第14話 空いてる時間に。オフィスビルの肉吸い
じりじりと肌を焦がすような夏も終わり、そろそろ秋の季節だ。
いいかげん、冷房を付けっぱなしというわけにもいかず、数日前から窓を開けて眠りについている。
これから段々と肌寒くなっていき、秋の訪れを感じるのだ。
「……あつッ」
そう、そのはずだった。
俺は小脇に抱えたスーツを見やって、うっとうしいとネクタイを緩めた。
額からは汗が流れ、せっかく出した長袖のワイシャツは肘もとまで捲られている。
「くそっ。なにが来週からは寒くなりますだっ」
俺はしたり顔で話していたニュースキャスターに苛立ちを送っていく。あの女、少し顔が良いからといって、よくもまぁいけしゃあしゃあと。
全然涼しくもなんともない。むしろ夏場よりも暑いくらいだ。
「弱ったな。さすがにこのままというわけにも」
汗をかいているし、喉がカラカラだ。ひとまずは何処かで休憩しなければと、俺は辺りを見渡す。
すると、交差点の先に大きなオフィスビルがちらりと見えた。どうも向こう側はビルが建ち並んでいるらしい。
ならば座るところもあるだろうと、俺は歩みをビルに定めた。
◆ ◆ ◆
「ふぅ。助かった」
涼しい。やっぱりクーラーって偉大だ。
とりあえずビルの中に進入することは出来たが、さてどうしようと俺はビルの案内図を見つめる。
「はいはい。地下二階ね」
どうも地下二階がレストラン街になっているようだ。軽く店名を追っただけでも、定食屋にラーメン屋、全国チェーンの喫茶店など、いかにもオフィスビルといった感じである。
腕時計を確認すれば、時刻は十時五〇分。少々早いが、ここで昼飯にするのがいいだろう。
何処で食べようか。腹具合を確認しつつ、俺は地下へと続く階段を降りていくのだった。
◆ ◆ ◆
階段を降りると、ぷんとソースの匂いが鼻を刺激した。
目の前には赤いのれん。それにお好み焼きの文字が踊っている。
「ふーん。達筆ですね」
やけに仰々しく書かれた文字を横目に流して、俺は店の前のメニューに目を通す。ソースの香りが腹をいい具合に刺激してきて、このままお好み焼きでもいい気がしてきた。
なになに。ランチセットは……とんかつセットに焼きそばセット?
なんだこれ、お好み焼きが全然ない。
「おいおい。意味不明だぞ」
一応端っこのほうに豚焼きが一枚五八〇円で書かれているが、なんとも奇妙な店である。
常連なんかは何が美味いか分かっているんだろうが、一見からすれば入り辛いことこの上ない。お好み焼き屋なら、お好み焼きで勝負してほしいものだ。
「んー。今日はソースは止めておくか」
いい感じだと思ったが、こういうときは何かあるときだ。俺はお好み焼き屋の前を通り過ぎて、ぶらぶらと歩き回ることにした。
日々の食事の、ただの一回。とはいうものの、基本的には一食たりとも妥協はしたくない俺である。変なはずれは引きたくない。
「しかし、誰もいないな」
そういえばと、辺りを見渡す。時間が時間だからか、サラリーマンの一匹もいやしない。
けれど油断は禁物だ。こういうオフィスビルは十二時を越えればとたんに戦場と化していく。場合によっては十一時半でもきついから、早めに座ってしまった方がいいだろう。
「うーん。客がいないから判断がつかんな」
しかし、歩き回る足と逸る心とは裏腹に、胃袋は中々に昼飯を決めあぐねていた。
なにせ客がいないから流行り具合が分からない。このままだと一か八かにしかならないなと、俺は腹を抱えながら地下街を進んでいく。
「そば……寿司……いっそのことラーメンで誤魔化すか」
考えれば考えるほど決まらない。なのに腹はよけいに空いていく。最悪だ。何か食べなければ死んでしまう。
「いっそのこと、誰かに決めてもらえれば……」
そんなことを、つい考えてしまった。
あっと思い、俺はとっさに口をつぐむ。しかし、ときすでに遅し。
「じゃじゃーん! 呼んだかっ!? 呼んだだろ今っ!?」
俺の横には、ドヤ顔でポーズをつけているアホ悪魔が降臨していた。
「呼んでない」
