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 ドルセットレポート   作者: とにあ
反乱軍の英雄
6/12

別れ

 

 《5》


 シェリューズがカドア将軍と対峙している時ラーバは、早くシェリューズの元へたどり着こうと奮戦していた。

 布の、血の、肉の、空気の焼ける匂い。混沌と化した戦場。

 カドア城の将の間の前、ほんの数段ほどの階段を流れる血の河、その下に拡がる血の海の中、血に塗れたルドを抱き止め、呆然としているマドラス。血に塗れた剣をふるっているのは暗い金の髪を持つ少女。少女はマドラスの首を落そうというのか、剣を振り上げている。

「マドラスっ!」

 死んでいるかと思われたルドの手が動き、マドラスをその場から突き飛ばす。

 少女の振り下ろした剣がルドを貫く。

 鮮血が舞う。

 誰もがそう連想する場で起ったことは弾ける閃光。

 力の無い闇は全て消し飛んでゆく。

 星精の死の瞬間、その命の全てを邪を消しさる閃光となるという。夜の光から生まれた星精は光へ返る。

「……ルド? ……ルードウィンド? ルードウィンド!!」

 マドラスの声が辺りに響く。

 襲いかかってきた魔物を一刀のもとに切り捨て、ラーバは少女に向かって剣を向けた。

 血に塗れた白い衣装の少女が振り返った瞬間、ラーバは硬直した。

 未だ会えぬ探し人。

 彼女は昔から人嫌いだった。

 だが、嫌だった。信じられなかった。

 違うと信じたかった。

 少女は真紅の瞳を細めて笑みを造った。

 流血を、惨劇を喜んでいる狂気の瞳。

 背後に襲いくる剣圧を感じたラーバは咄嗟に横に飛び避ける。

 何時の間にか背後に迫りきていた白い甲冑を身に纏った騎士が剣をふるったのだ。

 白い甲冑の中は人が入っているらしかった。

 カドア軍の甲冑に本来あるはずの無い刻印が胸元を飾っている。

 魔王軍の刻印。

 ラーバの剣を握る手に力が篭る。

 その白い甲冑の騎士の後ろから現れた蒼い甲冑の戦士達。

 揃いの甲冑。それはカドア軍の正規騎士の印だった。

 そして、白い甲冑は騎士団長のみが許されて身につける。

 青騎士彼らの散在で後退の道は閉ざされた。

 なぜ、こうなったのだろう?

