14:生きなければ
皇宮の離れは、皇宮の中庭の中に建てられている。
レンガ造りの二階建てで、一階にダイニングルーム、応接室、図書室、バスルーム、二階に寝室が三部屋、小ホール。皇宮の中庭とは別に、離れ専用の庭園もあり、そこには小ぶりの噴水とベンチもあった。
奴隷なのに、なぜこんなところに住めるのか。
その理由はネピが教えてくれた。
最初にこの離れに住むことになった奴隷は、皇帝から愛されていた。最初はメイドと同じ建物に部屋を与えられている。だが寵愛が深まり、この離れを後に与えられたと言う。
つまり初代のこの離れの主のおかげで、歴代の皇妃の身代わりは、ここに住めるというわけだった。
先代皇帝の初夜の練習相手として、朝まで抱きつぶされた奴隷の女性は、その後も度々この離れで先代皇帝の相手を務めた。だがあまりにも先代皇帝がそちらの欲求が強かったようで、腰を痛め、三十代後半で亡くなってしまった。
そんなこともあったので、あのストレッチも導入されるようになったという裏話まで、聞くことになる。
同時に。
私が腰を痛め、早死にすることはないと確信できた。ガレスがこの離れに頻繁に来るなんて、あり得ないだろう。むしろこんな高待遇なら、健康長寿を謳歌できそうだった。
そんなに長生きをしてどうするのか。
自ら命を絶つことは、皆の想いを考えるとできない。
それならば短命であって欲しいと思ってしまう。
私は長生きを望まないのに。
離れに到着した後は、しっかりマッサージをしてもらい、そしてストレッチをして終了。終わった頃に朝食が届き、ちゃんと食べることを勧められる。仕方なく食べ進めたところ、これまでで一番、食べることができたと思う。
朝食の後、離れ専用の庭園に出て、ベンチで日光浴をすることを勧められた。
陽射しを浴びていると、次第に凍り付いていた心が溶けて行くように感じる。
これだけの明るい世界で、負の感情を維持するのは難しい。
生きる目的を失ったとしても、生きて行くしかないのだ。
多くの人により生かされたこの命。
無駄にできない。
無気力にならないように、本当は何かした方がいいはずだ。
自分は今、何をしたいのだろう?
目に見えるのは美しい庭園だった。
……庭いじりをしたい、かな。
私の母国は花が美しく咲き誇る国だった。毎日のように花の手入れをするのが楽しみの一つ。王女のガーデニングが許されるような、田舎で、平和で、穏やかに過ごせる国だった。
そこで涙がボロボロとこぼれ、しばらくは声を出せずに泣くことになる。
生きなきゃ。みんなが守ってくれたこの命。無駄にしてはいけない。
生きるんだ。生きるのよ、私。
それにはやはり庭いじりだ。
王女だったが、小国で牧歌的な国だった。
そんな私が楽しく過ごせた時間は、花の成長に喜び、花が開花した時。そして家族と過ごす時。
前者は今でも手に入る。後者の時間は二度と得られない。
深呼吸をして全身に陽射しを浴びる。
今、気持ちを後ろ向きにすれば、すぐに死を選ぶだろう。
だから、前向きに。
そのための、庭いじりだ。
再び深呼吸をして、考える。
庭いじりには……道具がいろいろ必要だった。
でもいきなり「スコップ、バケツ、手袋、エプロン、あと草花の種を用意いただけますか?」とは言い出しにくかった。これから、自分がどうなるのか、自分でも分かっていない。このまま本当に、皇妃の夜伽の身代わりとして、ここに残るのか。もしくはソークがどこかに連れ出してくれるのか。それが定まらない中、私から「こうしてほしい」「ああしてほしい」とは言えない。
「ピィーック、ピィーック」
美しい碧い鳥が飛んできたと思ったら、私の座るベンチにとまったのだ。驚いて鳥の方を見ると、足に何かつけている。これはまるで……伝書鳩だ。
私宛の手紙かしら?と筒を外し、中身の紙を取り出すと、ソークのサインが見えた。つまりこれは、私宛の手紙で間違いない。その手紙には、こんなことが書かれていた。
『リリー、お前が皇帝を満足させ、皇妃の夜伽の身代わりに選ばれ、離れで暮らすことになったと聞いた。皇帝は、リリーに満足し、生きている。つまりはそういうことなのだろう?
