第三話
――遡ること十数時間前――
赤茶色の塗炭屋根と漆喰塗りの白壁、横長の造りをした一階建ての大衆酒場ラカンターにて、シャロンは一人酒を嗜んでいた。
グレッチェンの特異体質を治す手掛かりをようやく掴み、近頃は昼夜問わず研究に没頭していたので、本当ならば酒場などに足を運んでいる時間すらも惜しいと思っている。
だが、以前から店主のハルを始め、一部の常連客達からある商品をこっそりと売って欲しいと頼まれていた物があり、渋々ながら研究の手を止めてここへ訪れたのだった。
「おい、ハル。頼まれていた例の品だ」
カウンター席に座るやいなや、どこからでも切込みが入れられるよう、四方の縁がギザギザになっている正方形の小袋を三つ、ハルに手渡す。
「何だ、三つだけかよ。ケチ臭い奴め」
ハルは不服そうに舌打ちを鳴らす。
「文句があるなら店に直接買いに来い。そもそも、それ以上の数を使う予定でもあるのか??相変わらずお盛んだな」
「お前にだけは言われたくねぇぞ??」
「生憎、私は今女と遊ぶどころじゃなくてね」
代金を受け取ったシャロンが釣りを払おうとすると、「釣りはいらねぇよ」と返されてしまう。
「わざわざ出向いてくれる、せめてもの礼だ」
ふん、と、鼻を鳴らし、ハルはシャロンから顔を背ける。
柄の悪さに似合わず、彼は義理堅い男なのだ。
「そういうことなら、素直に釣りは受け取っておこう」
シャロンはニッと唇の端を持ち上げて笑うと、一旦席を離れて他の客達にも商品を渡していったのだった。
商品を一通り売った後、再び席に戻ったシャロンの前には、スコッチが入ったグラスが置かれていた。
「疲れている時のお前は必ずスコッチを注文する」
「…………」
「顔を見れば一目瞭然さ。どんなに外見を身綺麗にして涼しい顔を取り繕ったところで、顔色も悪ければ、目が血走って隈が出来ている。だが、気位の高いお前は疲れていることを他人に悟られたくないから、度数の強い酒を飲んで疲れを紛らわそうとする。大方、『灰かぶり姫』の研究に行き詰っているんだろ??」
ここまで言い当てられてしまっては、最早口を割らざるを得なくなる。
昔からシャロンは、人並外れたハルの勘の鋭さが苦手であった。
彼の金色掛かったグリーンの瞳にひとたび見据えられたら最後、心の奥底まで見透かされてしまう気になるからだ。
お蔭で、本来は他言無用の筈だったグレッチェンの素性や自分達が犯した罪を、ハルにだけは知られてしまっている。
勿論、彼は秘密を守り続けていてくれているし、『裏稼業』に必要な情報をそれとなく教えてくれる。
有り難いと思う反面、ハルに自分達の命綱を握られている気にもなるため、シャロンは彼に対して非常に複雑な思いを抱いていた。
「『灰かぶり姫』の『病気』を治す手掛かりをようやく掴んだのだが……」
シャロンは一際大きく、長い溜め息を吐き出した。
「その先が、どうにも進んでいかないんだ……」
「……で、『姫』に全てを丸投げして部屋に籠っている訳か……。仕様がない奴だ」
項垂れるシャロンを一瞥すると、ハルは咥えていた煙草を灰皿に押し付ける。
「この前、偶然『姫』と街で会った時、研究に没頭する余り、いつかお前が倒れてしまうんじゃないか、気が気じゃないって言ってたぞ。あんまり心配掛けさせるなよ」
「そういうお前こそ、不摂生な生活を送っていることに関しては私のことは言えないだろう。ランスロットがいつも呆れているじゃないか」
「俺のことは別にいいんだよ。この店以外に守るものなんてないからな。だけど、お前は違う。守るべき者がいる奴は無茶な事をするんじゃねぇよ」
ハルの言っていることは正しいことだと充分分かっているが、シャロンとて考えなしで身体に鞭打っている訳ではない。
「それも『灰かぶり姫』の『病気』を治す為なんだ。その為なら、私の身体や人生を幾らでも捧げてやるさ」
いつになく真剣な面持ちのシャロンを、ハルはひどく冷めた目をして嘲笑った。
「そりゃ立派な心意気だ。だがな、シャロン。お前のその異常なまでの情熱が、逆にあいつを追い詰めているんじゃないのか??現に、その研究資金を集めるために、あいつは自らの手を汚している」
「あれは……」
「あいつが勝手にやり始めた、とでも言うつもりか??そんなことは言わせねぇぞ。俺から言わせりゃ、お前がそうさせてしまっているんだ」
次から次へと繰り出される辛辣な言葉に、シャロンは反論する余地もなく言葉を失ってしまう。
そんな彼に構わず、ハルは尚も厳しく言い募る。
「なぁ、シャロン。あいつは、本当に身体を治したいと思っているのか??」
「……そんなこと、聞かなくたって答えは出ているだろう??……」
「あいつの口からはっきり聞き出したのか??」
「…………」
「この際はっきり言うが……。お前は医者になるという夢に成り代わる夢として、あいつの身体を治したいと思っているだけで、本当の彼女の気持ちに目を向けようとしていないんじゃないのか??」
「…………」
愕然とするシャロンの顔色が見る見る青ざめて行く様子を見兼ねたハルは、「……悪い、ちょっとばかし言い過ぎたな。この一杯は俺が奢るから、これで勘弁してくれ」と軽く頭を下げてみせたのだった。




