第104話 彼の地
僅かに残った細い道を一列に進む。
山を越え、小川を跨ぎ、大きな池を迂回し、森を潜る。
周囲は何処から襲われるのか分からないほど不安の有る道だが、太郎達はエカテリーナを除いて既に慣れてしまっている。
「なにか来るわよ。」
マナの力でもこちらを目的に寄ってくるモノは防げない。それは獣系の魔物で、猫に似た一角を持ち、猫獣人ではなく、四足歩行の魔獣だ。
先頭の兵士達が襲われる前に隊長の指示が飛び、既に戦闘姿勢で構えていたのだが、魔獣は木の上から降ってくるように現れた。
「デカいな。」
圧し掛かられて兵士二人が圧し潰されそうになるが、圧し返すと、猫型の魔獣が少し離れてから、今度は勢いを付けて突進してきた。鋭い牙が見えるほど大きく開いた口に、剣が突き刺さる。だが勢いは止められず、身体が吹き飛ばされて二人が傷を負った。そこへ他の兵士がすかさず抑え込み、喉元に剣を刺すと、暫くもがいていたが、力尽きて動かなくなった。
狭い一本道でなければもう少しまともに戦えただろうが、この条件では上出来だと判断し、死んだ魔物は素材として使える部位を採取して、他の血の香る肉等は近くの茂みに投げ棄てる。
「こうすれば俺達ではなく、血の臭いを嗅ぎつけて、この肉を食べようと魔物が集まる。奪い合いになればもっと集まるから、俺達はその隙に先へ進むんだ。」
「なるほど。」
生活圏を持ち、言語能力のある魔物達とは違い、魔獣は野獣と変わらない。常に獲物を求めて戦い、血肉を敏感に嗅ぎつける。
血の臭いが付いた兵士は太郎の水で洗い流し、怪我の治療は後にして、とにかく目的地を目指す。巨大昆虫型魔物は動きが不規則なモノが多く、退治するのにかなり苦戦していたが、隊長が先頭に出る事で安定して戦えるようになった。
「剣術の腕は確かなんですよねー。」
代わりに最後尾を任されたのがスーだったのは、兵士達より確実に強いからだ。しかも武器が一級品で、支給品の鉄の剣では斬るよりも突くか叩くといった感じで、魔物を斬り刻んでいるのはスーと太郎だけだった。
「魔物が多すぎません?」
「俺達だけじゃ厳しかったのは間違いないな。」
「この先に安全な場所ってあるんですかね?」
その不安は的中し、夜になっても留まる事が出来ず、篝火を持つ隊長は、光に集まる習性の有る魔物を呼び寄せてしまっている。それでも、足は止められない。列の何処にいても魔物に襲われるので、エカテリーナはポチの背中にしがみ付いていて、戦力外となってしまっている。しかも最悪な事が続いた。
「隊長、どうしたんです?」
足を止めた隊長に問う。
「この先はダメだ。」
目の前には草が覆い繁っているだけの様に見えるが、その草が太郎の身長をはるかに超える。道も分からなくなり、足元を見ればぬかるんでいた。
「湿地帯だな。迂回しよう。」
右回りか左回りか、ある意味賭けになってしまったが、隊長を信じて続く。
休む余裕が殆ど無く、疲労困憊の兵士達を救ったのは太郎の持つポーションで、人数分使うと隊長のカールが本気で頭を下げてきた。
太郎にしてみれば彼らがいなければここ迄これなかったと思っているし、空を飛んだとしても猛禽類に襲われれば、逃げ場が無くなってしまう。特に大型の魔獣が空から急降下してきた時は、太郎の水魔法が無ければ追い払う事が出来なかったと、隊長だけでなくスーもそう言っている。
マナの魔法を出来る限り控えているのは、これだけの人数を護るにはかなりの魔力を使ってしまう為に、遠慮してもらっているのだ。
しかし―――
「この湿地帯の先が目的地の様だな。」
「貰った地図に湿地帯の事は書かれていないからなあ。」
500年で地形が変わった可能性も否定できず、世界樹が燃え尽きるほどの激しい炎は周囲も破壊しているから、その所為で変わった場所が有っても不思議ではない。
「仕方ないわね。」
マナがそう言うと、湿地帯に生える草を左右に押さえつけて、まっすぐ伸びる一本道を作った。足元は草が覆っているが沈み易く、とても歩き難いとはいえ他に方法は無かったと思う。その道を進んでいる途中に、大人を一飲み出来そうな程の巨大な蛙に襲われた時は、本当に兵士が飲み込まれそうになって、かなりの苦戦を強いられた。
戦闘中に鰐の群れが現れて蛙を襲わなければ、兵士に逃げるチャンスは無かったかもしれない。鰐に足を噛み付かれて動けなくなったところを一気に突き刺して兵士を救出し、全力で逃げた。
空には死にかけている巨大蛙を狙っている猛禽達が集まり、飛ぶのも危険な状態になった。空を飛んで移動したとしても、空中が安全な場所ではない事が理解できる。太郎達一行が休憩できる場所を確保できたのは、それから三日後だった。
苦難の末に辿り着いた一行の目の前に広がる大地は、草原とは呼べなかった。草が殆ど無く、荒れ果てた・・・というより死んでいるようだった。青い空が広がっているのに、妙に暗い感じがする。
「・・・ずいぶん黒ずんだ土が多いな。」
「これ炭じゃないですか?」
「炭?・・・あぁ、そうか。ここが目的の地って訳か。」
隊長が苦笑いする。周囲は数キロに亘ってなにも無く、代わりに黒くなった土が広がっていた。あれから500年も経過しているのだから、少しくらい草花が生えても良いと思うのだが。
