第130話 魔女の活動
「手掛かりは見つかるのに・・・魔力の残滓すら感じないなんて。」
仲間を捜して海を渡り、山を越え、幾つもの街を通り過ぎてきた。各地で様々な噂を聞き、遺された道具だけではなく、住処も在った。
しかし、そこに彼女の求める姿はない。
「戦争が収まってからなんか変な木が育ってるし・・・なんなのかしら、アレ。」
空を飛んで移動したときに、異常に感じるほどの巨大な木が目に付いた。その木はただ静かに佇んでいるだけのようにも見えるが、周囲への影響力はしっかりと感じた。
周囲にはなにも・・・いや、小さな村が見える。
山奥の盆地にある森の中に人が住んでいるのだから、やはり不思議だ。
「もしかしたら・・・。」
近付こうとした時に強い魔力を感じた。空では隠れる場所も無いのですぐに地上へ逃げる。あの威圧感と魔力はドラゴンで間違いない。なんであんな場所に?
徒歩で進むには周囲に魔物の気配が多すぎる。もちろん負けるような相手ではないが、魔物を倒すより森を破壊した方が楽だ。だが、そんな事をしてドラゴンに気が付かれてしまっては困る。
「気にはなるけど・・・。」
呟きながら村とは逆方向に歩いて進む。森の中を少し歩くと、草叢から襲い掛かってきたケルベロスに驚きもせず、視線を向ける事も無く、片手で魔法を放ち、吹飛ばす。更に群れが襲って来るが、一匹も触れられずに全てを吹飛ばした。
「面倒な森ね。」
ケルベロスに対して興味は全く無く、あまりにも執拗に攻撃して来るため、ゆっくり考え事も出来ない。空を飛んで移動するには、あの森の住人に気が付かれてしまうかもしれないので、暫くは我慢だ。
「それにしても・・・こんなに魔物が沢山いるのにあの村は平気なのかしら?」
不思議な感覚は有ったが、それが何か、何であるか、まだ解らない。ケルベロスだけではなく、他にもかなりの魔物が潜んでいる感じはするのだが、ドラゴンの気配が強過ぎて、探るには少し苦労しそうだ。
魔女の噂だけを頼りに捜すには、この森は広すぎた。
森を抜けるまでにゴブリンの集落を破壊したが、猛禽類の群れは流石に無視した。空を飛んでいる時にはドラゴン並みに注意する敵であり、過去にも飛んで移動していた魔女が食い殺された事も有ったのだ。
どんなに強くて優秀な魔女でも、空を制することは出来なかったのだ。別の理由で海も無理だった。魔法さえ使えれば地上では負け知らずの彼女は、その仲間を捜して彷徨っている。
あの日の手紙を最後に、もう誰とも・・・。
とある町に立ち寄り、いつものように魔道具の修理と販売を行う。ここに有る家は仮住まいで、長くても七日程度しかいない。魔道具は自分が開発した物と誰か他の魔女が作った物も有るが、修理出来る者は意外と少なく、元々が魔女の道具なので扱えるというだけで魔女扱いされる事も有ったが、使えないと困る事も多く、魔女でなくとも修理出来る者はそこそこ存在したから、今ではいちいち疑いをかけるようなことはしない。それこそ修理してもらえないと困るからだ。
「マチルダさん、いつも助かります。」
「お金さえ貰えればいいのよ。だけど、ちょっと雑に扱い過ぎだから、もう少し丁寧にね。」
「はい。ありがとうございました。」
商人のような男がお金を渡し、道具を受け取る。他にも何人か客がいて、彼らはここに売られているアイテムに興味があるのだ。
魔物察知をしてくれる道具は、旅をする商人にかなり売れた。発光する色で接近する魔物の強さも大まかに教えてくれるというのが好評で、自分でも何個作ったか判らない程だ。
