第09話 買い物の帰りに。百貨店の天麩羅 (後編)
ぷりっとした弾力が、歯と口内に轟いた。
さくさくとした衣の食感に、何より揚げたての熱々さ。
こういうのも肉汁と言うのだろうか。噛み口から染み出してくる海老の旨味が、俺の日本人としての何かを刺激した。
「……美味いな」
溜め息すら出てくる。美味いとしか言いようがない。
やはり、海老は加熱すべきだ。いや、刺身や寿司でも勿論構わないのだが、個人的には火を通した方が美味い気がする。
ねっとりとしながら舌にまとわりつく、あの独特の旨味は失われるが
それでもこの溢れ出る旨さの奔流はどうだ。
美味い。だが、それ以上に旨い。
お好みでどうぞと言われたので、最初は塩で食べてみたが、やはり美味いものだ。海鮮に塩。合うに決まっている。元はどちらも母なる海が作ったものだ。
「うひゃー。うめぇ」
隣でリリスが、アホ面を全開にして口を開けていた。海老フライは食べたことがあるリリスだが、天麩羅はフライとは違う独特の優しさがある。
素材の味を生かすならば、こちらのほうが良いだろう。元々リリスは海老が好きなので、随分と気に入ったようだ。網に載せられた二本目の海老を既に口にくわえている。
「ところでこれなんだ? アイスクリームか?」
「ぶっ!?」
海老をくわえながら首を傾げるリリスに、俺は思わず噴き出してしまった。リリスの指さす先を見れば、真ん丸に盛られた大根卸が、ちょこんと出汁皿の中に鎮座している。
笑いを堪えつつ、俺はリリスの前に置かれている出汁の入った銚子を持ち上げた。そのまま、大根卸にかけてやる。
熱い出汁が当たり、皿の中に大根卸がふんわりと広がっていった。
「おおー。……なんだこりゃ」
「それに付けて食べてみろ」
口元に指を当てるジェスチャーをしてやると、リリスは噛みちぎった残りの海老天を出汁に付ける。口に持って行き、驚いたように目を見開いた。
「うまいっ!」
「そうか。どれ、俺も。……うん。やっぱりつゆもいいな」
塩とはまた違う美味しさだ。あまりキツくない優しい風味が、口に広がっていく。こうして食べてみると、天丼とかのツユは随分と濃いんだなと気づかされる。
「オクラと鱸の天麩羅です。お出汁とお塩でどうぞ」
海老に舌鼓を打っていると、旬の野菜と魚の天麩羅が到着した。網の上の二品に、どちらから食べようと一瞬躊躇う。
「うめぇっ!」
オクラを無視して鱸に既にかぶりついているリリスを見やって、俺は苦笑しつつオクラを箸で取った。まぁ、こういう一品が有り難いと思いだすのも、大人になった証拠だ。
「うん。いけるいける」
さくっとした噛み心地の後に、オクラ特有の粘つきが舌を刺激する。こういう、旬の野菜なんかはコースで出してくれないと頼まないから有り難い。俺が好き勝手に頼んだら、海鮮ばかりになってしまいそうだ。
続けて、旬の魚の鱸にも箸を伸ばす。口に運び、俺はうんうんと頷いた。
ふんわりとしていて、大変美味しい。海老ほどのパンチはないが、堅実な美味しさだ。魚って美味いよなと、再確認させてくれる。ぱりっとした皮の食感が、またいい感じだ。
鱸ではないが、徳川家康なんかは鯛の天麩羅が好物だったとも聞く。考えてみれば、現代を生きる俺たちは、昔の天下人でも口に出来ないような食に囲まれて生活しているというわけで。
いい時代に生まれたと、歴史に想いを馳せている俺の横で、リリスが笑顔でお茶を飲み干した。
「この国は、うまいもんがいっぱいでいいなっ!」
店員にお茶のお代わりを貰っているリリスを眺めながら、俺もそれには同意だと茶を口に含む。
天麩羅の歴史には諸説あるが、古くは米粉を衣に使ったものもあって、奈良時代や平安時代にも遡るという。江戸時代には江戸の三味のひとつにも数えられ、江戸の郷土料理にもなった。
今では全国に広がり、日本料理を代表する料理になっているのはご存じの通りだ。
「鱚になります。お出汁とお塩、お好みでどうぞ」
出てきた天麩羅を、待ってましたと口に運ぶ。
ほくほくである。ほろりと解ける鱚の繊維に、俺は頬を緩ました。
海老と同じくらいの衝撃度だ。美味い。鱚の天麩羅はオーソドックスだが、旬だからだろうか。普段よりも美味く感じる。
先ほどの話だが、天麩羅がここまで日本人に親しまれる料理となったのには、色々と理由があると思うのだ。
そのひとつが、旬を感じることが出来るからだと俺は思う。
一杯ワンコインの天丼屋でも、ふと入っている野菜天が変わっていたりするのだ。野菜ひとつ、茸ひとつの変化。小さな変化だが、日本人はそんな小さな変化を尊びながら生きてきた。
旬の食材を衣で丸ごと包み込む。何とも日本らしい料理ではないか。
「福揚げです。お出汁でどうぞ」
そうこう考えているうちに、珍しい種が網の上に置かれた。福揚げと呼ばれたそれを、ちらりと見やる。
「へぇ。厚焼き卵の天麩羅か」
確かにこれはつゆで食べるべきだろう。俺は言われたとおりに、福揚げを出汁の中へと沈めていく。
「お、美味い。さすがだな」
出汁が染み込んだ福揚げにかぶりつくと、じゅんわりと歯が卵の中に沈んでいった。