「いーや、呼んだね。ばっちし聞こえたね」
いつも通りのゴスロリ服に身を包んだリリスが、にししと八重歯を見せながら楽しそうに笑う。
仕方がないかと、俺は溜め息を吐くのだった。
「……でだ。聞いてたなら話が早い。飯食うとこ決めてくれ」
「なんだ、珍しいな。あたしが決めていいのか?」
きょとんとした顔のリリスに、俺は呆れたように顔を歪める。こいつ、聞いてたと思ったら、細かいとこは聞いてないのか。
まぁ、ここまでくればこいつに決めてもらったほうがすんなりいくだろう。俺は店の中でのメニューの選択に精魂を込めよう。
「これぞって店がなくてな。お前なら何処がいい?」
「んー。……肉、とか?」
リリスとしても小首を傾げる案件だ。何屋があるのか分かっていない状態だから当然なのだが、その要求はナイスな気がした。
「よし、肉にしよう。ここはもう曲げんぞ。収拾がつかなくなるからな」
「やった。肉ならなんでもいいぜ」
喜ぶリリスに、俺はふむと腕を組んだ。肉を食うと決まれば、肉を食わなければならない。それも、ザ・肉だ。肉うどんだの、豚玉だのに惑わされてはいけない。肉がメインのものだ。
「おっ、焼き肉。……焼き肉かぁ」
リリスと並んで歩いていると、目の前に焼き肉の文字が見えてきた。
肉は肉だが、昼から焼き肉。いや、昼に食ってはいけないという決まりはないが、それにしてもだ。ランチがあるのかもしれんが、俺は焼き肉は豪快に食いたい。
これはないなと、俺は焼き肉屋の前を通り過ぎようとした。
そのとき、リリスの間抜けな声が地下街に響きわたる。
「あっ、これ美味そう」
「……ん?」
振り返れば、物欲しそうに店頭を眺めているリリスの姿があった。その視線の先の見本品に、俺は小さく呟きを上げる。
「ほぅ。豚キムチか」
日替わり定食と書かれた札の横に、豚キムチが鎮座している。ラップを付けられ、見本品として置かれた一人前に俺は目を凝らした。
豚バラ肉に、キムチを加えて炒めたもの。あまり辛そうではなく、定食屋の豚キムチといった感じだ。
メニューの文字には日替わり以外も書かれていて、なかなかにそそるラインナップが並んでいる。
「ふむ、生姜焼きにコロッケ定食か。いい感じだな。ここにするか」
もちろん焼き肉定食もあるようだったが、ここはひとつ焼き肉屋の昼定食というのも悪くない。
「となれば、ひとつは豚キムチだが……」
リリスの様子からするに、豚キムチは確定だ。確かに美味そうだったし、俺としても文句はない。
もうひとつ、俺の分は何にするかと注意深くメニューを見つめる。
すると、一番人気の赤文字が目に入った。色は赤だが、やけに控えめな小文字である。
「肉吸い? なんだそりゃ」
肉吸い定食。初めて聞く料理だ。名前から察するに肉がメインなのだろうが、どんな料理なのか想像もできない。
「うん。これにしよう」
何事もチャレンジだ。一番人気なのだから、まずいわけもないだろう。とりあえずリリスに振り向くと、俺は古ぼけたのれんをくぐって、店の中へと足を踏み入れるのだった。
◆ ◆ ◆
「日替わりの豚キムチと、肉吸い定食ね」
「日替わりと肉吸いね。はい、どうぞ」
注文をした瞬間、店員のおばちゃんから赤い札と黄色い札を渡される。プラスチック製の、小さな札だ。わけが分からずに見上げると、おばちゃんはレジの方向を指さした。
「会計のときね。渡してくださいね」
「ああ。わかりました」
ぺこりと頷くと、おばちゃんはちらりとリリスに視線を移す。にこにこと笑っているリリスと俺の顔を交互に見つめ、おばちゃんは首を傾げながら厨房の方へと歩いていった。
「腹へったなー。あの赤いやつ食えるんだろ?」
「キムチな。まぁ、辛いもん平気だし大丈夫だろ」
会計札をかちゃかちゃといじりながら、俺は椅子の上で胡座をかいているリリスを眺める。相変わらず、何も考えてなさそうな顔だ。
テーブルの中央に置かれた漬け物を小皿に移し、ひとくち摘んで放り込む。
「ん、美味いな。浅漬けって感じだ。お前も食うか?」
「はは、あたしはいーや。草はどうも苦手で」
