2-00 誰の夢でしょう?(済)
第二章の始まりです。
「あれ…?」
気がつくと私は奇妙な世界にいた。
精密な細工が施された、白石で造られた建物。
原色に染められた木彫りの竜や獅子が、幾つも飾り立てられた店が並ぶ通り。
無骨な光る岩を無造作に重ねあげた、ある種の芸術のようにも見える家。
やたらと滑らかな、濡れた硝子のような素材の城。
黄金で出来た、質素な馬車。
鉄と岩で作られた、精巧な戦車。
金属のような強固な糸で組み編まれた、空を飛ぶ絨毯。
真っ白な光沢のある正円球のみで構成された、乗り方の分からない乗り物。
あきらかに昔の物もあれば、私の知識では理解の出来ない技術もある。
簡単に言えば、年代も場所も法則さえも違う、でたらめな物が集まっている街並みが目の前に広がっていた。
それに……
「……デパート?」
コンクリートとタイルと硝子で作られたビルには、色取り取りの店舗と【エイゴ】と【ニホンゴ】の文字が並んでいる。
また召喚、……いえ、変な世界に生まれ変わったのかな?
「……違うか」
相変わらず小さくてぷっくりとした幼い自分の手が見える。指先で触れた私の髪は、うんざりするほど光り輝く黄金の、……いつも通りの【悪魔】の体毛だ。
……ここは何処でしょう?
着ている物は、寝る時に着せられた絹っぽい素材の寝間着のままで、空を見上げれば真っ暗な夜空に細い月だけが浮かんでいた。
暗い星空とは対照的に、街では全ての建物に煌々と明かりが灯り、それなのに生き物の気配をまったく感じなかった。
こんなデタラメでおバカな世界があるとしたら……。
「はい、ご想像通り、これは【夢】ですよ」
「…………」
突然掛けられたその声に、私は驚くよりも妙に納得した思いでゆっくりと振り返る。
「驚きませんね……?」
「……見た目よりは驚いているんですけどね」
その人――二十代半ばの男性は、私の答えに楽しそうに眼を細めた。
漆黒の……艶どころか影すら生まれない、黒ベタで塗りつぶしたような黒の燕尾服を身に纏い、光の加減で淡い藍色の混じる馴染みのない黒髪の男性は、柔らかな紅い瞳を私に向けたまま、過剰演出気味に“パチンッ”と指を弾いた。
「とりあえず、お茶でもいかが?」
何も無いはずの夜空からスポットライトが照らされ、そこに硝子で出来たテーブルと椅子があり、メイド服を着た骸骨と、執事服を着たウサギのヌイグルミが、ぎくしゃくと不器用にお茶を煎れていた。
「……いただきます」
と呟いた時には、私はテーブルで席に着き彼と向かい合っていた。……なるほど、これは【夢】だね。
しかし……彼は驚くほど美形で、色気や魅力を膨大に垂れ流しているのに……。
「まったく、心がときめかないわ……」
思わず声に出ていた。
でも彼はそれを聞いて、なおさら楽しそうに笑う。
「それは仕方がないですね。ある意味、君と僕は“兄妹”のようなモノですから」
「兄妹…?」
「あくまで“みたいな”モノ…ですよ、ユールシア」
そうだっ……ユールシア。悪魔である私の名前だ。何故か言われるまで自分の名前を忘れていて、自分の“存在”が希薄になるところだった。
それを思い出させてくれたの……?
「あなたのお名前は……聞いてもいいです?」
「そうですね……色々な呼び名がありますし、原初の名は長いので……」
彼は少しだけ考える振りをして、
「とりあえず“メフィ”……と呼んでください」
「メフィ……」
女の子みたいな名前だね。たぶん愛称だと思うけど。そんなメフィは良く分からない真っ赤なお茶を一口含むと、やっと本題に入る。
「今夜、僕はユールシアと会話をしに来たのですよ」
「私と……?」
「ええ。君は面白い。私も様々な世界を旅してきたけど、君と出会えた【偶然】を感謝しないといけないね」
「この世界はなぁに……?」
「私の知る世界と、君の知る世界と、誰かが知る世界の、一夜限りの夢の世界」
「なら、あの“夢の世界”の文字は、私の知識? それともあなたの知識……?」
「それは分からない。それほど長い時を、僕はずっと旅してきたのだから」
長い旅……か。きっと彼はとてつもなく長い時を孤独に旅してきたのでしょう。
偶然見つけた私に、思わず話しかけるほど……。
「ユールシア。君の存在は面白い。君のような存在になるには、沢山の偶然と長い時が必要なはずなのに……」
「そう言われましても……」
「責めているのではないのですよ。まさか、そんな“裏技”があったのかと感心しているのです」
そう言ってメフィはまた眼を細めて笑う。
「裏技……ねぇ」
そんなこと言われても自覚がない。それこそ沢山の偶然の産物なんだと思う。
だんだん、猫をかぶった話し方も疲れてきた。
「一つだけ忠告……お節介かな? その力に溺れないように。過信しないように……」
何か怖いこと言ってる…? 私は悪魔を数体倒せる程度で過信したりしないよ?
「君が“君”でいてくれることを僕は望みます」
「………う、うん」
良く分からないけど頷いておく。元からそのつもりだし。
彼はテーブルから立つと、そっと近づいて私の額の髪に触れた。
「そろそろお別れの時間です。ユールシア、付き合ってくれてありがとう」
彼はそう言うと……
「……!?」
メフィは私の額にそっと口付けして、ふわりと距離をとる。
い、いきなり何をするの、この人……。
「また会えるか分かりませんが、ではまた。……ユールシア」
メフィが緩やかに……貴族のように優雅に一礼すると、その背中に三対の……彼の髪と同じ深い紺色の、六枚のコウモリの翼を広げて、月の夜空へと舞い上がる。
「……数千年ぶりに出逢えた、僕と【同種】の少女よ……」
*
「………なにこれ?」
柔らかな朝日の中で目覚めると、思わずそんな言葉が唇から漏れた。
最近ようやく見慣れてきた自分の部屋に、いまだに慣れない大きなベッド。
いつものちっこい自分の姿を確認して、私は何となくホッとして息を漏らした。
何故か重要なことを夢見たような気がする。
少しは覚えているけど、その内容は“衝撃的”な出来事で上書きされて、ほとんど頭に残っていなかった。
まだ“感触”が残る額に指で触れて、私はぼそりと呟く。
「ろりこんか」
今日もいつも通り、悪魔としての平和な一日が始まる。
メフィの正体は何でしょう?





