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第21話 腹が減ったときに。ロース、カルビ、タン塩、ホルモン (後編)


 じゅうと音を立てながら、網の上でタン塩が僅かに縮む。それを見ながら、俺は腹の音を盛大に鳴らした。

 忘れかけていたが、俺は腹が減っていたんだ。


「……何でタン塩って初めに来るんだろうな」


 トングでひっくり返しながら、俺はその薄めの肉についての素朴な疑問を口にする。あまり今まで気にしていなかったが、そういえば何故だろうと俺は首を捻る。


 まぁ確かに、最初に食べるのに適している気がしないでもない。何となく、他のタレに浸かった肉たちよりかは先発向けだ。


「一応、両面焼くぞ」

「ふーい」


 ひょいひょいと肉をひっくりかえし、その肉が焦がれる音を聞いていく。


 タンは片面でいいとか、塩じゃないとダメとかいう奴もいるが、そんなものどうでもいい。好きなように焼いて、好きなように喰えばいいのだ。


 俺はタンは結構しっかりと焼く。何というか、ホルモンと同じ分類に位置している。よくよく考えれば、牛の舌なのだから、どちらかというと肉側になるはずだが。ここら辺は母の影響だ。「タンはよく焼いて食べなさいね」なんて言われて育ったもんだから、よく焼かないと妙に落ち着かない。

 ちなみに母は、ハラミは普通の肉としてカウントする。もうめちゃくちゃだ。


「よし。そろそろ食っていいぞ」

「わーい。……っ、熱っ!」


 焼けたタンを素手で摘むリリスを、少しひやひやとした目で眺めながら、俺もタンをレモン塩の中に浸けていく。レモン汁に、タンの油分がぱぁと広がった。


 それをそのまま、直接口の中に放り込む。


「……うん。うん。……美味いっ」


 弾力のある噛み心地。ぷつりと切れた筋肉繊維が、歯と舌を刺激する。爽やかなレモンの風味が抜けた後、確かにしっかりとした肉の味が味蕾を刺激した。


 激しくはないが、噛むほどに旨味が出てくるような……。俺はたまらずにもう一枚に箸を伸ばす。


 今度は、タレに浸けてみた。ここには焼肉奉行などは居やしない。タン塩をタレで食っても構わないのだ。


「おっ。ここの店、タレが美味いな」


 もぐもぐと咀嚼しながら、俺はほぅと目を見開く。何ともシンプルで力強い味わいだ。

 甘辛いタレに、淡泊なタンの肉質がよく合っている。勿論、このタレならば他の肉にも合うことは確実だろう。


「上ロースと上カルビお持ちしましたー。あとご飯大ですねー」


 タン塩で腹と舌を慣らしているところに、店員が本命の皿を持って現れる。ごとりと目の前に置かれた白飯に、俺はうむうむと心の中で頷いた。

 店員が居なくなったのを見計らって、俺は素晴らしいと口を開く。


「見たか。このタイミングだ。まさにベストタイミングで米が来たな」

「そうなのか?」


 タン塩を頬張っているリリスに、俺は勿論と見つめ返す。

 俺が焼肉屋で嫌なことの上位に、白飯が遅い店というのがある。一度、肉を全て平らげた頃に平然とした顔で持ってこられたことがあるが、あれは流石の俺も切れそうだった。……いやまぁ、途中で聞かない俺も悪いのだが。


「白飯が来てからが焼肉だからな。そこんとこ、分かって貰わないと」

「へぇ」


 酒を飲むときは白飯が要らないと言うのも、個人の勝手だ。俺は寿司を食うときにも日本酒を呑むし、炒飯を食うときにも紹興酒を呑む。勿論、焼肉の時だって、ビールと白飯、両方頂く。