これは美味い。ふんわりと甘みがあって、母性を感じる一品だ。隣でリリスも、美味そうに目を細めて口を動かしている。
寿司屋の卵焼きも美味いが、天麩羅屋の卵焼きも美味い。新発見だなと、俺は福揚げを咀嚼していく。柔らかいから、歯を使う必要すらない。
「後はかき揚げと、お後の海老でお終いになりますが。追加はよろしいですか?」
満足げに茶を啜っている俺に、板前が声をかけてきた。
この後に、かき揚げと海老が控えているのか。腹は結構いい感じだがと、俺はリリスに目を向けた。
「なんか他に食いたいもんあるか?」
「んー。あたしは分かんねーからよ。あんたが頼んでくれよ」
どうやら、追加自体は嬉しいらしい。にこりと笑うリリスに、俺はふむと品書きを見つめた。
そうは言うものの、いまいちピンとこない。ここはプロに任せてしまえと、俺は目の前に口を開く。
「何かお勧めとかありますかね?」
こういう質問には慣れているのか、板前は俺とリリスをちらりと見て、微笑みながら返答してくれた。
「そうですね。旬なところですと、とうもろこし等はいかがです?」
言われて品書きを見つめると、確かにトウモロコシの文字が書かれていた。
トウモロコシの天麩羅。話に聞いたことはあるが、食べたことはない。丁度いいと、俺はそれを追加で注文した。
「とうもろこしの天麩羅かー。楽しみだな」
かき揚げに入っているのは食べたことがあるが、単品となるとどうなるのだろうか。トウモロコシだらけのかき揚げが出てくるのか? 俺は少しだけ胸を躍らせながら、品書きを元の位置に戻した。
「ご飯のお粥です」
リリスと野菜スティックをポリポリかじっていると、店員が茶碗を目の前に出してきた。白いお粥に、梅干しや塩昆布の皿も添えられる。
「お粥なんて久しぶりだな」
「うわっ。どろっとしてるぞこれ」
隣で顔をしかめるリリスは、どうも粥が苦手だったようだ。笑いながら、俺は匙でお粥を一口掬う。
天麩羅続きだった口の中を、懐かしい味が包み込んだ。
当たり前だが、米の味だ。そうか、お粥って美味いものだったか。
今日は色々と再確認する日だなと、俺はお粥を口に運んでいく。塩昆布との相性がいい。
しかし、全部食べるわけにもいかないだろう。このタイミングで出てきたということは、これでかき揚げと最後の海老を食べてくださいねということだ。
「とうもろこしです。そのままか、お好みでお塩でどうぞ」
粥を啜っていると、ついにトウモロコシが到着した。
その皿に盛られた形態に、俺は思わず声を出す。
「ああ、こうやって揚げるのか」
目の前のトウモロコシは、まるで一枚の板のように揚げられていた。
側面を縦長に切り落とされているのだろう。粒のひとつひとつはそのままに、綺麗に一枚として揚げられている。
ひとまず何もつけずに食うかと、俺はトウモロコシを口にくわえた。
かぷりと、トウモロコシの粒たちに歯を入れる。
かじった瞬間に、俺の口の中で何かが弾けた。
「ーーッ!?」
驚いたと、トウモロコシのかじり口を見つめる。
美味いっ。本当に美味い。
もう一口を放り込み、それは確信に変わった。
口一杯に広がるトウモロコシの甘さ。果物とも、砂糖とも違う、とうもろこしの甘さだ。
熱々のとうもろこし。その一粒ずつから、じゅんわりと甘みが弾け飛ぶ。噛みしめる度に、幸せな感覚が脳を揺らした。
「う、美味いな」
「うめぇっ! これうめぇっ!」
ここまでとは思わなかった。確かに変わり種な感は否めないが、それを吹き飛ばして余りある衝撃の強さだ。とうもろこしって、こんなに美味かったのか。
「……旬かぁ」
現代では気にすることがちょっとだけ少なくなった、大切なもの。大地に感謝しながら、二つ目のとうもろこしの天麩羅に箸を伸ばす。
美味い。
「なーなー。アイス食べたい」
俺が自然の恵みに感謝していると、リリスがくいくいと袖を引っ張ってきた。風情も情緒もあったものではないと、俺はリリスに溜め息を吐く。
「お前な。アイスなんてあるわけ……」
「あっ、アイス最中がございますが」
俺の声に、板前さんが反応する。にこりと笑う板前さんに、俺はびっくりして顔を向けた。
「あ、あるんですか?」
「はい。バニラとストロベリーと、ピスタチオがございます」
板前さんの笑顔に、リリスと顔を見合わせる。そんなことを言われてしまっては、頼まないわけにはいかない。
「じゃあ、食後にバニラとピスタチオをひとつずつ」
板前さんが頷いたのを確認して、俺は品書きを手に取った。
本当だ。氷菓子の欄に、色々と書いている。抹茶ゼリーなんかも美味しそうだ。
「一本取られましたな」
そう呟いて、俺は次のかき揚げに備えるために、茶をずずっと口に入れる。
そこで、ふと考えた。
アイスの旬って、いつだろうか。
「もういっぺん、エビでてくるんだよな? なっ?」
締めの海老を心待ちにしているリリスに、くすりと笑ってしまう。
ほのかに冷房がかかった店内を見渡して、俺は深く椅子に腰掛けた。
今日は、やけに季節が近くに感じる。
そろそろ、夏が始まる。