それは予想外の事態だが、仕方ない。皇帝は……リリーからしたら魅力的だったのだろう?
リリーは今、奴隷だ。でも夜伽の身代わりとなれば、身分は保障される。奴隷であるが、待遇は皇帝の愛人というわけだ。このまま離れで生きるのも一つの選択だ。
既に夜伽の身代わりとなったリリーが自分とここを出ても、追われる身になるだけ。リリーがここに残るなら、自分も残る。君が逃げたいというなら、共に逃げよう。よく考えた上で、返事をしてくれ。
また明日、この時間に鳥を送る。羽根ペンと紙ぐらいなら手配してもらえる。』
この手紙を読むことで、凍っていた心が動き出す。
皇帝ガレスとは何もないのに! ソークまで勘違いしている。しかもこの書き方だと、暗殺するつもりだったが、ガレスに実際に会ってみたら、私が魅了されてしまった。暗殺そっちのけで、ガレスに溺れ、結果、私は皇妃の夜伽の身代わりになった――そう思っている。
でもそう思われるのも、仕方なかった。ソークは寝所で何があったかを知らない。客観的な情報から考えられることは、ソークが書いている通りだ。
それにメイドもみんな、似たようなものだ。当然、暗殺の件は知らない。でも私を皇妃の夜伽の身代わりにすると決めたのは、ガレスだ。そうなるとガレスが私を気に入り、満足し、この離れに住まわせたと思っている。まさかガレスと私の間には何もなく、それでも離れを与えられたとは……想像すらしないだろう。
でもどうしてなのだろう? 昨晩、ガレスは明らかに怒っていたと思った。私は上の空で、彼の命じたことにも、ノロノロとしか対応していない。彼相手にあんな態度をとる令嬢など、いないだろう。それで頭に来て、でもぐっすり眠れて満足したから、私を皇妃の夜伽の身代わりにしたの?
今後もこの離れに来て、ただ寝るつもりなの?
ガレスの意図を知りたいと思った。もし彼がなんだか変わった私を気に入り、手元に置いておくつもりであり、特に手を出すつもりがないのなら……。このまま離れで庭いじりをしながら余生を送る。それでもいいと思った。
もしソークと逃げる場合、ナオやイーモは置いて行くことになる可能性が高い。同じ奴隷商人から購入された私が、皇妃の夜伽の身代わりに選ばれたのに、逃亡したとなれば。残された二人は、間違いなく嫌な思いをするだろう。
それにソークだって、残ろうと思えばここに残れるはずだ。私と一緒に逃亡者になっても、いいことなんて何もないのでは? しかも皇妃の夜伽の身代わりに定められた奴隷女と逃げたとなれば、その汚名は、一生引きずることになる。もし捕まることがあれば、とんでもない目に遭わされることだろう。
そう考えると、ここにいれば……。
本当に、それでいいの?
どうしても悪人に思えなくなってしまったガレスだが、家族の仇であることに変わりはない。婚約者を死に追いやった男だ。多くのスペンサー王国の民を路頭に迷わせたような、最低の男。それなのにその男の庇護の元で生きて行くの?
