性ですよ?」
「あ、ハイ。」
「子供だってちゃんと作れますからねー。」
そう言われて、ひょんな事に気が付いた。
「そう言えばスーって妊娠しないよね?」
「旅をしてるんですから妊娠したら困りますー。」
「そりゃそうだが。」
「・・・水魔法で薄い膜を作って防いでるんですよー。」
「あー、内蔵タイプのコンドームみたいなものか。」
「コンド・・・ム???」
「あ、いや、なんでも・・・避妊具の名称だから気にしないで。」
「太郎さんの方が変な事を言ってますよー?」
太郎が口をもごもごして発言を詰まらせていると、決意した表情でエカテリーナが高らかに言った。
「じゃあ今夜は夜這いしますね!」
「ではマナ様に伝えておきますかね。今夜は子供達と寝るようにしますねー。」
しっかりと外堀を埋めていくスーであった。
太郎がこってりと搾られる事が決定された頃、疲労困憊で帰ってきたジェームス一行はいつもの酒場で休んでいた。隠しもせずに運んできた苗木は、誰が見ても世界樹とは思いもせず、わざわざ背負って運んでいる事を加味しても、言及する者はいなかった。
何故ならジェームスが持っているからだ。
「それ、どこに植えるの?」
「それなんだよなあ・・・。」
「あの、国王様に報告しなくてよろしいんですか?」
「マスターに聞いたら毎日夕方にココに来るそうだから来るのを待ってるんだ。」
「普通は逆だと思うんですけど。」
「普通は・・・な。あの村で学んだだろ?」
「そうね。」
ジェームスとフレアリスが杯を交わしてすぐに、息を切らしてやってきた。
「なんだ、早いじゃないか。」
「帰ってきたらすぐ報告するように他の者に頼んでおいたんだ。」
「そんなに慌てて、何かあったのか?」
「順調すぎて何もない・・・と言いたい訳だが。」
驚くほど真剣な表情になった国王を見て、ジェームスは座り直して姿勢を正した。
「最近帝国の動きが不穏なんだ。」
国王の言う帝国とは、ボルドルト帝国の事で、以前は他国との戦争を繰り返して大国となった強国でもある。ただ、長い間シードラゴンの所為で交易が出来なかった事も有って、貧乏ではあったが平和だったハンハルトでは、戦争を忘れていた。
「貿易をしているんだからいきなり攻めてくるという事は無いだろう?」
「だと思うんだが、最近出所不明のスパイが多くてな。」
「調査はしたんだろ?」
「当然しているが・・・キンダースの方なのか帝国の方なのかさっぱりわからんらしい。」
「ダメじゃないの。」
「そういう訳で調査を依頼したいんだが・・・なんだそれ?」
「あー、これか。これは世界樹の苗木だ。」
「は?」
「まぁ、当然の反応だよな。」
「そうね。」
詳しい説明は何故かマギがした。
「・・・嘘を付いているとは言いたくないが、本当なのか?」
「置くところに困ってたから城の庭に植えてくれないか?」
「そんなモノ・・・。」
「信じてないのなら問題ないだろ。ただの植樹だからな。」
「そ、そりゃあそうだが。」
「じゃあ、依頼は了解したからあとは任せていいよな。」
「え、あ、お・・・おぅ。」
「あと、綿花の種を貰って来たから少し土地が欲しいんだが。」
「何処でも良いのなら土地は有るが・・・。」
「あぁ、あの場所か。」
「知ってるの?」
「国営の農場があったんだが、移転した跡地が有るんだ。」
「へー・・・。」
「綿花なんて育ててどうするんだ?」
持って来た種を見せると驚かれた。
「デカい種だな。」
「一つで何倍もの収穫が出来るんだから、数年我慢したら畑一面に綿花が咲くぞ。」
「・・・さっきのわからん苗木よりそっちの方が有益だな。」
「そんなに信じられないなら葉っぱを一枚毟ったらいい。」
確かめるように葉っぱを一枚毟ると、直ぐに同じところに同じ葉が生えてきた。
「なんだこれは・・・。」
「俺も最初は吃驚したぞ。」
「そうね。」
「これが本物だったら大変な事じゃないか。」
「だから本物だと言っただろう。」
「またドラゴンに襲われたりしないよな?」
「襲われるとしたら本家の方が先に襲われるんじゃないかな。」
本家について説明を求めるより、拒否反応が上回る。
「どっちにしてもそんな危険なモノ受け取りたくないぞ。」
「じゃあ畑の所に植えるか・・・。」
「そんなことしたら丸見えになって狙われるんじゃないか?!」
「これを見て世界樹だってハッキリと解る者がいると思うか?」
「・・・確かに解らないが・・・。」
「まあ、俺が頼まれた事だし、畑の傍の方が良いか。」
「仕事をしつつ畑もやるんですか?」
「利益が見込めるようになったら人を雇うつもりだから、それまでは自分でやるさ。マギも手伝ってくれて構わないぞ?」
「剣術の修業になるのでしたら。」
「足腰を鍛えるには畑作業は結構役に立つぞ。耕すのは重労働だからな。」
「それでしたらやります。」
「マギも・・・って私も含まれてるの?」
「・・・手伝ってくれると助かる。」
予定が決まると三人は呑み始めた。慌てても何も出来ないからで、とにかく今日は身体を休める事が優先だ。マギは酒を呑まず、一礼して退室すると、そのまま港近くに造られた新しい実家に帰った。勇者として有名になってしまった彼女は、酒場に居ると色んな男に話しかけられて面倒なのだ。
実家ならそんな事は無い。
家族との久しぶりの団欒を楽しんだマギは、翌日から忙しそうに活動するジェームスに振り回される事となる。