 ラーバは剣を握り締めながら白騎士と少女を見つめる。

 探していた。会いたかった。憧れていた。栄誉ある白い甲冑を纏うことを許されていたのに、その地位を母のために捨てた人を。

「……よくもっ!」

 マドラスの怒りのこもった震える声がラーバに正気、状況を見る力を取り戻させた。

 今のマドラスには目の前にいる敵、白い衣装の少女と白き騎士しか見えてないのが容易に理解できる。

 先程までラーバ自身が白い少女と白騎士しか見えてなかったのと同じに。

 ラーバは少女にかかっていこうとしたマドラスの足を引っ掛けて転ばす。

「下がってろ。オレがやる。」

 マドラスはラーバの勢いについ頷く。

 廊下の向こうから反乱軍の味方が数人、駆け込んできたのをラーバは気がつかなかった。

 その様を少女は気にした風もなく眺め、白騎士とラーバの緊迫した睨みあいの方に意識を移す。

 炎を纏わせた剣をラーバはゆっくり振りかぶり、構える。

 白騎士も白銀に輝く剣を同じ様に振り上げ、構えた。

 両者の構えは同じ流派のモノであることを示している。

「はっ!」

 掛け声と共に床を蹴る音。

 それも同時。

 打ち合い、交わされる二本の剣。

 血に塗れた白い衣装の少女は白騎士の勝利を疑いもしていないのか、薄く笑顔を浮べてすらいる。

 剣を打ち合う音が響きわたる度に周囲で敵味方、戦う者の手が止まり、二人の打ち合いに魅入ってしまう。

 まるで見事な、つい総てを忘れ、見惚れてしまうしかない模範試合を見ているような心境になって。

 どれほど打ち合いが続いたのだろうか、はたから見て不利なのはどう見てもラーバだった。

 何度も避け損ねた剣によって出来た幾つもの傷。

 それでもラーバの表情には柔らかな笑みが見え隠れしていた。

 だが、存在しない。終らない試合は。そして試合の場でなく、ここは戦場だった。

 そしてラーバは負けるわけにはいかなかった。

 白銀の刃がラーバの脇腹を薙ぎ、鮮血を飛び散らせる。そして炎の剣が白騎士を炎の中に包み込む。

 燃える白騎士、ラーバはその様子を見守り、立ち続ける力は残っていないのか、膝をつく。

 かしゃぁんと魔王の刻印が蒼き騎士の甲冑から白騎士の甲冑から崩れ落ちる。

 少女とラーバどちらが一番呆然としていたのだろうか。先に叫んだのは少女だった。

「いやあああああっ!! お父様ぁっ!!」

 少女の悲鳴が周囲に拡がる。

 誰も気がつかなかった。ラーバの口が小さく動いたことを。

 少女の悲鳴は瞬時に白騎士を燃やし尽くす炎と共に消えた。

 不意に現れた焔の作り出した幻影とも思える女性。ラーバも少女が知っているのと同じくらいに彼女を良く知っていた。

 純粋な炎精の乙女。そして白騎士の妻。

「……お、お母様……。いやっ! 独りにしないでぇっ!」

 泣きじゃくる少女にラーバは剣を杖がわりに立上り、手を伸ばす。

 マドラスは少女のあまりの無防備さに驚き、ラーバの行動に眉をひそめる。

「いやあああああっ! お父様を、お父様を返してよぉおおお!! だから人間って嫌いっ! お父様も、お母様もお前の所為だぁああっ! 返してよぉおお……わたしのお父様を、お母様を…。殺してやる。みんな、みんな死んじゃえばいい! 人間なんかいくらでも涌いて出てくるんだから。汚らわしい。」

 ラーバは少女の憎しみの、憎悪の篭った瞳を真っ直ぐに受け止め、穏やかな微笑みを浮べる。

 少女を軽く抱き締めたラーバは、逃れようと暴れる少女の耳元で言葉を囁いた。

「独りにはしないよ。オレがいる。一緒にいよう。ファニーニ、ずっと、ずっと、探していた。心配していた。お前にはオレがいる。忘れてしまったかい? ホンの五年だけで。愛してるよ。オレの半身。独りじゃない。決して独りにはしないよ。」

 小さな囁きを紡ぎながらラーバは握った剣をゆっくりと動かす。

 呪いの呪縛から解かれ、正気を取り戻したらしい蒼騎士達は兜を脱ぎ捨て、辺りを、辺りの様を呆然と見渡している。

 少女は少々信じられないものでも見るかのようにラーバを見た。

 少女の真紅の瞳に最後に映ったもの。それはラーバの優しい笑顔。

「ラーバ……?」

 ラーバの握った剣は間違いなく少女、ファニーニを貫き、そしてラーバ自身をも貫いていた。

 その光景に見守るしかなかった周囲の者の時間が止まる。

 鮮血が溢れる。それなのにファニーニを貫いた傷からは一滴の血も溢れていない。

 まるで人形を貫いたような感触がラーバに伝わってくる。

 ファニーニは瞳を閉じ、どこか暗い笑みを創った。

「大好き。ラーバ。わたし達、炎精には炎の剣は回復の助けにしかならないのに。ラーバは痛いでしょ? でも、わたし、人間はやっぱり嫌い。わたしと一緒に人間を殺さない? ラーバが人間に力を貸す限りわたし達、相入れないもの。わたし、一緒に居たいし、さっき一緒に居てくれるって言ったわ。……でも、いいの。今は死なないで。それがわたしの望み。わたしも愛してるよ。ラーバ。また会えるといいね。」

