第97話 馬車旅の閑話
一行は馬の疲労を考えつつ、休み休み進んでいる。曇り空になる事は有っても雨は降らず、冷える夜も荷台にかたまって寝ればそれほど寒くはないし、布団も役に立っている。ジェームスにしてみればこれほど快適な馬車旅は初体験だ。その上、食事では温かいだけではない具のたっぷり入ったスープが食べられる。
馬車の揺れにも慣れた頃にはのんびりとした会話も楽しんでいた。
「ダマスカス製の剣なんて見るのは初めてだ。これを打てる職人がダリスの町にいるなんて知らなかったぞ。」
自分の武器を失った後、以前に使っていた安物の剣を腰に付けているジェームスが羨ましそうにスーの武器の事を口にした事が始まりだった。
ドラゴン相手に果敢に斬り込んでいく姿は、それだけではない何かを感じ取ったが、武器の質にまでは気が付かない。
御者台に座って手綱を持っているスーは前を向いているので、会話に気が付いておらず、エカテリーナは太郎以外の膝にも座るようになって、今はスーの膝に座っている。年齢から言うと膝に座るような幼い子ではないのだが、奴隷教育の所為で甘えられなかった分を取り返しているようでもあった。
「やっぱりすごい剣なんですよね?」
「打てる職人が少なくなったというのも有るが、元々の製造法が不明なんだ。」
「ダマスカスって古代の地名か人物か何かですか?」
「・・・俺は他人から教えて貰ったからそこまで詳しくは知らない。るつぼ鋼だってそういう名称があるというのを聞いた事が有るだけだ。名前を知らないと探すことも出来ないからな。」
「実物を見るのは初めてって事ですか。」
「いや、実物はどこかの貴族が宝剣として所有しているのを見せてもらった事が有る。俺が冒険家になるきっかけでもあるが、今は個人的に何かを探すような旅をする余裕はないな。」
「そんなに忙しいんですか?」
「忙しいのも有るが・・・何しろ金がないんでな。」
渋い笑顔を見せる。
「有名になって沢山依頼をこなしても、必ず収入が高くなるわけでもないからな。正直言うと有名になり過ぎて困る部分も有るんだ。」
「ジェームスさんはかなり強いみたいだし、勝負を挑まれたりするんですよね?」
「面倒だから基本的に断ってるがな・・・。」
少し疲れた表情をしているところを見ると、かなり面倒だと思う。
「まぁ、有名になった分仕事は選べるし、嫌なモノは貴族相手でも断れるし、多少は無理な注文も融通してくれるし、地元に居る分には良い事の方が多いかな。」
揺れる馬車の中でコップで水を飲むのではなく、皮袋に入れた自分専用の水筒のようなモノで飲んでいる。
「良い事って?」
「フレアリスが牢屋に入った時に面会に行けるって事だな。あれは普通許可してもらえない。」
「そういえば殿下を殺したとか。大騒ぎになったりしないもんなんですかね?」
「あの事件は一般的には病死した事になっていて、知っている者は殆どいない。その上で理由を知っていても信用でどうにかなったからなぁ。」
「それって結構昔の話じゃないんですか?」
「そうだなぁ・・・。」
腕を組んで昔を思い出そうとするが、すぐに年数は出せなかった。
「ジェームスさんって若く見えるけどいくつなんですか?」
見た目は太郎がこの世界に来る直前ぐらいと似ていて、30代後半に見える。
「今年87だ。一応狼獣人なんだが俺だけ母親の血を濃く受け継いだらしくて見た目が普人寄りなんだ。太郎君も普人寄りだろう?」
「太郎は純血のスズキタ一族よ、あんたも薄いけどその系統に含まれるみたいね。」
マナが欠伸しながら言う。
「スズキタ一族の事は知っているが、俺は親からそんな話を聞いた事はないんだが。」
「俺って幾つぐらいに見えるんだろう・・・?」