しゃりしゃりと白菜の漬け物を食べている俺に、リリスが遠慮するよと首を振る。まったく食べないと言うわけでもないのだが、リリスはあまり野菜を食べない。まぁ、栄養なんて気にする必要もないのだろうが。
「草、ねぇ。お前にとっては、白菜も草と一緒か」
「それより肉だよ肉。早くこないかな」
待ち遠しいと、リリスは厨房へそわそわとした視線を向ける。楽しみにしているのならそれでいいかと、俺は白菜の漬け物に舌の意識を集中した。
さっぱりとしていて、少しすっぱい。これだけ大量に食べろと言われれば困るが、箸休めには最適な漬け物だ。何より、しゃくしゃくとした食感がそれだけで美味しい。
醤油を少し加えたら、もっと美味いかもしれん。そう思い、テーブルの端に手を伸ばした俺の耳に、さきほどのおばちゃん声が聞こえてきた。
「はい、日替わりねー。肉吸いもうちょっと待ってくださいねー」
リリスの前に、豚キムチがどかりと置かれる。豚キムチを見たリリスの顔が、ぱぁと元気に華やいだ。
「おー、これがブタキムチかー。さっき見たのより多いなっ」
「確かに。山盛りだな」
リリスの言葉に、俺もお膳をのぞき込む。リリスの言うとおり、店頭の見本よりもかなり豪快だ。
豚キムチも、横に盛りつけられたキャベツも、なにより盛りに盛られた白飯がとんでもない。
「働く男の定食って感じだな。いいじゃないか」
「うめぇっ! あんまし辛くないぞ」
さっそく食べ始めたリリスが、もぐもぐと豚キムチを俺に見せつける。相変わらず下手くそな箸の握りだが、最近はなんとか箸でも飯が食えるようになってきた。
顔を皿に近づけ、かき込むように食べるリリスを、俺は白菜片手にぼうっと見下ろす。
「そういえば、豚キムチの白菜は食べるのな」
「んぐんぐ。だって、これは肉の味するし」
当たり前だろと、リリスが不思議そうな瞳で言い返してきた。なんとも子供じみた返しだが、分からなくはない。
俺が子供のときもそうだったが、とにかく野菜そのまんまがだめなのだ。別に料理に混ざった野菜は、美味けりゃ食べる。
「ひとくちくれよ」
「いいぜ。あんま辛くないから、あんたでも大丈夫だ」
生意気にも、リリスがにやつきながら豚キムチを差し出してくる。皿ごと受け取って、俺は豚キムチを目の前にかちゃりと置いた。
箸で赤い肉を掴み、口へ運ぶ。
「……ふむ。ほほぅ」
口に入れた瞬間、俺はうんうんと頷いていた。
リリスの言うとおり、そこまで辛くないキムチ味。どこか甘みすら感じられる。
「美味い」
噛むと、しゃくしゃくとしたキムチの食感。それに、豚肉のしっかりとした味が広がっていく。
料理自体は韓国風とでもいうのだろうが、味付けは和食だ。どこか感じるダシの風味に、浅く漬けられた甘めのキムチ。日本人向けに仕上がっている。
不思議な料理だ。だが、美味い。豚の生姜焼きの辛いバージョンって感じだ。辛みで食欲が刺激され、いくらでも入りそうな感覚に陥る。
「飯との相性もいい」
リリスの白飯を勝手に奪い、俺は赤と白のコントラストに溜め息を吐いた。おいおいと見つめるリリスを無視して、もぐもぐと白飯をかき込む。
「別にいいだろ。白飯食べ放題なんだし」
「いや、それはいいけどさ。あたしの分まで全部食うなよ?」
呆れた瞳のリリスに、俺はそれもそうだと豚キムチを返す。何せこの後で本命の肉吸いが待っているのだ。
「はーい、肉吸いね」
そうこうしていると、ついに俺の肉吸いが登場した。きたきたと盆を見下ろし、俺はつい素っ頓狂な声を上げてしまう。
「……なんだこりゃ?」
目の前には、見たことがあるようで見たことのない、奇妙な料理が鎮座していた。
「ふむ」
金属の器。鍋やきうどんを入れる、あの器だ。それに、肉がたくさん汁の中に浸かっている。
まるで肉うどんの麺がない感じだ。うどんがない代わりに、生卵と白飯が盆の上に乗っていた。
「まあ、美味そうではあるな」
どこか拍子抜けする見た目だが、まずそうではない。俺は、肉うどんの肉が山盛り入っているような器に、ひょいと箸を入れていく。