 ファニーニの姿は急に燃え上がった暗き炎の間に消えた。

 死んではいない。貫いてはいたが手ごたえは自分を貫いた感触だけ。ファニーニは傷ついてもいないだろう。

 傷ついたのはラーバ本人だけ。もう、あの子は『人』ではないのかも知れない。

「ラーバ。」

 その時、彼女を思い、何も見ていなかったラーバに声をかけたのが誰かは解らない。

 ただ、ラーバは立ち上がって、集まってる周囲の者に怒ったように声を荒げた。

「早くここから離れろっ! 燃え落ちるぞっ! マドラス、誘導を。レオト! 聞こえたら支えるのを手伝ってくれ! オレは炎を抑える。シェリューズがカドア将軍を討ち果たしたぞっ!」

 ラーバの血を吐きながらの言葉に呼応するかのように、壁や床を突き破った蔦や植物が申し訳程度にその場の崩壊を防ぐ。

 火に炙られ、緑の葉が茶色く煤けポッと火に包まれ燃えてゆく。

 ラーバはゆっくりと胸に突き刺さった剣を抜き取った。

 がらんっと剣が床に落ち、剣に纏わり附いた血が火に炙られ、真紅からどす黒く変ってゆく。

 大量の血が流れてゆくのをラーバは感じながら自分の朱に染まった手を見、自嘲するように笑う。

「……オレは……生きる……生き延びる……あいつが、あいつが生き続け、人に敵対し続ける限り……」

 薄く笑い、その手を握り締めたラーバはゆっくりと目を閉じた。

「それは良い心がけだ。と言っていいのやら、悪いのやら。」

 不意に掛けられた言葉にラーバは彼を見上げて、笑った。

「レオト、炎は苦手じゃなかったのか?」

「ふん。火の属性と樹精が相性がいまいち宜しくないのは今に始まった事ではないし、今、力を貸すことが出来るというのにしないというのは道に外れるものだろう。同じ精霊種族な訳だしな。それに名付け主が焔の属性というのに火ごときを恐れてどうなる。」

 レオトの言葉にラーバは明るく笑った。

「ちょいと失礼だが、確かに違いないな。」

 樹精の名付け親に対する思慕の思いは強い。例え、それが相対する属性であろうとも。名付けられた樹精はその存在に惹かれずにはいられないという。そのことを踏まえたラーバの言葉にレオトは笑ってから、微かに眉をしかめ、呟いた。

