58:捧げたかった
キスの意味を知りたかった。
でもまずは問われたことに答える。つまり離れに残ることを選んだ理由だ。
「離れに残ることを決めたのは、奴隷商人のところから、共にヴィサンカ帝国に来ることになった、ナオやイーモがいたからです。それにヴィサンカ帝国に来てから仲良くなったメイドのネピもいたからであり……。それに皇妃の夜伽の身代わり役の私と逃亡すれば、ソークには一生汚名がついて回ります。そんな汚名、お世話になったソークに、負わせたくなかったのです」
「そうだったのか……」
「皇帝を選んだ、身分で選んだとは思わないでください。何より私はスペンサー王国の王女でした。花と緑と自然が大好き。ですから、家庭菜園を持てるなんて、夢みたいな話です」
ガレスの頬がほころぶのを見ると、彼が選んで欲しいと願ったのは、ソークだったと分かりやすく伝わってくる。つまり彼の本質は、ソークに近いのだろう。暴君ガレス。それはそうしないとこの国で自分の身を守れないと思い、演じている姿なのだ――そう、理解した。
ただ、ソークもガレスも同一人物なのに、とは思う。
そう、そうなのだ。
ソークとガレスは同一人物だった。
そう脳が完全に理解したことで、ガレスに対する畏怖がグッと減っている。代わりにソークに聞こうと思っていたことが頭に浮かび、こう尋ねていた。
「ところで陛下は、ソークとして現れ、もう二度と私の前に現れるつもりはない――という雰囲気を匂わせた上で、キスをされましたよね。あれは何だったのですか!? 言っておきますが、あれは私のファーストキスです。初めてのキスは一度きりですよ。乙女の初めてのキスを奪い、どう責任をとるおつもりですか?」
この瞬間、ガレスが今まで見た中で、最高の笑顔になった。驚いた私は、思わず後ろに倒れそうになる。でもソファに座っているため、背もたれもあった。よってそこは問題ないが、なぜそんなにも笑顔なのか……。
そう思ったら、ガレスに抱き寄せられ、「!?」と固まる。
さっき抱きしめられた理由は、よく分かっていた。私が泣いていたからだ。でも今は、ガレスの笑顔があまりにも眩しくて、ちょっとくらっとしただけなのに。なぜ抱きしめるの!?と思ったら……。ガレスの体は震えている。
「……てっきりリンドンと、既にキスをしていたのかと」
感無量という感じで、ガレスが呟いている。
つまり最高の笑顔の理由。
それは私のファーストキスを、自分が奪うことができて嬉しい……ということ!?
一方の私は、震撼していた。
一ヵ月前の、何も知らない私なら、「え、リンドン王太子殿下と、キ、キスなんて……」と頬を染めていただろう。だが私はリンドンに馬車から突き落とされ、命を奪われかけたのだ。そんな相手と、していないキスをしていたのかと想像され、そして私自身も想像してしまい、猛烈に不快になり、かつ頭にきた。
「していません! キスは婚儀の時と、お母様やナタリアから言われていましたから!」
もはや相手が暴君ガレスということを忘れ、ソークだと思いながら、叫んでしまう。
リンドンとキスなんて、あり得ない。絶対に嫌だ!
それにスペンサー王国では、王侯貴族の未婚の男女の接触は、厳しく禁止されていた。きっちり守っている貴族が、どれぐらいいたかは分からないけれど。
「落ち着いてくれ、フローラ。それに責任は、喜んでとる。いくらでもとるつもりだ。安心していい。だが……フローラに暗殺されずによかった。おかげでわたしのファーストキスも、フローラに捧げることができた」
私は怒り心頭なのに、ガレスはなんだか目の当たりをぽうっと赤くして、夢見心地な顔をしている。
でもそうじゃないわよね、ソーク!
「何をおっしゃっているのですか!? オールソップ公爵令嬢……皇妃と婚儀を挙げた後ですよね、あの離れに来たのは! 既に誓いのキスをされていますよね!? ファーストキスのお相手は、皇妃では!?」
少しムッとして、指摘してしまう。
私と違い、ガレスは一応、既婚者。キスだって経験済みのくせに!
「……そう、それが嫌だった。オールソップ公爵令嬢とは、政略結婚するしかないと、頭では分かっていた。だが、せっかくフローラが離れにいるのに、オールソップ公爵令嬢と誓いのキスなんて……。そもそも誓いをしたくない。その上でキスまでしないとならないなんて。無理だった」
オールソップ公爵が、ゴリ押しをしたことを知っていたから、政略結婚なのだろうとは思っていた。それでも割り切った上で、ドライに婚儀を挙げているのかと思ったら……。
嫌だったんだ……。
そのことをなんだか嬉しく感じてしまう。
同時に。
怒りで熱くなっていたハートが、クールダウンしてくれた。
「よってオールソップ公爵令嬢には、額へのキスしかしていない。額へのキスなんて、司祭が祝福を与える時にもするものだ。キスの数に入らない。つまりあの時のキスは……。どうしてもわたしのファーストキスは、フローラに捧げたかった。だから離れを訪ね、キスをした。ソークの姿であろうと、皇帝の姿であろうと、わたしであることに違いはない」
確かにナオやイーモも言っていた。婚儀のクライマックス、誓いのキスの時「おでこに『チュッ』だもん」「あー、あれは少し期待はずれでしたわね」と。
でも待って!