ギルドで使っている通信機は魔女の残した遺産と言われていて、今では規制はされているものの、国営ギルドでは正式採用されている上での秘密道具という事で、欲しがる者は多かった。ただし、使用するにあたって魔力操作や魔石が必要になる所為で、本当に一部の者にしか使い方は教えられていない。
マチルダは知っているし、修理も出来る数少ない公認修理資格を持っていて、国からの認可を持っている。そうでなければ魔女として殺されていたかもしれない。
その辺りをどうやって誤魔化したのか、不明な部分は有るが、国が認めているのだから魔女ではないと思う者も多く、容姿のおかげで見逃してもらっているのではないかと言う噂まである。
「マチルダさんは美人なのに結婚されないんですか?」
とは、一日に一度は客から言われる言葉である。その度ににっこりと微笑むだけで答えなければ、相手が勝手に答えを想像してくれるのだから、美人が得する所以である。
予定通りに必要なお金を稼ぐと、役に立つかどうかわからない幾つかの本を買う。買った本は持ち帰って読むが、役に立つことは殆ど無い。魔法関係の書物は沢山あるが、内容は正解半分嘘半分。しかも著者すら不明のモノが多い。
しかし、その中でも極まれに本物が隠されている事が有って、彼女の目的は本の中の本物を探す事だった。そして、それを手掛かりに仲間を捜す目的もある。資料としての価値よりも、ただの物語として読まれている本の中にも隠されている事が有るから、たとえ同じタイトルの本でも買ってしまう事が有る。書き写した人が隠したのか、原本の方に隠されているのか、彼女にも解らないからだ。
森の中に建てられた小屋が有るが、蔓草に包まれ、どこが入り口なのか遠目だと分かり難い。中は小さなテーブルとイス、1人で寝るには少し狭いベッドと、大量の本と何かの道具が所狭しと転がっている。食べ物は無いが、小さな暖炉に火を入れて、灯りの代わりにして本を読む。
食欲はかなり低くなった。物欲はそれなりに有るが性欲は殆ど無いと言っていい。誰一人とも会わず、魔法の研究だけを続けている。しかし、自分一人だけの知恵ではどうにもならない事も有る。特に本などに収められた過去の知恵は探すだけでも一苦労なのだ。
魔女が滅びた物語はとても多く、ギンギール地方などはよく使われる地名で、古代の遺物にはオリハルコンなどという伝説の金属も出てくる。そして、その中で本物に近い確信を得ると、確認をする為に物語の場所へ向かう。
真実を確かめた後、嘘だと確定した時はそこに新たな噂を作り、置いていく。それは、魔女の存在を残し、必要な情報を得るための布石とする意味も有るが、魔女はまだ生き残っているという噂を残す為でもあった。
流石に自分で作った噂に惑わされる事は無い。
移動には空を飛ぶ為、あっという間に往復できるが、一番知りたい事を調べるのには数日かかる。そんな事を繰り返して、毎日を過ごす。彼女には時間だけはたっぷりあったのだから。
数日間寝ずに本を読み続け、寂しいという感情を忘れかけた頃、目の前に現れたのはドラゴンだった。しかも礼儀正しく、扉をノックして開くのを待っていたのだから、驚きという感情が有る事を思い出すのにも苦労した。
「・・・何の用でしょう?」
声がひっくり返ったようで自分でも気が付いて言い直した。
「何の用ですか?」
ドラゴンはそのままドラゴンの姿ではなく、人の姿に変化していて、見た目は普人で言うところの30代くらい。とても美しい女性で、こんな森の中に一人でいたら違和感しか感じない綺麗な服装だ。
「マチルダという女性を捜していまして、たまたまコチラで家を見付けましたので。」
偶然見付けたというのは半分嘘で、彼女は間違いなく人が居る事に気が付いてここに来ている。これほど見付けにくい家に、魔女の噂を知らない筈もなく、無防備に訪れたとも思えない。
