34:対価
「リリー、とっても綺麗!」
「ナオさん、“リリー様”ですよ! でも本当に、お美しい。まるでいずれかの国のお姫様みたいです」
「私達が二時間かけて仕上げたのですから、完璧ですわ!」
今晩の舞踏会のために、用意されていたドレスに着替えると、ナオ、ネピ、イーモが大絶賛してくれる。私はネピの“お姫様”の言葉に、もう汗をかきそうになっていた。元王女なのだから……。
結局。
ノリス卿への手紙は、長文になった。まさにこれまでの疑問をぶつけるような長さだ。これを受け取ったノリス卿は降参し、「顔を合わせて話しましょう」となった。ただ、内容的にあまりガレスに聞かせたくはない。するとガレスが入浴中に、彼の寝所へ来るようにいわれた。ちなみに寝所での執務はこの日までで、舞踏会の翌日からは、執務室で通常稼働になるという。
ともかくそこで顔を合わせたノリス卿をいろいろ問い詰め、分かったことがある。
まずこの離れに、初夜の練習相手をする前から、住むことが決定していた件。
これを決めたのは、ソークだった。
「リリー嬢が彼のことをソークと呼ぶから、うん、僕もソークと呼ばせてもらいます」
ノリス卿はそう言うと、話を続ける。
「そのソークが言うには……。『海外からわざわざ連れてくれる。しかも没落貴族と思われる乙女ということは、年齢にもよるが、世間の荒波を知らない。気に喰わないからと、路頭に迷わせるようなことをするなら、自分が身請けする』と言っていたのですよ。それでまあ、陛下も、ならば離れに住まわせると、おっしゃられたわけです」
この話をノリス卿に聞くことで、ソークの優しさに改めて感動してしまう。同時に。ガレスにそこまで強く出られることに、驚いていた。どうしてソークはそんなに強気でいられるのか、それを尋ねると……。
「いや、リリー嬢。以前も言いましたが、陛下はそんなに怖い方ではないですよ。僕が言うことにも耳を傾けてくれますから」
そう言われると、前にもそう言われたが……。でもやはりそこは、身内ひいきに思えてしまう。
「それと満足うんぬんの件ですが、それは使用人の誰かに聞いたのですよね?」
「そうですね。宮殿に来てからずっとお世話になっている、メイドのネピから聞きました」
「ネピの知識は、間違っていないですよ。これまではそれが慣例だったので。ただ今回は先に話した通り、ソークの提案もあり、満足とは関係なく、離れにリリー嬢は住むことになったのですよ」
「離れには、初夜の練習相手として、満足してもらえた場合に住めるはずでは?」と尋ねると、ノリス卿は、その満足の件についても答えてくれたわけだ。
「……つまり私は、ガレス皇帝陛下の役に立とうが立つまいが関係なく、あの離れに住むことができたということですよね」
眠りが浅く、あまり熟睡できない。だがぐっすり眠ることができたガレスは、私をそばに置くことを決めたのでは?――そう考えたが、それはソークからも違うと言われていた。別の理由があると言うが、では何なのかと問うと……。それは本人に聞いてくれと、ソークからはぐらかされてしまった。
でもソークが言い淀んだのも、仕方のないこと。
ガレスは私をそばに置くことを決めたが、そこに理由はなかったのだ。あえて言うなら、ソークの言葉を聞き「それならば離れに住まわせよう」と決めたに過ぎない。そこに「私のことが好きだから」「私に満足したから」「私がいるとよく眠れるから」なんて理由はない。
私の何かがガレスに認められ、離れにいることができる――そんな自己肯定感な気持ちは、一気に吹き飛んだ。
思わず肩を落としていたのか。ノリス卿がこんなことを言う。
「誰でもあの離れに、住めるわけではありません。……これは例えが悪いですが、もし皇妃が……オールソップ公爵令嬢が、奴隷市場でソークに買われ、初夜の練習相手を務めたとしましょう。翌日、陛下が彼女をあの離れに住まわせるかというと……住まわせないと思います」
「それはどういうことですか?」
「あの日、翌朝早くに寝所から出てきた陛下は、スッキリした顔をしていました。熟睡できたのだと分かりましたよ。さらに少し頬が赤くなっていたのです。これを見た近衛騎士達は皆、初夜の練習は、上手くいったのだと思いました」
これを言われると、顔を赤くすることしかできなくなる。
顔以外にも火照りを感じながら……。
理不尽だわ!と思う。