「しかし、これでお前を王に仕立て上げるのは無理だな。やはりシェリューズか。」

「お前、そんなこと考えてやがったのか? やってくれるぜ。」

「さぁ、炎精が焼け死んだりしては笑い話にもなるまい。」

 小さく笑って手を差し伸べたレオトにラーバは思いっきり笑った。




 シェリューズは目眩を覚え、ほんの数回瞬きをした。

 ゆるやかに頬を撫でる風にシェリューズは目を開けた。

 その目の前に広がった風景は遠くに見える炎の色。

「こ、ここは?」

 シェリューズはまた瞬きをする。

 見回すと何処か見覚えが有り、よく見ると野営をしていた森の延長線上にあった山であることが知れた。

 慌てたシェリューズは理由を尋ねようとして彼に視線を合わせる。

「りゅーず!」

 そんな時、聞き覚えのある声にシェリューズは空を見上げる。

「イ、イレル?」

 銀髪の友人を確認し、シェリューズはほっとする。

 真紅の翼のおこす風に銀の髪が遊ばれている様はひどく、ひどく美しいとシェリューズはいつも思う。

「りゅーず。無事。よかったっ!」

 イレルはシェリューズの目の前にバサリと翼を軽く揺らしながら降りたった。

 彼は実用には不向きであろう華奢な剣を携帯し、衣装はいわゆる民族衣装に着替えている。

 数枚の布を組み合わせ、纏う形式の民族衣装ははっきり言って動きにくそうに映る。

 そんなことを横に置いておいてもいいくらい、瞳の紫より淡い藤色の布が基調になってるのがとても神秘性をかもしだしていて、衣装を纏ったイレルは綺麗だった。

「イレルも無事だったんだね。みんなは?」

 ほっとしてると知れるその言葉にイレルは、さっと表情を曇らせて告げる。

「るど、るどが、死んだ。」

「そ、そう。……マドラスは落込んでるだろうね。」

 軽く頷いたイレルは少し表情を変え、赤く長い髪を持つ人物を胡散臭さそうに眺め、シェリューズに尋ねる。

「で、りゅーず。これ、なんだ?」

 シェリューズはその言葉に沈黙を守っていた彼を見た。

 涙がその瞳に込み上げてくる。

「い、今まで、今まで、何処に居たの? エリュー。」

 シェリューズは彼に泣きつく。

 イレルは不審そうに彼を眺める。イレルの視線に彼は実に不愉快そうな眼差しで見返す。

「えりゅう?」

「エリュー!」

 シェリューズはエリューを離すまいと、そのたっぷりとした袖を握り締めた。

 血に濡れた衣装を脱ぎ、簡単な止血をし、着替え、他のみんなと同じようにシェリューズを探していたラーバはそのメンバーに違和感を覚えながらも、シェリューズのそばへと急ぐ。

 カドア将軍を討ち果たした勇者のもとへ。

 弟のように可愛いシェリューズのもとへ。

 起ったこと総てを心の底に押し込めて。

 イレルがモノ問いたげに着いたばかりのラーバを見やる。

 沈黙を守っていた彼がそっと口を開いた。

「あのさぁ、悪いけどねぇ。リューズ君。オレ、あんたに会うの今回がお初だよ。それにオレ、アレイドって名前でエリューなんて名前じゃないんだけど……。」

 シェリューズが傷ついたようにパッと顔をあげる。

 こっそりとラーバが剣を抜きやすいようにずらす。

 その様子をイレルは眉をひそめながら眺める。

「う、嘘だ! エリューだよね。その真っ赤な髪を見間違えたりしないっ! 間違えたりなんかしたら殺されかねないんだからっ! オレ、エリューを間違えたりするもんかっ! それにそこまで派手な赤毛を伸ばし放題にしてる上に、わざわざ派手になる色合いの服選ぶ真性のど派手な奴が他にいるもんかっ!」

 シェリューズの暴言とも言える言葉にアレイドの目を困惑と同情と微かな怒りの色がかすめる。

「真性のど派手?」

 ふと、数歩分離れていたラーバが辺りを見回し出す。

 イレルがラーバに小声で尋ねる。

「らーば?」

「誰か、いる。」

 その妙に神経質な声にシェリューズもさすがに辺りの気配を探る。

 だが、アレイドの袖は離さない。

 アレイドはそれをちらりと見てから、呆れたように溜息を吐き、すぐそばの木を見上げる。

「シード! 出てこいよ。」

 状況をずっと盗み見ていたらしい黒ずくめの青年、シードは笑いを噛み殺しながらストンっとすぐ側の木の上から降りた。

 イレルは少し、あとずさり、呟く。

「盗族、か。」

「せー……」

 アレイドの問答無用予備動作無しの肘打ちは見事に決まり、シードは少し吹っ飛ばされる。

 少し引きずられたシェリューズはパァっと表情を明るくして呟く。

「やっぱり、エリューだぁあ。」

 イレルやラーバ、アレイドすらも不審げにシェリューズを眺めた。

 ラーバがおずおずとシェリューズに尋ねる。

「おいおい、お前、エリューさんにどんな扱いを受けてたんだ?」

 アレイドもうんうんと頷く。

 シェリューズは懐かしむように目を細める。

「あれ? ラーバ言わなかったっけ? 我が侭で大人げなくて、手加減なく崖からつき落して、夕食には戻ってこいって言うしね。にっこり笑って暴力ふるうしね。エリューってば、ねっ。」