警戒心が高くなる。
「その名前を何処で?」
「町の方で魔法研究と魔道具開発の第一人者という噂を知りまして、一緒に研究したいと。なんでもしますからお手伝いさせてもらえませんか?」
彼女はドラゴンである事を隠しているつもりなのだろうか?見ただけで分かるほどに魔力が溢れている。マチルダという名前は開発した魔道具を売る時に使った偽名で、自分も魔女である事を隠しているのだから、お互い様という事になる。
「不躾ですのでお返事は後日で構いません。」
「ここで待つつもりなの?」
「・・・さすがにそれは。」
「魔法の研究といっても、ここでは戦う魔法は研究していないけど、それでもいいのかしら?」
「生活・治療・回復などの魔法について知りたいのです。」
「・・・そう。人手が足りない訳では無いから困ってはいないのだけど、他人の知恵や意見は欲しいと思っていたのよね。魔道具は材料が不足しがちで最近は作ってないから、純粋に勉強したいだけなら帰った方が良いわよ。」
今まで見たドラゴンでこれほど腰が低く、丁寧な言葉を使う者は初めてだ。なので少し強く言ってみたのだが、相手は諦めなかった。
「どうしても助けたい仲間がいるのです。」
「・・・互いに詮索しない。守れるなら入っていいわ。」
躊躇いも無く入ろうとする女性にもう一言。
「詮索しないと言ったけど、貴女だけ私の名前を知っているのは同等じゃないわね。教えてくれるかしら?」
「フーリンといいます。」
家の中は二人で生活するには少し狭く感じ、閉め切って暖炉を使っても平気なのは、家の一部がトレントで出来ていて、しかもこのトレントは生きているように感じる。この周辺でトレントを見かけなかったのだから、このトレントは一体どうやってここに運ばれたのだろう?
しかし、余計な詮索はしない。しないが、水も食糧も無いのは流石に気に成る。
「回復の魔法関係の本ならその辺りに有るわ。好きに読んで気になる事が有れば聞いてくれて構わないけど、何か実験するつもりなら、実験内容を先に言ってくれれば答えられる場合も有るわ。回復魔法は使えないけど知識ならあるから。」
「特殊な解毒薬を知りたいのですが。」
「特殊って?」
「・・・それは・・・。」
研究と実験は繰り返された。フーリンは彼女が魔女ではないかという疑いを持ったが、特に魔女らしい感じもしない。魔女らしいと言えば膨大な魔力を使って何をするのか分からないという曖昧なイメージしかないが、各地を移動するフーリンはその各地で魔女の噂を耳にする。ここに居るマチルダが魔女だったとしても、各地の噂がこの女性だとは到底思えない。
何しろ殆ど家から外に出ないからだ。
食事は思った以上にちゃんとしていた。色々な保存食が死角となる頭の上の棚に沢山あった。木材を四角く切った様なモノを食べた時は吃驚したのだ。なぜか魚の味がする。サラダなのか判らないがトレントの若芽を毟って食べたりする。
それでも三日ぐらい平気で何も食べない。水はトレントの枝を叩くとそこから出てきた。なるほど、トレントの使い方をフーリンは初めて知ったのだ。コーヒーに紅茶と選んで飲める。なかなか快適な生活を送っているからそれはそれで不思議だった。
そして、その生活は長く続き、様々な実験の結果、今の技術では死の淵で苦しむ者を助ける方法は見つけられなかった。
「死んだ者を生き返らせるって言う噂も駄目だったわね。」
「世界樹の葉をせっかく頂いたのに・・・。」
そう、アレは世界樹なのだ。世界のマナの均衡を守る最大の樹木。しかし、それだけに危機感もある。あの時一緒にマナについて研究した仲間。
・・・名前が思い出せないのは何故?