どうして私に、ガレスは自身のファーストキスを捧げる必要があるの? それに「ソークの姿であろうと、皇帝の姿であろうと、わたしであることに違いはない」って……まさにさっき、私が言ったことだわ。
ソークに扮した自分を選んで欲しいなんて素振りを見せたのに、結局どちらも自分だと、理解している。それなのに私に選ばせるようなことを言ったり。ガレスの意図が理解できない。
そこで気が付く。
今日の私は、なんだかヒートアップしやすくなっていると。
一度、落ち着こう。
私が黙り込むと、ガレスが話し始めた。
「それに正直、毒で倒れることになったが、あれはあれでよかったと思っていた。さすがに『契りの証』を、フローラの時のように捏造するわけにはいかないからな。そんなことをすれば、皇妃がまず大騒ぎする。適当に深酔いしてダメだったことにして、後日やり直す……とも考えていたぐらいだ」
せっかく気持ちを静めようとしたのに。
ソーク……ガレスは、私が熱くなるようなことばかり言う!
「! 毒を飲んで良かった!? どれだけ心配したか、分かっていますか! 私は疑われ、地下牢に入ることになったのですよ!?」
「いや、フローラ、そう言う意味では……!」
そこで思い出す。
ソークは地下牢に助けに来てくれた。でもあれはガレスだ。
ということは、解毒薬が完全に効いていない状態で、無理を押して来たということ。
それを知らないナタリアとロスコーは、散々、ソークはダメだと指摘したが、そんなことはなかった。むしろ毒がまだ残る体で、皇宮から地下牢まで来て、三人の敵を倒し切って力尽きたのだ。
立派だと思った。
「完全に解毒されていない状態で、地下牢へ助けに来ていただき、ありがとうございました」
私は頭の中でそのことを思い出し、御礼の言葉を口にしたが、ガレスからすると、唐突だったようだ。よって一瞬、キョトンとして、それから「あ、ああ」と頷くことになる。
「あの時、オールソップ公爵を倒し、その後、陛下も崩れ落ちましたよね? それを支えたのは……」
「ノリスだ。毒を盛られたことに、強い責任を感じ、わたしに張り付いていたノリスを撒いた上で地下牢へ行くのは……毒を盛られていなければ、できたかもしれない。だがあの時は万全ではなかった。それに寝室には宰相などもいたから、彼らにバレず、地下牢まで行くには、ノリスの協力は不可欠だった。あとはアルとボンも協力してくれた」
「ご自身がソークであることを、明かしたのですか? それともノリス卿は、ずっと陛下がソークとして動いていることを、ご存知だったのですか?」
ノリス卿は、ガレスが水面下で何かをしていることには気づいていた。だがそこは、見て見ぬフリをしてくれていたのだという。
ガレスがいろいろと苦労していることは、ノリス卿もよく分かっている。少しぐらい自由にさせてあげたい――そんな気持ちで見守っていたのだろう。
つまりノリス卿は、ガレスがソークに扮していることを、知らなかった。
地下牢に行くに当たり、あのソークのトレードマークとも言える黒のローブをまとったのは、ソークに扮するためではない。まだ万全ではない体で動くのを止めらないようにするため、ガレスであるとバレないようにするために、まとったに過ぎなかった。
「ノリスにソークに扮していることは、知らせられない」とガレスは言う。その理由としてガレスは、こう打ち明けた。
「その……咄嗟に浮かんだ名前が……ソークだった。ノリスはファミリーネーム。そしてファーストネームはソークだ」
つまりソーク・ノリス。それがノリス卿のフルネームだった。
「どうしてそんなややしいことを……。私、ノリス卿に『黒装束姿のソークという人でした。彼は何者なのでしょうか?』と聞いてしまったのですが……」
「そうか。それでノリスは……」
「ものすごく困惑していました。その上で、工作員の組織をソークと呼ぶと教えてくれたのです。しかも隠密行動が基本だから、ソークの名は、他言無用でと頼まれました」
ガレスは「なるほど。うまく言い逃れたな」と感心しているが……。ノリス卿はかなり驚いたと思う。それにきっとガレスがソークと名乗り、暗躍(?)していることに、気づいたと思った。
「ノリスにソークに扮していることがバレても、問題はない。わたしの腹心だから」
「私がスペンサー王国の第一王女であることにも、ノリス卿は既に気づいています。でも陛下に報告しないよう、お願いしたので、報告は上がっていないと思いますが」
これにはガレスが困った顔になる。それはそうだろう。自分の腹心だと思っていたのに、私からお願いされて、報告を挙げなかったのだから。
「……まあ、でも仕方ない。ノリスは私がずっと片想いしていた相手が、フローラであると知っていたからな。わたしが大切に想うフローラからの頼みだ。無下にはできなかったのだろう」






















































