第100話 揉め事
あれからマナはスーとフーリンとエカテリーナで入浴を楽しんだ。俺の出番はお湯を新しくしたくらいで、用意された部屋で休んでいる。久しぶりにポチのふかふかの毛枕を楽しんでいたが、朝になるまで気が付かないくらいぐっすり寝ていた。
やはり屋根が有ってふかふかのベッドと枕が有ると、睡眠の質も違うのだろう。
「・・・珍しく誰も起こしに来ないな。」
「起きたか。」
ポチがむくりと立ち上がりベッドから降りる。
魔王国のフーリンの家に戻る事は予定として決まっているので、特に慌てる事も無いのだが、何故かあまりにも静かで周囲を見てしまう。
窓の外の人通りが少ないのは、町の外れに在る所為かもしれないが、それにしても静かだ。
「フーリンが来たが、太郎を見て引き返したぞ。」
「そうなんだ?」
頭をボリボリと掻きながら大きな欠伸をする。
スーはともかくマナもエカテリーナもいないとちょっと寂しい。
「行こうか。」
立ち上がって部屋を出ればポチは付いてくる。
食堂ではエカテリーナがモップを持って掃除をしている。テーブルの上には椅子が逆さまに載せられていて、せっせと掃除をする姿はある意味新鮮だ。メイドっぽい服を着ているけど誰が用意したんだろう・・・?
「あ、タロウ様おはようございます。」
「ああ、おはよう。」
気が付いて挨拶をしたのだが、エカテリーナは再び掃除を始める。ポチとは挨拶済みなんだ?そうか、俺寝てたからな。
「他の人は?」
「朝に騒ぎが有ってみんな行ってしまいました。」
「朝に?」
「今はお昼前ですよ。」
「・・・そんなに寝てたんだな。」
「タロウ様は頑張り過ぎです。お休みになるのも大事ですよ。」
そう言って掃除をするエカテリーナの額には汗が滲み出ている。
「そう言えばなんで掃除してるの?」
「暇なので、何かしたいって言ったらフーリン様が掃除すれば良いって言ったので、宿の人に風呂場と食堂の掃除を任せてもらいました。」
「そうなんだ。まぁ、やるって決めたんなら頑張ってね。」
「はい。」
太郎も暇なのだが、特にする事も無い。ぼーっと眺めていても仕方が無いので宿の外に出る。そこには兵士が数人待機していて、フーリンとマナもそこにいた。
「お寝坊さんの太郎がやっと起きたわね。」
マナに言われる日が来るとは。フーリンがくすくす笑っている。
「なにがあったんですか?」
「貴族に雇われた傭兵がジェームスに喧嘩を売ったのよ。なんでも、お前の所為で仕事が無くなったとか。」
「まぁ、完全な逆恨みなんだけどね。」
ドラゴンの襲撃事件に多くを関与しているジェームスはある意味こういうところで有名税を徴収されているのだろう。
「で、どうして兵士が全員いなくなるほどの事件になったんです?」
「夜勤組は寝ているから全員って訳では無いですよ。」
近くの兵士のがそう言ったのは俺の顔を知っているからだ。
「今は事件を起こした傭兵をボコボコにしちゃったので貴族がダンダイルに文句を言っているところね。」
「傭兵が悪いでしょう。」
「普通はそうなんだけどね、雇った途中で護衛役がいなくなったら貴族も困るのよ。それで兵士を貸せって、因縁付けているところよ。」
「それは面倒な事で。」
スーが戻ってきた。
「ハンハルトの貴族ってなんであんなに傲慢なんですかねー。」
開口一番の愚痴だ。太郎に気が付くと朝の挨拶をしてから話を続ける。
「使えなくなったんだから護衛の代金を払えーとか、兵士でも一番強い奴を貸せーとか、ハンハルトで責任問題にするぞーとか。」
「ダンダイルちゃんが巻き込まれた理由は?」
「それなんですけど、たまたま近くにいただけです。それでダンダイル様は凄い有名人だし、ジェームスは強いから誤解したんでしょうねー。」
「あぁ、ジェームスさんの上役がダンダイルさんだと。」
「そうです。しかも、宿を横取りしたのが拙かったみたいで。」
「譲ってもらったとか言ってたなぁ。確かに勘違いしても不思議じゃないか。」
「ハンハルトでもそこそこ有力な貴族らしいんですけど・・・ドラゴンの事件の所為でみんなイライラしてるんですよねー。」
「まだ揉めてるんだ?」
「多分ですけど、ジェームスが代わりに護衛役をすると言わなければ、いつまでも駄々こねてると思いますよー。」
するって言われるとちょっと困るなあ。
悩んでもどうしようもない事を考えていると、ダンダイルがジェームスを連れて帰ってきた。しかし表情は微妙な雰囲気を醸し出している。
「ああ太郎君、よく眠れたかね。」
「おかげさまで。」
「事後報告になって済まないがジェームスは貴族に預ける事にした。どっちにしてもここから先は我々が太郎君と行動するからジェームスは護衛の仕事の必要もなくなるだろう。」
「依頼主に対して申し訳ないのがな。」