「燃え尽きたら真っ白になりそうなのにね。」
平地が続くその先に小さな丘が有る。それは野球のマウンドのように一ヵ所だけがポッコリと膨らんでいて、ここに何かあったような感じが窺えた。
「ここよ。」
マナが前に出ると土に手を添える。何かを感じているのか、何かを思い出しているのか、子供の姿をしているのに、大人を超越した何か不思議な存在がそこにいるように見える。似たような感覚を兵士達も思ったらしく、マナのしている事を黙って見詰めていた。
「哀しい記憶が甦るわね。」
隊長が周囲を警戒するが、魔物はここまでやってこない。かなり遠くに存在するのは解るが、鳥も近づかないので、どういう理由なのかを彼なりに考えていた。
「ドラゴンの炎って、土も焼いて焦がしたのか。生き物が近寄らなければ草木も生えないと・・・。こんな死んだ大地でどうするつもりなんだ?」
「少しでも草が有れば成長させられるのだけど・・・。」
マナが周囲を探しているが、僅かに残った草が所々にあるだけで、それを成長させても意味はなさそうだった。
太郎はマナを眺めながら袋から木材やテントの器具などを取り出している。ここに何日滞在するかは不明だが、帰り道も魔物に襲われるのは分かり切った話だ。怪我人の治療もしたいし、ゆっくりと休む時間も欲しい。なにより睡眠不足も限界に近かった。
「もう少し草叢ぐらいあれば・・・もしくは地下茎の植物。トレントの根っこでも残ってないかな?」
「トレントってナナハルさんのところに居た喋る樹だよね?」
「そうそう。私がここで生活してた頃はたくさん生えてたのよ。」
兵士達はその会話を聞いている訳でも、眺めている訳でもなく、テントを張ってキャンプの準備をしている。エカテリーナが最初のテントの住人として既に寝ているが、子供なのにかなり無理していたから仕方がないだろう。
マナはテクテクとあちこちを移動しながら地面を注意深く見つめているが、何も見つからないようだ。
「この建築資材みたいなのは何だ?大量に積み上げられてるんだが?」
太郎は兵士に手伝ってもらいつつ、何本もの角材を袋から出している。大小さまざまな木材が積み上げられていて、最後に大きな紙が一枚。
「これが説明書です。」
「説明書?」
それはログハウス建築手順と書かれた大きな紙だった。太郎はいつか必要になると思っていて最初の頃から準備していたモノだったが、ずっと使わずに袋の中で眠っていた。木材はこちらの世界でも集めていたから、同じ寸法の木材を用意するのがかなり面倒だったが、既に必要な物は揃っていて、一軒分の資材はある。そして、日本語の説明書は太郎がちゃんとワルジャウ語で書き直してある。
「これは人数がいないと面倒だな。」
どちらにしても今日の作業は無理だ。兵士達の疲労がピークを超え過ぎている。周囲の状況から見張りは少なくて済みそうだが、最初の見張りのメンバーは、太郎、スー、ポチ、マナ、隊長以下5名の兵士。
見張りと言っても巡回するような場所は無いので、テントの周りで魔物の襲来を警戒するだけである。
あちこちを探し回ったマナが溜息を吐いた。
「トレントの苗木、持ってくればよかったわ。」
「そんなに優秀なの?」
「動けない事と水を吸い上げてしまうという欠点を除けば、食べられる木の実を実らせる事と、意思疎通が出来る事、資材としても優秀だし、そのまま防壁にも使えるわ。」
「木の実の種って、トレントの芽になるの?」
「種が有ればね。」
・・・確かトレントから貰った木の実に種は無かったな。有ったとしても既に消化している。
「マンドラゴラは?」
「それは畑を作らないと。」
「この土で畑が出来るかな?」
「耕せばいいんじゃないの?あとは私が何とかするけど、継続的に育てたいならそれなりの土を作らない事には。」
太郎の足元の黒い土。久しぶりに袋から取り出す鍬で、ガツンと一発・・・意外と脆いな。黒い土が剥げると、その下にはちゃんとした茶色い土が出てきた。
「これなら時間かければ畑は作れそうだけど、ここだとちょっと川が遠いなあ。」
「それは今後考えればいいわよ。今すぐ必要なわけじゃないし、トレントを使えば池も作れるしね。」
「あー、吸い上げるってそういう用途も有るのか。」
「まぁ、意思疎通出来ないとトレントが吸い上げて自分のタメに使っちゃうけど、ちゃんと言えば葉の先から水が出てくるわ。浄化作用も有るからそのまま飲んでもいいし。」
「へーっ。」
流石異世界。変な生態だな。
そんな二人を見て疲れた声で呟く。
「太郎君は元気だな。」
「太郎さんとマナ様が異常なだけですよー。」
マナと太郎はいつも通り活動していて、疲労している感じには見えない。
「いや、そんな事ないよ。俺だって眠いけど・・・まぁ、他の人達よりは平気かな。」
他の人・・・兵士達は起きてはいるが地べた座っていて、見張りと言っても前方を見詰めているだけの状態だ。隊長は流石と言うべきかちゃんと立っていて、テントの周りをぐるっと歩きながら周囲を見渡している。
遠くに見える魔物がこちらへ向かってこない理由は未だに良く分からないが、こんな真っ黒い大地は歩きたいと思わないだろう。
他にも調査したい事は有ったがとにかく兵士達の回復を待ってからの行動となった。
ちょ、マナはあんまり遠くいかないでね。