「太郎君は自分の年齢を知らないのか?」
「えっ・・・と、たぶんそろそろ40歳くらいになる筈なんだけど・・・。」
「それだとずいぶん若く見えるな。普人なら20代後半ぐらいに見える。俺みたいに特殊じゃなければ・・・。それにしてもいろいろ答えたんだからこっちも少し教えて貰いたい。」
マナが太郎の右手を口に咥えたのでいつも通り水を出す。
「俺の事で?」
「いや、スズキタ一族の事だ。俺は噂でしか知らないし、親もそんな事を言った事は一度もない。なのになんで俺が一族の子孫なんだ?」
「マナは理由も無く分かるって言うからなぁ。」
そのマナは水を飲んで満足した声を出してから、一歩ジェームスに寄る。狭い馬車の中なので、ちょっと揺れると身体がフラフラとしてくっ付きそうになる。
マナは気にする事なくジェームスの頭を掴んで姿勢を整えた。
「アンタにもちょっとだけ素質は残ってるからね。」
「素質?それは何か壮大な事に対する素質なのか?」
「ないわよ、そんなの。」
「・・・。」
「長く一緒に居たからスズキタ一族かどうか分かるようになったけど、特に理由はないし、スズキタ一族でなければできなかった事って何かあったのかな・・・?」
「マナが分からないんじゃ、俺達に分かる訳ないじゃん。」
「スズキタ一族であることに良い事ってあるの?」
マナが言った言葉に二人の男が唸る。
「魔法に強いって言ってなかった?」
「強いて言えばその程度よね。」
組手魔法と言う大人数で魔法を協力して構築するという秘術は元々スズキタ一族の得意とするモノだったらしいが、理屈さえ知っていれば誰でも出来るというのがマナの説明だ。事実、ハンハルトでは研究が進んで使用したのを目撃していた。
「じゃあスズキタ一族って何のためにマナと共に生活してたの?」
「なんだっけ?」
忘れっぽいから困る。
「あの子達はなんだかんだで隠し事が多いのよねー。シルヴァニードとも仲が良かったみたいだし。」
精霊の一人と仲が良いってすごい事だと思うんだけど。
「シルヴァニードなら俺の家に絵があるぞ。ただ、本物かどうかは知らんが。」
「信仰してるんですか?」
「絵だけで信じられるわけがないだろう・・・。」
それには強く同意するが実物を見ている太郎としてはもう少し信じて欲しいとも思ってしまう。
「呼べば来ると思う?」
「呼ぶってシルバを?」
「うん。」
「あの子は風のようにフラフラしてるから必ず来るわけじゃないけど、一応呼べるわよ。でも、今の私の力じゃちょっと無理かもねぇ。」
「呼べるとか無理とか、本気で言ってるのか?」
「当り前じゃない。」
マナがジェームスの頭をべちっと叩いた。叩かれた方は何とも思っていないが、普通はそんな事で叩きはしないだろう。叩かれた事よりも別の事に思考回路が使われていた。
「当り前か・・・なんかここに居ると俺の常識がどんどん壊れていく。ケルベロスとは仲がいいし、太郎君は空を飛びながら魔法使ってたし、ハンハルトの兵士でそんな事出来る奴って言ったら指折り数える程度だぞ。」
「もしかしてハンハルトって魔王国よりも軍事力が低いのでは?」
「海戦力が使えなくなって更に低くなった上に今回の事件だからな。コルドーにだって勝てないかもしれないな。」
そう言ってため息を吐く。かなり昔のハンハルトは魔王国と領土を二分するほど強く、ガーデンブルクは小国でしかなかった。そのどちらにも従わない国の殆どがガーデンブルクに吸収された為に今のような状態になっているが、土地としての歴史は魔王国よりも古く、海を活用していて他の大陸の国との交渉も巧く、今では考えられないほどの勢力だったのだ。
「魔王国はあれだけ強いのにガーデンブルクとは戦いたくないようだしなあ・・・。何にしても勇者が現れると良い事が無い。」