 同意を求められて彼、シェリューズに対してはともかく結構、心当たりの有るらしいアレイドはぎょっとする。

 シードがようやく喉元をさすりながら立ち上がる。

「シード。」

 アレイドは求められた同意に困りシードに意識を向けた。

 その瞬間、アレイドはしまったと思った。

「乱暴者ぉ! 少しは手加減しろよな。瞬間、気を失っちまったじゃねーかっ! アレイド。俺がなにをしたって……」

 シードの言葉は再び邪魔された。

「さっきにしろ! 今にしろ、お前という奴はどーしてそうっ!! 気がきかないんだっ!」

 素手というのが信じられないような派手な打撃音が数回響く。

 はっきり言ってはたで見てると八つ当り以外の何ものにも見えない。

 言ってることも無茶というものだ。

 理不尽な攻撃を終えたアレイドは肩で息を吐く。

 勢いで振り払われていたシェリューズは、あらためて袖を掴みなおす。

 アレイドがその時のシェリューズの顔から目を逸さずに見ていたら気がついていただろう。誤った確信を持ったその嬉しそうな笑顔に……。

 即座に息を整えたアレイドは、にこっと笑って倒れてるシードを引き起こし、薄い黒布に包んだ一掴みの髪を手渡す。

「ねぇえ。シードぉ、これさぁ、ローザンヌちゃんに届けてくれるよねぇえ。とーぜんさぁ。」

 わざわざ舌怠く紡がれる強制の言葉。

 シードはさっと真剣な眼差しになり、それを受けとる。

 ローザンヌ・カドア。カドア将軍の一人娘、何も知らず五年間過ごし、知った瞬間家出を謀った正義感の強い姫。そして誰よりも父親思いの娘。そしてその父もその娘のことを『盗族』である彼らに依頼した。

 無事に姫の伯父、の元へ送り届けることを。

 シードはしみじみ想いを馳せ、痛みを忘れる。カドア将軍は嫌いじゃなかった。

「わかった。」

 アレイドは頷き、シードを冷やかすように見る。

「呼ぼうか? 兄さん。」

 シードはアレイドの言葉ににっと笑ってそれを懐に収める。

「助かる。あんまり派手にするなよ。お前、結構派手好みだからなー。」

 既にわかり切ったことかも知れない。

 アレイドはゆっくりとした動作で空を仰ぎ、目を閉じる。

 数秒後ゆっくりとアレイドは目を開け、何かを抱くかのように腕を空に向け伸ばす。

「こい。」

 アレイドは呼んだ。それを。優しい愛しげな声で。

 声に呼応するかのように小さな影が空のむこう側から現れた。

 首の二つある飛空蜥蜴のような影だ。その影が近付くに連れ大きさを増してゆく。

 それは、通常の一人から二人乗り小型種ではなく楽に四、五人乗れそうな巨大な蜥蜴であった。

 シードがカリカリと頭をかきながら呟く。その目は嬉しそうにそれを見つめるアレイドを映している。

「ぁったく、またハデな事を。」

 さほど手間のかからぬことを、まるで何かの儀式を執り行うかのように行うのはアレイドによくあることらしく、呆れ切っているシードがいた。

 その現れたものの存在、正体を理解しているらしいイレルの表情も何処か呆れている。

 素早く狭い位置に身を窮屈そうに縮こまらせて着地した二首の飛空蜥蜴はキュイキュイと鳴きながら爬虫類特有の肌をアレイドにすり寄せる。

 アレイドはポンポンと巨大飛空蜥蜴を叩いて、甘ったるい声を出す。

「シードの道案内で飛んでね。」

 ちらり、とアレイドはシードに視線を移す。

「ん、行ってくるわ、アレイド。この辺で待ってろよ。ローザンヌちゃんだってあんまり取り乱したところ、人に見られたくないだろうからよ。ところで、何時の間にそんなでかい子持ちになったんだ? お前。」