「腹が膨らみすぎるってのは、分からんでもないがな。……よしっ。ロースとカルビ焼けたぞっ!」

「やったーっ! っち、熱ちっ!!」


 熱と格闘しているアホ悪魔は無視して、俺はふふふと笑みを浮かべる。肉。肉だ。先ほどのタン塩も美味かったが、やはりこれからが本番だと言わざるを得ない。


 肉の合間の箸休めに、タン塩を食う。それくらいのアクティブさが、焼肉には肝要だ。


「くく、バウンドさせまして……と」


 タレで純白の白飯を犯しながら、俺は上ロースを丸ごと口の中に放り込んだ。そして、口の中に広がるタレの味を楽しみつつ噛みしめる。


「……ふふ、ふふふ」


 もぐ、もぐ、と。ひと噛みずつ味わっていく。噛みしめた瞬間に、肉の油の旨味が俺の舌に襲いかかってきた。


 暴力的だ。まさに、動物性の旨味。脂質の旨味。


 繊細さなど、どうでもいい。どうだ、これが肉だ。そう言わんばかりの、直球勝負な美味さ。


「美味いっ。やはり焼肉は最高だな」


 そう言いながら、俺は白飯をかき入れる。熱い、柔らかな優しさが口の中を満たしてくれる。


「くぅーっ!」


 これだ。これこそが焼肉の醍醐味だ。

 美味い肉を、白飯でがーっと。……これ以上の幸福はない。


「米も美味いな。この店は当たりだぞ」

「ふぉーか。むぐむぐ」


 手にも顔にも盛大に米粒をくっつけているリリスが、もぐもぐと返答する。それを無視して、俺はもう一度白飯に箸を入れた。


 焼肉屋で大事な要素が三つある。

 一つは、肉。当然だ。二つ目はタレ。そして、三つ目がこの白飯だ。


 肉もタレも美味いのに、白飯が残念。そういう焼肉屋に当たったことはないだろうか? 本当に惜しい気持ちになる。


 勿論、米の炊き方は好みが出る。柔らかめが好きか、固めが好きか。そんな千差万別の中、好みの炊き加減の米を出してくれる店はそれだけで優秀だ。


「やけにびしゃびしゃした店もあるしな。まぁ、好みだから仕方ないんだが」

「あたしにはよく分からないなー。米は米だろ」


 俺の発言に首を捻りながら、リリスは肉を摘んでいく。リリスの声に、まぁそうだろうなと俺は頷いた。

 日本人にとって、米は魂なのだ。ここら辺は、外国の人に伝えるのは難しい。ましてや魔界の悪魔には、だ。


 勿論、俺だってパンの焼き加減なんかよく分からない。フランス人が日本のパンを食べたら、眉を寄せることもあるだろう。


 世界共通の話題でありながら、分かり合えない部分も存在する。それこそが、食の魅力だ。だからこそ、意を同じくする光景に出くわしたとき、全ての国の人と繋がれる。


「……悪魔だって、肉を食う、か」

「ん? どうした。そりゃあ、食うだろ。悪魔なんだし」


 思わず出た言葉に、リリスが今更何を言ってるんだと視線を向けた。それに何でもないと微笑みながら、俺はカルビを口に運ぶ。


 こちらも、素晴らしい。ロース以上の剛速球。味もさることながら、脂身が舌を打つ触感も魅力的だ。

 タレに油が浮かんだのを見やって、俺は白飯を口に入れた。


 ……美味い。


「いいもんじゃないか、焼肉」

「そだなー」


 俺は当たり前のことを呟きながら、空になったジョッキに目を移し、そして店員の方へ振り返る。

 焼肉はまだ、始まったばかりだ。





 ーー ーー ーー





「うーむ。食ったな」


 口の中の弾性を楽しみながら、俺は腹を撫ですさる。口の中のマルチョウは、噛みしめる度にコクのある味を未だに提供してくれていた。


「……ホルモンも美味かったな。どうだった?」

「すっげぇうまかった。いちばん好きかもしんねー」


 ちらりと目を向けたリリスの顔は満面の笑みだ。やはり内蔵は好きなのだろうか。確かに食いつきが従来の比ではなかった。


「正直、まだ食い足りんのだよな。……ビビンバでも頼むか」

「びびんばぁ?」


 聞き慣れない単語に、リリスがこちらに目を開く。米料理だと呟きながら、俺はメニューをぺらぺらとめくっていった。


「石焼きビビンバか。美味そうだな。締めに頼むか」

「たのもう、たのもう」


 リリスもにこにこと笑っていて、まだ入りそうだ。それを確認して、俺はマルチョウの追加を決意する。

 何となく最後の方は、ホルモンを焼きながらのんびりとするのが好きだ。


「しかし、毎度のことながら、よく食うよな俺たち」

「仕方ないよ。あんたの食い意地、悪魔並なんだもんよ」


 そんなことはない。そう言おうとしたが、目の前に当のご本人様が座っているために何も言えない。確かに、いつも同じくらい食っている。


「……まぁ、別にいいか。食えることはいいことだ」


 どうせ、俺の血となり肉となるのだ。どれだけ食おうが、自己責任。気にする必要もないだろう。


「すみませーんっ」


 本日何度目かになるか分からないコールに、店員が慣れた足取りで近づいてきた。





 ーー ーー ーー





「それじゃあ、私の方で混ぜますねー」


 目の前で、女子高生くらいの店員が器用にビビンバを混ぜていく。大きめのスプーンで、焼いた石の器に少し押しつけるように飯の部分が広がっていく。その度にじゅうっと音が鳴って、仄かに香るコチュジャンの香りが食欲を蘇らした。


 一生懸命にビビンバを混ぜる店員を、そういえば何かに似ているなと眺める。あれは、確か大阪で。……そうだ、メイド喫茶だ。友人に連れて行って貰ったメイド喫茶の店員が、こんな感じでシェイクを混ぜてくれた。


「……そう考えると、お得なサービスだな」


 店員が去った後、俺はうんうんと頷く。この店は、女の店員にビビンバを混ぜて貰っても追加料金は発生しない。


「熱っ!! この皿熱いっ!!」


 ぐびりとビールを飲んでいると、リリスの叫び声が耳を突いた。俺はそれを見て、大丈夫かと声をかける。


「あーもう。さっき店員さんが、熱いのでお気をつけ下さいって言ってたろ」

「だってぇ。うまそうだったから」


 ビールに指を突っ込んで冷やしているリリスを見ながら、やれやれと俺はビビンバを取り分けていく。茶碗に盛れば、火傷することもないだろう。


「そろそろ、フォークくらいは持っててもいいかもしれんな」

「うぅ。ひりひりする……」


 指を舐めているリリスに茶碗を手渡しながら、俺はふむとリリスの指先を見つめた。

 今度の休みにでも、フォークとスプーンを見に行こう。そう思いながら、俺は箸でビビンバを口に運ぶ。


「……うん。いけるいける」


 店員の愛情が注入されているのか不明のビビンバは、それでも豊かな味と風味で、俺を楽しませてくれるのだった。



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