顔無し聖女は塩対応。6
「エカテリーナ聖下……」
森の人故、実際の年齢より随分と若く見える偉大な教母・エカテリーナは、滑るようにトバリへと近付く。それに彼女は気付かない。自分の恐怖で手一杯なのだ。
輝く白銀の髪をさらさらと揺らし地べたへ跪いた教母は、紫色の瞳を伏せて頭を下げ、組んだ両手を掲げた。それは、聖地の者が“自分より上の身分の者”へと行う、最敬礼である。教母の後ろに続いていた聖地の神官達も、同じ礼を取った。中には額づいている者もいる。
さらに後方には、我が国の近衛騎士達が居た。騎士団長を先頭に、距離を保ってこちらを窺っている。
「ようこそお越し下さいました、聖女様」
「……っ」
ビクリと、トバリの肩が跳ねた。恐る恐ると云った様子で、エカテリーナの方へ顔を向ける。
エカテリーナは頭を下げたまま、言葉を続けた。
「わたくしは聖地より遣わされたエカテリーナと申します。大教母様より教母の位を賜る者です」
「……」
「こちらの不手際でご不快な思いをさせたかと存じます。お迎えに上がるのが遅くなり、誠に申し訳御座いません。ですが、我ら一同、聖女様のお越しを心よりお待ちしていた事をどうか信じていただきたく……」
「せい、じょ」
パシッと、軽く、ひびの入る音がした。それは先ほど、木の上にいた時に聞いた音に似ていた。
「違う、わたしは、そんなんじゃ」
「トバリ様……」
「わたしは」
声を掛けるが、彼女は声と体を震わせ続ける。よくない兆候だ。錯乱しかかっているのかも知れない。
ピシピシと、連続してひび割れる音がする。近衛騎士達が何事かと周囲を見回し、エカテリーナ達は息を飲み、さらに頭を深く下げた。
こくっと小さく咽喉を鳴らしてから、エカテリーナが口を開く。
「……トバリ様、と、お呼びする事を、お許しください」
「……」
「突然見知らぬ世界へ連れて来られ、混乱されている事と存じます。まずは、お話を。貴方様が疑問に思われる事、我らの事、全て包み隠さずお話しさせていただきます。……まだ、春は訪れたばかり。風も冷とう御座います。どうか、城の中へとお入り下さい。温かいお茶と美味しいお菓子をご用意しましょう。……どうか、お気を鎮められますよう。なにとぞ……」
「……」
それから二度、三度、四度、連続してひび割れの音が弾けた。音が立つ度に神官達は肩を小さく跳ねさせていたが、ただ一人、エカテリーナだけは微動だにしない。流石は三百年の長きに渡り教母の地位に座す人だ。胆力が違う。
トバリは長く無言でエカテリーナを見ていたが、ふいに肩の力を抜いた。ふっ、と小さく息を吐いて、頭巾越しに顔をこする。それからクリストファーに視線をくれた。
「……立てますか」
「はい。すぐにでも」
「そうですか」
トバリの体も声も、もう震えていない。
彼女は顔をエカテリーナへ向けた。
「……話しをしましょう。知りたい事が、山のようにありますので」
「御心のままに」
「……」
するりと立ち上がったトバリにクリストファーも続こうとして。
――目の前に差し出された黒い手に目を瞬く。
「……」
トバリが無言で、クリストファーに右手を差し出していた。黒い手袋に包まれた、優しい掌。
そのたった一つの動作に、トバリの想いが詰まっている。これまで刺々しい態度を取った事への謝罪、怪我が治ったばかりの体への配慮、そして、与えられた気遣いへの感謝。
クリストファーにとって、謝罪も感謝も無用だった。謝るべきはこちらであり、感謝される事など何一つない。けれど、我が身を心配して貰えた事は確かに嬉しくて。
「……ありがとうございます、トバリ様」
顔を熱くしながらの礼は、彼女の心に届いたかどうか。
重ねた掌は自分のものより小さいが、確かな強さを感じた。
トバリが小さな声で「どうも」と口にする。素っ気ない態度が照れ隠しであればいいと、クリスト
ファーは甘ったれた夢想をするのだった。