 シードは飛空蜥蜴に乗り込みながら喋る。

 背に乗るシードに手を貸してる女が軽く笑いを洩らしている。

「ちがうっ! オレはお前とは違うぞっ! こいつが何歳か知らないがオレがいくつの時のガキだっつーんだよっ!」

「えっ? オレは二十歳。」

 アレイドの声にシェリューズはパッと呟く。

 急にアレイドがにっとした。

「ほらみろっ! お前より二つ年下っ! オレはお前より年下、なんだろ? よく考えろ。ほぉら、こいつのがオレより年上って事にならないか? な?」

「年上の子供を持つとは器用な。」

 しみじみとしたシードの言葉にアレイドは『聞けよ。』と言いたくなるのを諦め、溜息を吐き、飛空蜥蜴を叩く。

「いってこい。ロスティマラ。」

 呆れきったアレイドの声に、飛空蜥蜴からくすくすと女の声で笑いが洩れる。

 飛空蜥蜴はばさりと羽音を立てて飛び立った。

 飛空蜥蜴の首が二つ。シードの肩に軽く手をかけてる、上半身だけの長い髪の女が一人。

 大きなものが飛び立った影響で大量の砂埃があたりに巻きおこる。

「ロスティ……て蜥蜴の名前かい? あれ、森の民だろ?」

 ラーバは埃にむせながら素朴な疑問をぶつけた。

 アレイドは砂埃を払いながら頷いた。

 飛び去ってゆく飛空蜥蜴を見送りながら、初めて見たとラーバは感慨深く小さな呟きを洩らす。

「あのね、リューズ君、オレね、年上の子供を持った覚えがないのと同じくらい異種族の子供を持った覚えないよ。わかるかな?」

 アレイドの諭すような口調にじっとする事のないラーバがそっとシェリューズの肩をたしなめるように叩く。

『リューズぅ!!』

 二つに重なる声。

 カルナンがリルを庇いつつこちらに向かって来ているところであった。

 ラーバはそちらを見て手を振る。

 カルナンがふともうひとつの影に気がついて足を止める。

 シェリューズの姿を確認したリルは嬉しそうに微笑んで足を早める。

 足を早めたリルに遅れたカルナンは二、三度頭を振り、足早にリルを追いかけ、シェリューズのもとへと向かった。

 リルはキラキラと目をきらめかせて興奮気味にシェリューズに抱きついた。

「ねぇ、大きな影、飛んでったね! リューズ、カドア将軍討ち果たしたんだよね。やぁっぱり、すごいや。すごいね、凄いよ。リューズ。勇者様だもん。」

 そしてリルのその瞳は尊敬の眼差し。

「でも魔王を倒すつもりはないんだよ。生活の場は取敢えず取り返せたんだから。」

 苦笑しながらシェリューズはリルをたしなめる。

「ラーバ、その人はぁ?」

 カルナンは用心深くアレイドを見ながらラーバに問いかける。

 どうもイレルが警戒してるらしく翼を収めていない状況を見て、カルナンも少し用心深くなっているらしかった。

「おはようございます。はじめまして。アレイドと申します。」

 柔らかなよそいきの笑顔にシェリューズとラーバはどきっとする。

「あ、ご丁寧に……。カルナンですぅ。」

 カルナンは元気よく頭を下げる。

 アレイドはちらりとあたりを見回し、ようやく袖を離したシェリューズに視線を合わせる。

「リューズ君、オレはホントのホントにアレイドって言うんだよ。物心ついてからの約十六年間、その、エリューって名前では呼ばれたことがないよ。」

「じうろくぅ?」

 不審げなラーバの突っ込み。

「それ以前は人間型の種にすら会った事はなかったんだよ。ちなみに多分、十九。いくらかは前後するかも知れないけどね。」

 微かに拗ねたようにも感じられる口調にシェリューズは首を傾げる。

 首を傾げたシェリューズを見上げ、ようやくリルはアレイドに視線を移した。

「あのね。ボク、リルジェーダだよ。リルって呼んでね。よろしくね。」

 リルがアレイドに挨拶しているとき、カルナンがシェリューズを見る。

「リューズ、レオトが話があるから来て欲しいってぇ。」

 うんうんと頷くリルがシェリューズを軽く引っ張る。

「こっちだよ。はやくっ。」