「すぐって訳でもないのでしょう?」
「ん、あぁ・・・貴族の護衛の仕事は今夜からの予定だ。」
ダンダイルが溜息を吐く。
「それにしても、ハンハルトの貴族どもは質が悪いな。避難してきたくせに護衛の者同士で喧嘩するし、それを見ても止めるどころか盛り上げておる。ここに来た貴族どもはお互いを敵だとでも思っているのかもしれん。貴族社会の問題を城から離れたからと言って隠そうともしないとは。」
宿を奪った事はあえて言わない。
「腐ってますね。」
ダンダイルが吃驚する。
「太郎君は偶に辛辣な事を言うな。実力が伴ったら私も敵にしたくない。・・・いや、既にそういう存在に近くなっているか。」
なぜかマナが笑いながら返事をする。
「太郎の敵なら私の敵でもあるからねー。私達を怒らせたら大変よ、世界中を雑草の海にしちゃうんだから。」
なんで雑草。せめて緑にするとか、自然に還すとか、もうちょっと・・・いや、言い方の問題じゃない。
「なんで俺を仮想敵にするんですか・・・。」
「あー、強い者を見るとツイツイな。」
ジェームスが腕を組んで深く肯く。
「俺は敵を増やす気はないですし、マナだって守ってやりたいと思っているんですけど。」
「強くなると敵は勝手に増えるんだ。味方も増えるが、敵の方が多いのは必然だ。」
「うむ。」
「すでに手遅れですけどねー。」
スーにも言われてしまう。フーリンとマナは笑っていて、事の重大さよりも俺の反応が楽しいようだ。良く分からないというか、分かりたくない感覚だ。ポチはそんな事ないよな?・・・反応が薄い。
「なんか妙に疲れたし、もうすぐ休憩だから宿に戻るとするか。」
ダンダイルの提案は自然に受け入れられた。
昼食は俺にとっての朝食で、食堂ではエカテリーナが精力的に働いている。フーリンさんの説明では余計な事を考える暇が無くなった方が元の姿に戻るという事で、奴隷生活と無理矢理刷り込まれている無駄な技能を忘れさせるのに丁度良いという。
「スーちゃんにもそうしたしね。」
なるほど説得力がある。やはり結果としての実物が存在するのだから、確かな事だろう。そう言う事には明るくない俺としては任せる気満々だ。
エカテリーナがワゴンに料理を載せて運んでくる。て、ちょっと・・・俺のテーブルだけ料理が山盛りになってない?山盛りの肉を見てポチが尻尾を振っている。
同席したのはマナとスーとジェームスで、足元ではポチが俺の取り分けた肉の山をガツガツと食べ始めた。
「貴族の護衛の人ってくらいだからそんなに弱くないですよね?」
食べ始めると無言になるが、だからと言って無言で食事はつまらない。気になった事と言えばさっきの事件くらいなので、本人に訊いてみる。
「強いという程でもないが、10人程度はいたな。」
「全員倒しちゃったんですか?」
「当然だろう。喧嘩を売って来たのはあっちなんだから。」
「ジェームスさんってハンハルトでは有名なのに、そんなに簡単に襲われていたら旅するのも大変じゃないですか?」
「今回は貴族がたくさんいるからな。こんな事件がいつも起きてたら俺だって故郷で引き籠るか、魔王国に引っ越すさ。」
少し離れたテーブルに座るダンダイルの目が光った。あれは勧誘する気なのかな?
「そう言えば太郎君は人を殺すことを躊躇っているそうだな。」
「可能なら殺さないで解決したいですね。」
「魔法に自信があるのなら別の方法もあるぞ」
「別の方法ですか?」
「そうだ。殺したくないのなら動けないように捕縛してしまえばいい。」
「そんな簡単に出来るんですか?」
「簡単かどうかは魔力次第だが、太郎君はかなり魔法に強いようだし可能ではないかな。あのドラゴンのブレスだっていとも簡単に防いでいただろ。」
簡単であったかどうかは分からないが、水の魔法には多少なりとも自信がある。攻撃に使えるかどうかは今も自信が無い。
「防御魔法は自分の身を守るために使うモノだが、実際はそれだけではない。初心者が魔法を使いやすさで分類するのは正しい事だが、もっと自由な発想が有るからこその魔法だ。」
「防御魔法で攻撃を?」
魔法で創り出した防御壁に乗って逃げた事を忘れている。
「半分正解だが・・・あのドラゴンの炎を防いだように魔法で相手を覆ってしまえばいいんだ。もちろん相当な魔力とコントロールが必要になるが、太郎君は既に可能だったのだからあとは発想の転換だ。」
「あー、なるほど・・・。」
マナが草や蔓を伸ばして相手を捕まえたりしているのを思い出した。
「攻撃魔法とか防御魔法とか区別しているが、それはイメージし易くする為だ。傷を負わせる事だけが攻撃じゃないからな。剣で勝てなければ魔法で対抗する。魔法の壁で道を塞げば相手は何も出来なくなる。戦い方はいくらでもある。」
「でも、俺はそんなに強くないですよ?」