この離れで、ヴィサンカ帝国で、仇の愛人として生きていくのか。
ソークと共に、ヴィサンカ帝国のはずれでひっそり生きるのか。
二つの選択肢に葛藤することになる。
気づけば碧い鳥の姿はない。
鳥のように、あらゆる意味で自由だったら……。
ただ、どうなのかな。
帰る場所も定まらない。家族もいない。愛する人もいない。そんな、ないない尽くしでの自由に、私は幸せを感じられるのか。それまで帰る場所も家族も婚約者も、当たり前にいた私が。
甘ったれるなと、怒られてしまうかもしれない。
「リリー!」
声に驚いて顔を上げると、ナオとイーモがまだ蕾の状態の花を大量に抱え、こちらに手を振っている。ソークからの手紙を折り畳んで、ワンピースのポケットにしまう。
二人の方へと向かった。
「おはよう、ナオ、イーモ」
「「おはよう、リリー」」
「聞いたよ、リリー! 皇妃の夜伽の身代わりに選ばれたって。奴隷出身では異例の大出世! 昨晩、どうだったの!?」
ナオが間髪をいれずにそう言うと、イーモも少し興奮気味に尋ねる。
「冷酷無慈悲な暴君と聞いていましたが、もしかしてお優しい方だったのですか?」
この二人の質問には、どう答えていいか、困ってしまう。
内心では、本当のこと(つまり何もなかった)を話し、二人に相談したいぐらいだった。初夜の練習相手として、一切役に立たなかった。ガレスは何もせず、寝てしまったのだ。それなのに「満足した」ことになっており、皇妃の夜伽の身代わりになってしまった。どうしてだと思う?――そう聞きたかった。
しかし。
もしもこの話を多くの人に知られたら、ガレスが嘘をついていたと、変な噂が立ちそうだ。そんな噂、ガレスは許さないだろう。粛正の名の元、そんなことを言い出した犯人を見つけ、断罪しそうだ。噂を広めた人間にも、容赦ない処罰を下しそうに思えた。
「ナオ、昨晩の件は皇帝のプライベートに関わることだから、他言無用なの。きっと娼館では、当たり前のように、お客様との一晩について、明るく話していたと思うわ。でもごめんなさいね。話せないのよ。あとイーモ、皇帝の性格については……噂通りの面もあれば、そうでもない面もある感じかしら」
噂通りのガレスは、あの長剣を私の喉に突きつけた時。
そうでもない面は、寝言とこぼした涙を見せられた時。
二人は私の言葉に「「なるほど~」」と頷き、少し物足りない雰囲気だが、無理に聞き出そうとはしない。私が余計なことを話せば、ガレスに罰せられると分かっているのだろう。それだけ彼が……暴君としてここでも有名なのだと判断する。
「ところで二人が持っている大量のこの蕾の花は、どうしたの?」
「これは結婚式の準備。明日、皇帝と公爵令嬢の結婚式だから」とナオが答える。
「この花は、挙式が行われる宮殿の敷地内にある大聖堂に飾るそうよ。今のうちから飾っておけば、明日には咲くだろうって」とイーモも教えてくれる。
「なるほど……」と応じたものの、ここまでしっかり蕾なのに。切り花にして、陽の当らない大聖堂の中に飾り、ちゃんと明日、予定通りに咲くかしら?
というか、そうか。
明日、ガレスは結婚するのね。
結局、初夜の練習はできていないけれど、大丈夫なのかしら?
――「何を勿体ぶっているんだ? そんな布切れ一枚、着ているうちに入らない。さっさと脱いで、わたしを興奮させるようなポーズでもして見せろ」
立派な椅子に座り、肘をついて、長い脚を組み、見下すように私を見ていたガレスの姿が脳裏によぎる。全裸も同然の私の姿を見ても、銀色の瞳は冴え冴えとして、その顔に表情はなかった。
興奮している様子は皆無。
上手くいくはずない気がする。でも確か、スペンサー王国と違い、ヴィサンカ帝国は、古来からの習わしがあったはず。「契りの証」を初夜の翌朝に、示す必要があったのでは?
「あ」
そこで変なことを思い出す。
今朝、白いシーツに血が……と思い、ガレスは怪我をしていたのかと思ったが、違う。
あれは……。
わざわざガレスが用意したの? まさか自身のどこかに傷をつけて? どうして、そこまでする必要が?
分からない。ますますガレスが何を考えているのか、理解できなかった。






















































