5.
自分の新妻が前妻の子供と遭遇したことなど露知らず、アシェリードはその日の最低限の公務を熟して、いそいそと王族居住区へと向かう。
いくら新婚といえども国のトップ。
1週間の婚姻休暇でも最重要書類の処理を熟さなくてはならず、この日の朝、疲れ果てて熟睡する美しい新妻をベッドに残しつつ、後ろ髪を引かれる思いで執務室に向かったのだ。
いつもより書類が少なく、人の出入りも最小限な執務室。
これまでは侍従や近衛騎士も思わず襟首を緩めたくなるほどの張り詰めた重苦しい空気だったが、今日は爽やかな春風が吹くが如く柔らかだった。
「小さな花が舞い踊るのが見えた」とは、いつも感じるプレッシャーに胃をキリキリと痛めている侍従の言葉である。
そして間も無く夕方に差し掛かろうとしている時間、王族居住区に足を踏み入れてキリッとした顔を装いつつ静かに控える使用人に新妻の居場所を確認する。
「寝所に居られます」
「……そうか」
足を止めずに真っ直ぐ寝室に向かうアシェリード。この時はおそらく薔薇の花びらでも舞い踊りそうなくらい浮き足立った雰囲気を撒き散らしていた。
思い起こすのは昨夜の睦事。
初めてなのに、無理をさせてしまった感は否めない。仕方ない、国王と言ってもアシェリードは26歳の男盛り。国一番の美姫とも言える新妻の吸い付く様な白い肌が羞恥で赤く染まる様や、凛とした声が甘く濡れて自分の名前を呼び続ける(自身でそう強制したのだが)事に、歯止めが効かなくて何度も求めてしまったのだ。
逸る気持ちを抑えながら素早く着替えを済ませ、ラフな格好に着替えたアシェリードは寝室のドアを薄く開いて身を滑り込ませる。
大きな寝台の奥側に山を見つけ、回り込んで腰掛けた。
「クリスティーナ?寝てるのか?」
まだ時間は夕方前。寝ているはずはないと思いながら、そっと上掛けを捲る。
「んんー……あ、アシェリード様、お疲れ様〜」
しどけなく色っぽい雰囲気を期待していたアシェリードだったが、口を尖らせて何やら考え込んでいた新妻に少々肩透かしを食らった。コホンと咳払いをして雰囲気は作り出せばいいのだからと気持ちを立て直す。
「身体はどうだ?昨夜は無理をさせた」
「あー……まぁ、処女に対して容赦ないのは如何なものかと思いますが…」
「すまない、君が余りにも扇情的で理性が」
「まぁ、そんな事よりもです。お伺いしたい事がございましてっ」
クリスティーナの顔の横に手をついて、ゆっくりと覆い被さり口付けようとしていたアシェリード。あわよくばこれからもう一度……と想像しながら迫ったのだが、「そんな事」と甘い雰囲気を跳ね飛ばされてしまい、複雑な男心に内心涙しながら座り直した。
「んしょんしょ」と起き上がってベッドのヘッドボードへとずり下がろうとするクリスティーナを手伝って背の後ろにクッションを挟ませてやった。
そんな小さな事でも可愛いなと微笑ましく思っていると、にっこり微笑んだクリスティーナの口から爆弾が飛び出した。
「ありがとうございます。
あの、今日、庭で姫?にお会いしましたの」
もしここに彼の侍従がいたのなら、「せっかく咲いた花が枯れていくぅ〜」とまた胃のあたりを押さえたのだろうが、そんなもんは知らんとばかりににっこり笑顔でクリスティーナは続ける。
「色々事情がお有りかと思いますが、ちゃんとどうなさるか決まるまで、私が面倒を見ようと思いますの」
「そんな必要は」
甘い新婚生活1日目に、まさかの前妻の子との対面話。いつかは説明しなくてはならないだろうと考えていたが、今ここでじゃなくても良かったんじゃないだろうか?とアシェリードは思う。
それに不義の証である子の行方は、未だに決めかねている悩みの種でもある。
「いいえ、王妃となりましたからには必要な事だわ」
「いやしかしアレは─」
「“スノウ”と言うのよ?子の誕生で罪が明かされたからと言って、生まれ落ちた子に何の罪があるのかしら?」
「っそうだが」
この国で崇めている神である豊穣の女神は子殺しを禁じている。経緯はどうあれ、生まれた無垢な子は慈しむべしという教えである。