「過信しないのは良い事だが、自信が無いのは負けに繋がる。それは死に直結しやすい。太郎君はもっと自信を持って良いぞ。変な話だが俺は太郎君と本気で戦う事になったら全力で逃げる。」
「それって、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。剣術だけなら勝つ自信は有るが、それに魔法が加わったら全く勝てる気がしない。風魔法で飛びながら更に水魔法を放つなんて芸当を見せられたんじゃ、尚更だ。」
マナが俺の横でニコニコしている。料理が美味しくて、の笑顔ではない。
「少なくともワンゴに勝ってからの太郎は急成長過ぎるぐらい強くなってるわね。剣術は良く分からないけど、魔力だけなら今の私よりも上だもん。」
「あの時すでに水魔法が化物じみてましたからねー。」
「スズキタ一族の本来の力って事か。」
「そうかもね。でも、ジェームスだってもっと強くなれるわよ。」
そう言ったのがマナだから、ジェームスは目を大きく開いた。
「世界最強の世界樹様にそう言って貰えるのは光栄の極みだが、俺としてはどうしたら強くなるのか分からない。種族差の壁は厚過ぎて、鬼人族と一対一で戦ったら勝てる気がしない。」
ジェームスの中でマナなどという少女ではなく、世界樹様として認識しているのだろう。
「伸びしろが有るって言っただけで、鍛え方なんか知らないわよ。」
「ジェームスは魔法剣士として一流なんですよー。贅沢な悩みですねー。」
「そうは言ってもだな、魔法が無尽蔵に使えるわけじゃない。」
「無尽蔵に使えるようになればいいじゃない。」
マナは平気で無茶苦茶な事を言っているのだが、事実そう言う事なら強くなれ・・・あれ、それって俺の事なのか?
「スズキタ一族の魔法力が凄かった事ぐらいしか知らないぞ。」
「知っているのと知らないのとじゃあ雲泥の差よ。」
俺のいた元の世界では人間が100メートルを10秒以内に走るのは不可能だと言われていた時代が有った。しかし、一人がその壁を破った。その破れた壁は次々と崩れ、今では何人もの人間がその壁を破っている。知っているという事は、目指すべき目標が作れるという事をマナは言いたいのだろうけど、説明は無く、肉を無理矢理口の中に入れて食事を楽しんでいる。
あー、またポロポロと零して、スーのハンカチで口を拭わせる。可愛いけど説得力がないなぁ。
食事が終わる頃にエカテリーナがやって来た。椅子を持って俺の横に来て、直ぐに座るのかと思ったら、俺を見てにっこりする。
頭を撫でて欲しそうな表情だったので撫でると頬が赤くなった。褒められる経験も少ないのだろうから、凄く嬉しいんだろう。そう思うと少し可哀想だと思ってしまうが、両親よりも俺を選んだというより、他の選択肢が俺しかなかったからここに居る事を思えば、その責任は俺にある。
「太郎さんが助けなければ貴族の玩具ですからねー。」
「それはゆるすんえないな。」
ヤバイ、想像してしまった。
「なんで心が揺らいでるのよ?」
「タロウ様が望むんでしたらなんでもしますよ・・・?」
後ろからすっごい睨まれている。振り向かなくても判る。周囲の兵士が恐怖で震えあがって気絶者が出ているのだから。
ちなみにエカテリーナも泡を吹いて倒れました。スーとポチはなんとか耐えているが時間の問題かな。ジェームスなら素早く逃げたよ。
「ま、まぁ・・・そういう冗談は置いといて、明日まで暇だし散歩でもしようかな。」
「私も行くー!」
凝視の圧が消えた。フーヤレヤレ。
適当に言ったとはいえ、暇なのは事実で、商人の町を散策する事にしたが、俺が見た当時の建物は無かった。両替をしてくれたあの人も肉屋も宿屋も、既にいない。監視用の火の見櫓が四方にあり、あの小川も河川工事でもしたのか人力で曲げられ、町の近くを流れていた。
両手に子供の手が繋がれていて、自由には歩けなかったが、マナもエカテリーナも楽しそうだったので良しとしよう。焼き鳥?と焼きそば?のようなモノを屋台で食べて、散歩は終わった。
ジェームスは太郎に謝罪と分かれの言葉を並べている横で、エカテリーナは寝ていた。疲れて寝てしまうところはまだ子供なんだろうけど、子供として貴重な体験をする筈だった女の子は必要のない経験で埋め尽くされている。この子の記憶から少しでも悪いモノを減らす・・・と、いう事は無理なので楽しい思い出をたくさん作ってあげればいい。
そう。
そうしよう。
子供の寝顔は可愛い。
まだまだ子供だと、そういう事なのだから。
翌朝、フーリンさんに凄い怖い顔で起こされた時、俺は何故か全裸だった。ベッドで寝ていた俺の両脇には何故か全裸のマナとエカテリーナの姿が・・・。
え、いや、だから、まだ、手は出してませんってば!
まだ・・・?!