肉と一緒に汁に浸かっているのは、玉葱だろうか。それと肉を一緒に摘み、俺は口の中へと招き入れた。
じゅわりと、肉と汁が口の中で混ざり合う。
「……ほぅ。いけるな」
食べた瞬間、呟いていた。
見た目のイメージと、大きく外れてはいない。肉うどんの肉の山盛り。それを、少しすき焼きよりにした感じだ。
だとすればと、俺は肉を溶き卵の中へとダイブさせる。白飯でバウンドさせてから、口の中へ。
「うん。……うん。美味い」
すき焼きよりも、あっさりとした風味。しかし、この白飯と卵への合い具合、すき焼きにも匹敵する。
「紅生姜を……」
テーブルに、これまた盛られている紅生姜を飯の上に乗っけていく。
そのまま、肉と一緒に口に入れれば、紅生姜の爽やかな塩気が卵と肉と混ざり合った。
「美味いっ」
庶民的な味だ。明治の頃、牛鍋を食べた人はこんな感じだったのだろうか。豪華だが、決して偉ぶってはいない。そんな謙虚さがある。
「ずるいぞー。あたしにもくれよー」
肉吸いに没頭していると、リリスの声が聞こえてきた。見れば、とっくに豚キムチの皿は空である。
仕方ないと、俺は肉吸いのセットをリリスの盆と交換していく。食べたりないが、豚キムチを食べた手前どうしようもない。
「……ふぅ。案外と腹に溜まるな」
割と膨れた腹をさすりながら、俺は辺りへと目を向ける。見れば、いつの間にか周りはワイシャツ姿のサラリーマンでいっぱいだった。
「肉吸い三つね」
「はい、肉吸い三つね」
横のサラリーマン達が注文する声が聞こえる。ふむ、やはり肉吸いは人気なのか。分かるというものだ。
前を見やれば、そこでも肉吸いを食べようと割り箸を割っている親父が目に留まった。本当に人気らしい。
「おっ。……へぇ」
おっさんを見ていると、いきなり肉を汁ごと飯の上にかけだした。そのまま、ざぷりと丼にした肉吸いを食べていく。
じゃぶじゃぶと食べる様子が、どこまでも美味そうだ。紅生姜を加え、まるで茶漬けのようにかき込んでいく。
「うぅむ。見てると腹が減ってきたな」
ちらりと見れば、リリスはまだまだ食べる感じだ。このまま何も食べずに待つというのもあれだしと、俺はおばちゃんに向かって右手をあげた。
「すみませーん。肉吸い、もうひとつ」
少しだけ驚いたおばちゃんが、それでも笑って頷いた。
◆ ◆ ◆
「ふぅ。食ったな。さすがにもう入らん」
結局、おっさんの真似をして肉吸い丼を食べてしまった。
確かに、汁に浸かった白飯が絶品だったのだ。少し固めに炊かれたご飯を、甘辛い汁でじゃぶじゃぶと食らっていく。至福であった。
「うまかったなー」
腹をさすりながら、リリスも笑みを浮かべる。すっかり浮いていたリリスはおっさん達の視線を集めていたが、ご飯をお代わりする様子もあってか最終的にはとけ込んでいた。
「……って、うわっ」
店を出て、外に目を向けた瞬間に声が出る。
そこには、とんでもない人数のホワイトカラーが、これでもかとひしめき合っていた。
うどん屋もラーメン屋も、喫茶店にさえ長蛇の列が出来ている。腕時計を気にしながら渋い顔をしている男性に、俺は自分の腕を確認した。
十二時十五分。込むはずだ。ここにいるのは、昼休みで解放された企業戦士たちか。
どいつもこいつも、窮屈そうにレストラン街を歩いている。店の前で売っている弁当を買っている奴は、これから会社に戻って食うのだろうか。
「悪いね」
そんな中、俺は悠々と重くなった腹で歩いていく。
なんだか不思議な感じだ。俺はこんなに満腹だというのに、ここにいる彼らはこれから忙しなく飯をかき込むのだから。
「待ってくれよっ」
歩く俺の後ろを、リリスが慌てて付いてくる。ゴスロリ服で走る美少女を、並ぶサラリーマンが不思議そうに目で追った。
「デザートでも食べるか」
そう呟く俺に、リリスの目がやったと輝く。
構わないだろう。早く食べた者の特権を使おうと、俺はのんびりと足を動かす。
さて、これから何処に行こうかと、俺はひとまずオフィスビルを抜けるための階段へ、歩いていくのだった。