だって本当は何もなかったのに。こんな風に言われ、顔を赤くしなければならないなんて。
あのガレスに対し「初夜の練習は上手くいったのですね!」と言うわけがない。……さすがのノリス卿も、それは言っていないと思う。つまり「初夜の練習は首尾よくできたようだ」と思われ、「よかったですね」と言われ、顔を赤くするのは、私だけなのだ。
「陛下はあからさまに、感情を出すことがありません。頬が少し赤いだけでも、奇跡ですよ。それにあの清々しい顔。それではなくても、陛下は端麗な顔立ちをしていますよね。あれに爽やかさが加わると、男でもドキッとしますよ。陛下にあんな顔をさせることができるのは、リリー嬢だけです」
そんなにイイ顔をしていたの? 同じ部屋にいたのに。私は見ることなく終っている。
「よってソークとの約束があろうとなかろうと、リリー嬢は離れで暮らすことになったと思います。そしてあの皇妃では、無理です。陛下からあの表情と顔を引き出すことは、できません」
「その表情と顔は、熟睡により引き出されたということですよね?」
「熟睡と初夜の練習が完璧だったからでしょう。リリー嬢を気に入ったということです」
だからそれは違う……と言えないところが辛いです。
そしてやはりそうなると……ノリス卿が目撃したガレスの清々しい表情と頬の赤み。あれは熟睡によるものだ。
もういい、熟睡だと結論付け、この件で悩むのは止めよう。
そこで熟睡しながらも、口にしていた寝言と涙と沢山の怪我の痕について、思い切って聞いてみることにした。
「え、陛下がそんな寝言を口にされたのですか……!」
「はい。しかも一滴の涙までこぼされて」
これにはさすがのノリス卿も、黙り込んでしまう。
しばし考えた後に、ゆっくり口を開く。
「陛下がこの宮殿に来た時は、よく泣かれていました。いきなりこんな大国に連れて来られ、しかも突然皇太子だと言われ、待ったなしで皇太子教育が始まったのです。失敗に対する容赦のない叱責、皇太后は自身の息子ではない陛下に冷たく当たりました。皇太后の顔色を窺う貴族も、陛下に冷たい言葉を投げかけます。それまで平和に穏やかに暮らしていたのに。突如、悪意にさらされ、しかもここは蟻地獄で逃げ出すこともできない。怖かったでしょうし、お寂しかったと思います」
それは私の知らない、いや多くの人が知らない、むしろノリス卿しか知らない、ガレスの姿だと思う。
ノリス卿の話し方が絶妙で、ガレスの子供時代を想像し、なんだか胸が痛む。
「次第に陛下は笑わないようになり、その顔から一切の表情がなくなりました。ですが皮肉なことに、それに比例するように、皇太子教育では成果が出始めて……。僕は陛下に剣術を指導しましたが、あの研ぎ澄まされた銀色の瞳に睨まれると、僕でも震撼し、動けなくなりました。どうやら陛下は何か大切な物を捨て、その代償で今を得たように思えます」
「それは……感情を捨て、皇帝になった、ということですか」
「そう……なのですかね? 感情は本当に捨て去ることができたのか……」
捨て去っていると思う。ありとあらゆる感情を。
異性の全裸に近い姿を見ても反応しないぐらい、無、だと思う。
でもそこまでしないと、オールソップ公爵のような曲者がいるこの国で、皇帝にはなれなかったのね……。
「命を多く狙われることもありましたからね、陛下は。リリー嬢がご覧になった沢山の傷痕。それがその証です。今だってそうでしょう。信じている人からも裏切られ、心の中で泣きながら下した決断も、沢山あったと思います。その表れではないですかね。その寝言は。まさか涙までこぼすとは……。僕が泣けますよ」
涙もろいノリス卿が目頭を押さえたところで、ガレスの入浴が終わったようだ。
そこで私は離れに戻り、入浴をして、休むことになる。
ノリス卿ではないが、私もガレスに感情移入して、なんだかしんみりしてしまった。ガレスがあの寝言を口にして、涙をこぼすことは、自然だと思えるようになっていた。
カリスマとなる暴君は、孤独なんだわ……。
特に、ガレスが「心の中で泣きながら下した決断」をできる人間であるならば。ただの暴君ではないと思う。
そんなことを思いながら眠りにつき、そして翌日。
舞踏会当日を迎えた。






















