 カルナンとリルの案内で去ってゆくシェリューズが見えなくなった頃、イレルとラーバはすらりと剣を抜き、アレイドに突き付けた。

「……………………」

 イレルの口からなめらかに滑り出したのはラーバには理解できないほど古い言葉。いや、音と表現しても間違いではない声。

 アレイドは一歩あとずさる。

「………………………………………………」

 アレイドはイレルの風が鳴くような古い言葉、声、もしくは音に一瞬きょとんとしてから吹き出した。

 嫌がらせ。とアレイドが気がついたのだ。

 内容はおそらく、自分が何故此処にいるか、何の為か。というあたりであろうとたやすく知れる。

 少し離れた位置に立つラーバはイレルの行動の意味が解らなくて首を傾げたい衝動を抑えながらも様子を伺っている。

「ぐーぜんだよ。ぐーぜん。別にカドア軍に雇われてたわけじゃないしね。うん。認めとく。オレは、オレ達は確かに盗族だよ。ま、オレは生まれつきのって訳じゃないし、まだまだ修業中のガキだしさ、気にするだけ損だぜ。それにしても銀翼の民が使う古の言葉って、さすがに綺麗だな。言葉なんでしょ? さっきの。ねぇ、純血? 混血? あ、名前に濁るような響き入ってないから混血かぁー。」

 笑いながら言うアレイドの言葉にイレルは疑いの眼差しこそとかなかったが、剣は鞘に収めた。

「イレルディアという。純血は既に存在しない。そう、500年前最後の一人が消えてから……森の民を従え、古き言葉を解するお前。今は譲っておこう。ただ、」

 意味ありげに紡ぐ言葉を途中できり、彼は黙り込む。

 攻撃の意図が彼から無くなったのを確認したアレイドはにっこりと笑った。その瞬きの瞬間ヒュンっと風を斬る音が唸った。

 カチャリとラーバが剣を収める音とゴゥぅとタイミングよく吹いてきた風。

 束ねられた赤毛が束縛を失い自由に波打った。

 腰を越えるかというほどの赤く波打つ長い髪。

 その姿はなぜか少女から乙女へと変化を遂げたばかりのような印象が強い。

 髪をそのまま下ろす彼は青年というよりどうしても少女という趣があり、錯覚を起しそうになる。

 アレイドはパチパチと数回瞬きをし、今、なにがおこったのか理解するのに数秒を必要とした。

「彼の行動は保証できない。何故なら彼はリューズの過保護な程の保護者だから」

 イレルが区切っていた言葉の続きを今さらのように紡ぎ出す。

 つまりイレルの言葉を理解できないラーバはその行動で会話の内容を探ってたといえるのだろう。

 理解したアレイドはかぁああっと耳まで真っ赤にし、青いその瞳にじんわりと涙を溜ながらラーバを睨み付けた。

 ラーバが剣をなおすついでにアレイドの髪を束ねていた束縛を断ち切ったのだ。

「なっ! オレの髪をっ! オレがなにをしたってんだよっ! 長さ揃えるの大変何だぞっ! それに危ないじゃないかっ!!」

 何か違うことを喚きながらアレイドはラーバに詰め寄ろうと一歩足を踏み出す。

「脅しだ。もし、リューズになにかしたらこれでは済まないと思え。それとお前、いったい何者だ? 炎の中から消えた様は単なる人では考えられない。それとも移動魔法を理解した魔法使いだとでも説明してくれるのか? 移動魔法は研究途中のものだし、制限がかなりかかるはずだ。準備もなく出来ることではないはずだ。」

 ラーバはアレイドを睨み付けながら疑問を突き付ける。

 アレイドは袖で涙のこぼれ落ちそうになっている目元を擦りながら何気なく口を開いく。

「もしかして、勇者ちゃんとおにーさんってやっぱり二人ってそーいうカンケイ?」

 話を途中からちゃんと聞いてなかったのか、いたのか、何処か的外れなことをアレイドは呟いた。

 二、三秒間を置いてラーバはパクパクと口を動かすが、声は出てこない。

 イレルは既にくすくすと笑いはじめている。

 アレイドの表情は明らかに嫌がらせだった。

 再び乱暴に剣を抜いたラーバは、笑いのおさまらぬイレルにポンポンとたしなめられていた。

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