4-06 聖女様の可憐な日常 ③(済)
「数ヶ月前になりますが、シグレスの勇者を名乗る一行が参りまして、一ヶ月ほど滞在した後に魔王領の方へ旅立ったそうです」
お姉様方のお話でした。
エルマーさんの話では、突然やってきた【勇者さま】を、住民や傭兵達は生暖かな目で見守っていたらしい。
こういう大きな事態が起きると、田舎の若者達が自称勇者として現れることがあり、魔王領に近いこの街では、風物詩のように扱われている。
でもまぁ、シグレス王家に認定もされていないのに、よく【シグレスの勇者】なんて名乗れましたねぇ。お顔の皮が厚い人はとても“自由”です。
「彼らも最初に来た頃は“魔物の森”で狩りをしたり、素材を持ち帰ったりしていましたが、この地の猟師と連携している素材狩りの傭兵団と問題を起こしまして、その傭兵団が彼らに文句と言いますか、一言注意に行ったそうです」
「……気持ちは分かります」
さらりと問題起こしやがった、あの人達。
ファンタジー本の読み過ぎみたいな人達ね。魔物を狩るのは自由だけど、この街の周辺で狩るなら、領主から依頼を受けるか、この国に税金を払っている猟師達と、上手く付き合わなければいけないのに……。
「それで、その自称勇者様はどうしたのですか?」
「実はその勇者が、『テンプラ』とか言うシグレスで発明された料理名を叫び、笑いながら傭兵8名に重傷を負わせ、特に魔術師の少女が、火魔法でかなり酷いことをしたらしく、憲兵に追われて魔王領に向かったと聞いています」
「…………」
また、何をやらかしちゃってんの、お姉様……。
火魔法で酷いことって……まだ入院中なら私が【再生】してあげないと拙いかも。
でも、“天ぷら”ってこの世界にあったのね……。フリッターみたいな物ならあるかと思ったけど、名称まで同じなんて不思議なこともあるのね。
テンプラ……何故、料理名を叫んだのでしょう?
私がそんなことを考えていると、エルマーさんが自分の手で私のグラスに果実酒を注ぎながら、含みのある微笑みを浮かべる。
「その犯罪者達……魔術師の少女が面白いことを言っていましてね」
「まぁ、何でしょう」
ついにエルマーさんも勇者とは呼ばなくなっちゃった。魔法使いというとお姉様方のことですよね。
「タリテルドのユールシア姫様が、魔族に魂を売った邪悪であると吹聴していまして」
「へぇ……」
何か気付いたのかしら……? ただの中傷ならいいんですけど、何かを感づいているのなら、そろそろ“収穫”時期かな。
「それとご存じですか? ルシアさん」
「何がでしょうか」
「ユールシア姫様は、黄金の姫と称されるほどの、美しい金髪の女性だそうですよ」
「なるほど……」
その言葉に、私が顔に張り付かせていた貴族の笑みが、愉悦に深くなる。
この人は気付いていたのね……。この場に後何人が気付いているのかしら。
両隣にいるノアとニアから表情が消えて、それと同時に、私の抑えていた【気配】と【威圧】が、ドロリと溶岩のように滲み始めた。
私の威圧には敵意も害意も無い。ただ純粋な“恐怖”を植え付ける悪魔の【威圧】に、この建物にいる人々が怯えるように静まりかえる。
「お、お待ちください、ユー……ルシア様っ」
エルマーさんは貴公子の笑みを捨て立ち上がると、私の席に来て膝をつく。
「何のおつもりです……?」
「お許しください、私はあなたと敵対する者ではございません。あなたに敵意のある愚か者が潜んでいるとお伝えしたく……。少々、悪戯心を抱いてしまいました」
蒼白になりながらも、エルマーさんは真摯な瞳を私に向ける。
「……まぁいいでしょう」
あと数秒弁明が遅かったら、私はともかくノアとニアが惨殺を始めたかも知れない。ティナだったら今頃血の海になってるし、ファニーだったらもう魂の回収が終わってるかも。危ない危ない。
私が威圧を収めると、エルマーさんは汗を拭きながらホッと息を吐く。
「しかし……さすがは伝説の“聖王国の聖女”さまですね。お噂は聞いておりましたが、これ程とは……」
あ、やっぱりこれも『さすが聖女様』で済んじゃうんですね。
おっかしいなぁ……。そうなると唯一気付いたお姉様だけがまともに見えてくるわ。
「エルマーさん、そろそろお立ちください。ただの旅人に、あなたがいつまでも跪いているのはおかしいわ」
すでに事情を知らない他の人達は、不思議そうに首をひねりながらも、下がった体温を取り戻すように酒を飲み、また騒ぎ出している。
私も悪魔的な道楽で威圧をしたのではなく、……本当ですよ? 威圧を受けて慌てて逃げ出したネズミ共を、いつの間にかこの場には居ないノアが捕らえているはずです。
まぁ全部、従者達が考えたことなんですけどね。
そんな訳で炙り出しも終わって通常に戻った訳だから、私の正体がバレるような真似はして欲しくないんですけどぉ。
「いえ、無礼を働いたのは私です。これより我が傭兵団は、あなたの目となり手となり足となるでしょう。是非私に、美しい姫君への忠誠を誓わせてください」
そう言ってエルマーさんは、私の手の甲に唇で触れる。
また信奉者が出来てしまいました……。
この美味しい果実酒も、やっぱり“供物”なのかしら。
このエルマーさん、結構好みなのに、手に口付けをされてもノエルほどドキドキしなかった。
間近で見つめられても、リックほど瞳を見るのが怖くなかった。
………どうしてだろ?