彼らにとって認知度の低い魔女よりも、そこら辺に現れる勇者の行動の方が恐ろしかった。ただし、マギのような勇者も存在するので、近年の勇者騒動もそろそろ落ち着くかもしれないとジェームスは勝手に思い込んでいる。
「しかし、俺達のような冒険家に軍事とか国家とかは関係ない。俺は生まれた場所が偶々ハンハルトだっただけさ。」
「有名になるとそういう心配も有るんですね。」
「まぁな・・・。」
流石に将軍としてハンハルトに立ちたくはない。もっと自由な世界で自由に行動する事に価値を見出しているのに、軍人に成ったら何も出来なくなってしまう。
「こいつの所為でやりたくない仕事でもやらなきゃならん時があるからなあ。」
取り出したのはシルバーのギルドカードで、差し込んだ光にきらりと輝くほどピカピカだ。
「その、シルバーカードって取得するのが大変なモノですよね?」
「運が良かったというのも有るが、50年ぐらい前に今目指している商人の町で大きな事件があってな。いつも盗賊団に狙われるような危険な町ではあったんだが、その分腕の立つ奴も集まってて、俺もその頃はギルドの依頼を山のように抱える毎日だったんだ。」
「50年前って・・・。」
「事の発端かどうかは知らないが、とある貴族の息子らしい若い奴が賊の下っ端に狙われて殺されたんだ。でも何も盗れずに失敗して、町から逃げ出そうとしたんだが、元々町を襲う計画があったらしくてな、俺はそれとほぼ同じタイミングで町に居たんだよ。」
魔王国とハンハルトの兵士が一番少なくなる日を狙って計画的な襲撃事件は発生した。ただ、その時偶然いたジェームスは100名以上を数える盗賊団の約半数を一人で倒した。もちろん一気に倒したのではなく、一人ずつ袋小路に誘い込んでは丁寧にボコボコにしていた。それが功を奏したのは間違いなく、雇われの護衛団や兵士達が協力して盗賊団を取り囲んだ時、立っているのは10人もいなかった。
当時すでに剣術はかなりの腕だったので、殺さない程度に痛めつけたから、解決後の調査によって最大の功労者として一番に名前の挙がったジェームスは、両国の兵士からの推薦を貰い、ギルドでシルバーカードを受けるに至ったのだった。
「あの時は両方から引き抜きにあって追い回されてな、勇者討伐とかいう依頼までやらされる寸前のところで逃げたんだ。まぁ、色々と恨みも買ったから帰りたかったというのも有るが。」
「あー、勇者は見た事あるけど、あれは何か、バケモノですもんね。」
「そうだな。」
バケモノ。それと似たような存在が俺の目の前にいる。あの時ドラゴンと対峙して戦った男は、バケモノに近い感じがしたのだ。ただ、のんびりと会話をする様子からその姿は想像できるはずもなかったが。
「ジェームスさん?」
暫く無言で目詰められ、二人の間で興味なさそうに欠伸をするマナが、寝ているポチを枕にして仰向けに寝転がったところで再び口を開いた。
「化け物で思い出したが、太郎君の武器は何だ?」
戦いの時に使った装備品は既に袋の中で、フーリンやスーとの修業の成果で、土魔法による武器と盾はいつでも出現させる事が出来るようになったとはいえ、普段は帯剣すらしていない太郎は冒険者と呼ぶには不用心に見える。
「あの武具は貰いモノなのでどういう素材とか名称は分からないです。」
「貰いモノ・・・?」
「神様から貰ったんです。」
「・・・サラッとエグイ事を言うなぁ。」
「事実なのでどうしようもないです。」
追及する意味の無い事を悟り、そこで会話はお開きとなった。スーと交代するまでにはまだ時間が有り、何故か気の抜けてしまう今回の仕事は、欠伸の絶えないのほほんとした旅になった。