「それにしてもこんな物が良く手に入ったわね。」
葉をまじまじと見詰めながら呟く。これは彼女の持ち物であって自分のモノではない。幾つか加工して失敗した作品が残されているが、その残されたモノですら不思議な力が宿っていて、その力も同じ葉なのに効果が違う。そもそも、同じモノを使った効果が二人に対しても違うのだ。一応記録には残したが、役に立つような資料に成るかどうかも不安である。
「役に立てなくてごめんなさいね。」
「いえ、短い間でしたがありがとうございました。」
「そんなに短かったかしら?」
ドラゴンのように長生きする者にとってはほんのわずかな時間。普通の人でも一年は短いとは言わない。思わず普段の感覚で言ってしまったが、フーリンは否定するのを諦めた。
「中々濃い研究は出来たと思っています。」
「無駄にならなかったのならいいわ。私にも必要な知識になるかも知れないしね。」
人のフリをして一緒に研究したドラゴンと魔女は、淡白な別れをし、次に会う約束もせず、それぞれの必要な道へと戻る。
暫く活動していなかった事も有って、あの町にも行かなければならないし、あの土地の噂も確認しなければならない。マチルダとしてその後も各地に爪痕を残しつつも、他の魔女を名乗り、幾つもの名前をばらまいていった。
ドラゴンと共に生活していた事など頭の隅に追いやって。
「他の魔女のフリをして活動するのもそろそろ限界かしらね?」
その疑問は何もない宙に投げられただけで、誰にも答えを求められず、自問自答は続けた。結果としてマリアが活動する頃には、マチルダの名は消えていて、あの世界樹が炎に包まれた頃には、魔女としての活動は一切していない。
それでも目的は忘れず、現在はとある国で軍人なんて事をしているが、それも彼女なりの何かをする為の準備に過ぎず、準備しているのを忘れてしまいそうになる日も増えていき、こんなのんびりした日々も悪くないと感じ始めている。
若い男が入室し、鄭重に木箱がテーブルに置かれた。それから数分が経過していて、蓋が開いている箱から漂う匂いが心地良い。
「良い香りね?」
「キンダースが送って来たそうです。」
ハンハルトでの一件の失敗を誤魔化す為の贈り物だというのは最初からバレているので、いちいち言及しない。
「秘蔵かしら?」
「海の向こうからかなり昔に仕入れたとか。飲めるんですかね?」
「保存に問題が無いのなら何千年も昔のモノでもちゃんと飲めるわ。」
「・・・紅茶って奥が深いんですね。」
「そうね・・・過去を思い出すには丁度良い香りだわ。」
マリアは頬杖のまま瞼を閉じていて、香りだけを五感で感じている。
「考え事をしていたのですか?」
「古い古い・・・遠い昔の事よ。グレッグには信じられない程のね。最近暇すぎるのが悪いのよ。」
「それでしたら訓練しましょう!」
遂に瞼が動いたが、それも半開きで、とても面倒そうにゆっくりと瞳が動く。
「組手魔法にまた挑戦するつもりなの?」
「もちろんです。」
マリアの魔法部隊は国内において特に優秀だが、それはこの国の魔法レベルが低い所為で、たまに他部隊に引き抜かれてしまいそうになる部下達は、上司が謹慎中であるという事を理由に断り続けている。それに、せっかくの組手魔法を覚えるチャンスに移動なんてしたくない。それでも人事異動を命じられれば断れなくなるので、自分の上司にどうにかして欲しいと願い出ている者もそれなりに居る。
「あんまり信頼されるのも困るんだけど。」
「労働の後の紅茶は格別ですよ。それに美味しいケーキもご用意いたしましたし。」
「先にそっちにしない?」
「労働の後が良いんですよ。」
屈託のない笑顔で言われるとマリアも困る。「愛」という感情が薄れているにしても、グレッグには少しだけ特別な感情が有る事を自覚しているからだ。
椅子を後ろに引くと、エスコートする手が目の前に差し出される。無言で受け取り立ち上がれば、その先は彼の思うがままに操られる。不快感など在る筈もなく、むしろ、少し心地良く、執務室から外へ出る。
僅かに傾斜する陽射しが眩しい昼下がりの午後だった。