悪魔になってからは、人間なんて動物と同じように感じていた。
名を貰って魂に繋がりのあるお父様やお母様のことは大好きだけど、他の仲良くなった人間のことが気になるのは、夢の世界での“私”が在ったからだと思っていた。
私は簡易酒場をノアとニアに任せて、一人で夜の街に出る。
自然と足が速くなる。
勝手にどこかへと向かってしまう。
「……会いたいなぁ……」
人通りのない裏道に入った瞬間……私は旅人の衣装を脱ぎ捨て、【金色の獣】になって街の夜空を飛んでいた。
*
ニャア……。
「……え、猫?」
野外で一人きり剣の素振りをしていたノエルは、突然現れた猫に手を止める。
とても美しい、金色の毛並みの猫。その色合いが想いを寄せる少女を連想させ、ノエルは我知らず笑みを浮かべた。
「えっと……おいで」
剣を鞘に収めてしゃがみ込むと、その金色の猫はノエルの差し出した手に逡巡するそぶりを見せながらも、近づいて来てくれた。
「ぅわぁ……可愛いな」
その猫の優美さに思わず大きな声を出してしまうと、猫は目を見開いて一歩下がる。
「ご、ごめん、驚かせちゃった? 何かあったかな……」
餌付けするつもりはないが、おやつ替わりに貰った海産物の干物を捜していると、その猫は、差し出されたままのノエルの右手の指をチロリと舐めた。
「……人懐っこいなぁ。どこかの飼い猫かな? リボン付けているし」
金色の猫はノエルの膝に両方の前脚を乗せて、真っ赤な瞳で少年を見つめる。
「君の飼い主はどこかな? 迷子になったの?」
そっと顎の下を撫でると、猫は気持ちよさそうに眼を細め、その様子にノエルはおそるおそる手を伸ばして、そっと猫を抱き上げた。
「君はどこか……似てるね」
瞼を閉じて浮かぶのは、綺麗な金色の髪の女の子。
幼い頃に憧れ、大事な人だと気付き、その傍らに居たいと願った少女。
ズカズカと心の中に入り込んでくるくせに、手を伸ばすと猫のようにするりと離れてしまう。
誰よりも幸せになって欲しい。……でも誰にも渡したくない。
この想いは届いているのだろうか……? いつか……彼女に届くのだろうか。
少しだけ寂しそうな顔をする少年の頬を猫がちょろっと舐めると、ノエルは嬉しそうに微笑んで猫に頬ずりをする。
「君は優しいね……。帰り道が分からないなら今日は僕のベッドで寝る?」
言葉は分からないと思いながらも、鼻先をくっつけて尋ねると、猫は何に驚いたのかノエルの手をすり抜けて、数歩分距離を置いた。
「あ……」
手の中から暖かみが失われた喪失感に思ったよりもダメージを受けながら、ノエルは猫に微笑みかける。
「帰る場所があるの……?」
そんな言葉を投げかけるノエルを金色の猫はジッと見つめて……
ニャア、と一声鳴いて夜の暗がりへと消えていった。
ニャア……。
「………」
領主屋敷の客室で、暖炉の灯りだけで本を読んでいたリュドリックは、いつの間にか開いていた窓からこちらを見る一匹の猫に気付いた。
その猫を無言で見つめているが、その目が少しだけ見開いていたのは、彼も多少は驚いていたのだろう。
誰かを思い出させる毛色の、美しい猫。
その猫と視線が合った瞬間、その少女が現れたのかと思った。
そう思うのが不自然でないほどの突飛な少女を思い出し、リュドリックの口元に微かな笑みが浮かぶと、彼は無言のままポンポンと自分の膝を叩いた。
『こちらへ来い』
無言で訴えるその命ずるような態度に、猫は一瞬身を引いたが、窓から降りて彼の膝に前脚を乗せる。
「………」
ポンポン……とリュドリックはまた自分の膝を叩く。
金色の猫はまるで人のように溜息を漏らすと、素直に彼の膝に乗り、身体を丸めて寝転んだ。
言葉もない。甘やかしもしない。
何故か少しずつ火が弱くなる暖炉の前で、一人の少年と一匹の猫は穏やかな暖かさに包まれていた。
誰かが側に居るだけで、心が暖かになると知ったのはいつだろう。
最初はただ、縁者となる年下の子供を見に行っただけだった。
そこに何の興味もなく、同年代の子供達のように好奇の瞳を向けてくるか、ただ怯えるのか、そのどちらかだと思っていた。
初めて会ったその人形のような美しい女の子は、リュドリックに怯えることもなく、ただの子供に接するように、へたくそな花冠を彼にかぶせた。
外見は“お人形”のように冷たいのに、中身はとんでもない少女。
家族以外で初めて対等に言葉を交わし、その年下の少女だけが、同じ目線で彼の隣に立ってくれた。
あの思い出の花冠は、いまだにリュドリックの部屋に飾られている。
リュドリックは膝の上で丸まる猫の背をそっと撫でる。
やけに大人しいがこの屋敷の飼い猫なのだろうか? 背を撫でる彼の手に、猫はくすぐったそうに身を捩り、紅玉のような瞳でリュドリックを見上げる。
「………」
何も言わない。猫も鳴かない。
ただジッと見つめてくる猫の鼻先に指を近づけると、金色の猫はその指先を少し強めに甘噛みして、リュドリックの膝から降りた。
「……ぁ」
初めて声を漏らしたリュドリックに、猫は、ニャア……と一声鳴いて開いていた窓から外に出る。
思わず手を伸ばしたまま固まっていたリュドリックは、まだ猫の暖かみが残っているような手を見つめ、ある意味彼らしく盛大な溜息をついた。
『……会いたいな……』