王に即位して間も無いこのタイミングで発覚した、絶対公にできないスキャンダルの原因が未だに持て余されて後回しにされている由縁でもある。
「お任せくださいませ。悪い様にはいたしません。……それにルートは潰さないと」
「ん?最後はなんと?」
「いえいえ、あ、もう一つお伝えしたい事が」
「……なんだ」
「私、浮気・不倫はするのもされるのも死ぬほど嫌いなの。まぁ、場合によってはアシェリード様が側室を娶るのは仕方ない事だけど。嫁いだからには貴方への貞節を生涯誓いますわ」
正直なところクリスティーナは、仕事と製薬業とアシェリードで手一杯でそんな事できる訳ねーだろ!という気持ちでいっぱいではある。
その前に王妃が不貞を働くと基本的に一発アウトなのだが、それを横に置いたとしても厄災の種を自らばら撒くほど気狂いでもない。
これを態々口にしてアシェリードに誓ったのは、前の女と一緒にしてくれるなという気持ちもあったのかもしれないが、自ら選んだ女の裏切りに深く傷ついたであろう男に、他者が選んで後釜に収まってしまっただけとはいえ、夫となった彼に少しずつでも信頼して欲しかったのかもしれなかった。
何を言われたのかと、すっかり国王としての顔で聞いていたアシェリードは目を瞬かせた。
「だから、よろしくお願いしますね旦那様?」
花が咲く様に笑って、アシェリードの頬に手を添えてそう言ったクリスティーナは、アシェリードにとてつも無い衝撃を与えた。
………………結果
「え?ぅわ、アシェリード様、ちょっとタンマタンマ!」
「其方が悪い」
「え、ちょっなんでっ、あっっっ」
昨夜の二の舞……いや、それ以上の夜となったのであった。
「くそぅ、キラ顔の悪魔め……」
ちょっと前に同じ様な事を呟いていた気がするな、とどうでもいい事を考えながら、渋々お仕事に向かうアシェリードをベッドの上でなんとか見送ったクリスティーナは、やはりその日の午後にやっとこさ這い出て身支度をした。
「王妃殿下、こちら補佐につきましたラケル、クロル、アトリでございます」
早速ミラが見繕った補佐兼専属侍女3人が連れてこられ、王妃の居室にて紹介される。
並んだ3人は従順そうな良い娘に見える。
「そう、仕事が早いわねミラ。早速だけれど貴方達にお仕事を任せたいの。采配はミラに任せるから頼むわね」
「「「はい、王妃殿下」」」
まず頼んだのは現在の王宮の人員配置把握とリスト化、そしてスノウの一日の過ごし方や周りの環境だった。
思い立ったが吉日!とばかりにサクッと環境改善、美幼女と戯れライフをしようと思っていたクリスティーナだったのだが、日が暮れてくるとどんなに取り込み中でもご機嫌なアシェリードに寝室に引き摺り込まれ、翌日昼頃まで籠もらざるを得ない状況のせいで思う様に進められなかった。
「業務改革しましょう」
「王妃殿下……?」
栄養ドリンク代わりの効能の高い薬草青汁を一気飲みしたクリスティーナは、そう宣った。
「まず現状把握するのに、全部文章だけで纏めるのに無理があるし、前日の続きをするのに読み込み直していたら進みが悪いし」
「「「「はぁ……」」」」
まずは資料の規格統一化で雛形を作り、部署ごとに分けられた箱に情報更新があった場合に箇条書きで書き込んでポストしてもらうことに。
同じ様に備品管理も雛形を作り、要らん文言を削除。何が何処にどれだけ必要かを調べて定期購入出来るところはする。変動がある部分は都度申請用紙を提出し、部署ごとにファイリング。過去の分は所定の文書保管室で管理することに決めさせた。
これはクリスティーナがユイマール領で行っている事業を立ち上げる際に決めた仕組みだった。
理由は貴重な薬草の横流し、取り扱い注意な薬品の紛失や悪意のある二次流用などの防止のためであった。透明化する事で、誰でもわかる管理体制となり、結果引き継ぎもスムーズにできたのだ。
反発もあるだろうからと、クリスティーナはアシェリードに事前に相談して承認をもらって黙らせることにした。
しかしそうして導入させた新体制は、知らぬところで威力を発揮して思わぬ副産物を生み出していくのだが、その時の彼女は知る由もない。




