将を討つ
《4》
二、三段ある階段を駆け上がり、勢いよく音を立てて扉を開け放つ。
炎精の操る意思有る炎が急激にその部屋に吸い込まれ広がってゆく。
重々しい程の紅い敷物がなお赤い炎に舐め取られてゆく。
打ち付けられていた窓の板が大きな音を立てて弾け散り、血と埃で薄汚れた柱や床は炎に炙られ瞬間、元の色を取戻し、再び色褪せ燃え落ちてゆく。
そんな崩壊の惨状の中、一段高い位置に腰を落ち着けていた男はじろりと侵入者を見やった。
「カドア将軍、お覚悟!」
留まることなく燃え落ちる柱や天井……。カドア将軍は黒い飾り気のない椅子からのっそりと立ち上がった。
熊のようにどっしりした体格と髭に覆われた顔。
厳しい表情で将軍は侵入者を見続けていた。
この地での魔王軍の敗北は既に決した。と言ってもけして間違いではないはずなのに、将軍の目には諦めの色や自棄になった者の怯えの色はまるっきり見えなかった。それゆえにどこか侵入者が焦りを覚える。
「若ぞう。よくぞ此処まで来た。褒めてとらすぞ。全ての罪はわしにあるとせよ。さあ、相手をしてやろう。くるがよい。」
将軍は腰の大振りな剣を抜き、構える。
「いきますっ!」
若者は一度軽く黙礼し、剣をふるう。
二本の剣が打ち合う音が火の燃え盛る中、数度響きわたった。
打ち合わされる剣と剣の音。
力で打ち下ろされた剣を剣で受け止め、力で弾き返す。
はじめは将軍の有利に見えていたものが数回、剣を打ち合わせる度に徐々に将軍が圧されていった。
「くっ!」
疲れを知らぬかのような若い侵入者の動きに将軍からはじめて焦りの声が洩れる。
すぐに剣を弾き飛ばすカン高い音が響いた。将軍の剣は手を伸ばせば届く位置に飛ばされていた。
負けの決まった将軍は自分の剣を飛ばした若者を見た。
若者は切先を荒い息遣いの将軍に突き付け告げる。
「決まりですね。将軍……負けを認めて全面降伏していただけるのでしたらお命の保証はいたしますが……」
若者の言葉に将軍は唇の端を引きつらせるようにつり上げた。
「若ぞう。名を聞いておいてやろう。」
若者は敗北が決まりつつも威厳を保つ将軍に尊敬の眼差しを向け口を開く。
「シェリューズ、と申します。将軍。」
今、シェリューズの前にいる将軍がなんの理由もなく、ただ、己の欲望のみで魔王軍に荷担したとは彼には思えなかった。
真っ直ぐ人を見返す将軍の目に嘘も迷いも見えない。
将軍が心までも魔王に売っていなかったことがシェリューズには嬉しく思えたのだった。
その嬉しさの中には、これでラーバの夢をあまり壊さずにすむという思いも含まれていた。
シェリューズの名乗りに将軍は嬉しそうに頷き、剣をさっと取り上げるとシェリューズに向かい振り降ろした。
「なっ!」
シェリューズは驚きの声をあげ、反射的に剣を振り降ろした。
「……しょ、将軍?……」
大量の血を吹き上げたのは将軍。
シェリューズを見つめ、将軍は満足そうに笑う。
「これでいい。これでいいのだ。わしは武将として死ねる。たとえ、それが魔王軍配下の武将だとしてもな。少なくとも生き恥を曝さずにすむ。相応しき者に倒される。それは魔王殿だけではなくその配下に下った者も同じ。はよう首を落してくれぬかね。英雄。魔王殿は強いがあまりやる気のない方でな、しばらくはこの地にも手は出すまい。それがわしと魔王殿の取り交わした契約。魔王殿は……方で……は……」
言葉途中で将軍の首がごとりと落ちる。
落ちた首、青ざめてゆく顔。口からゴポゴポとこぼれ落ちる血。声を放たない口はまだ蠢いている。
「………将軍?」
呆然とあたりを見回したシェリューズの目に映ったのは、将軍の剣の突き刺さった瓦礫。
将軍の剣が突き刺さった瓦礫。それが意味することをシェリューズには理解し難かった。
意味も解らず、シェリューズは無責任な保護者にたたき込まれた武人に対する敬礼を将軍に捧げた。
将軍はもしかしたらこの地を将軍なりに守るために魔王軍に荷担したのかも知れない。
いや、将軍はこの地を間違いなく守りたかったのだ。
ふと沸き上がってきた自分の不審とも思える考えにシェリューズは疑問を抱くことなく受け入れ、その考えが導き出す自分の犯した間違えに気がつく。
将軍は自分の罪とし、総て被る心で自分と対峙したのだから命を助けるなどと言ったのは将軍に対する侮辱であったと。そしてそれは自分の驕りであると。
その上、かの将軍は自分の命を救ってくれた。逆に命を助けられてしまった。と。
そんな思いにシェリューズが浸っている時、頭上から声がかけられた。
「早く逃げな。焼け死ぬぜ。英雄。将軍の首、持ってくのはいいが、その前に髪を一房貰っていくぞ。将軍の娘のために。」
声の後半は優しく穏やかでシェリューズは父親を失った娘のことを思うと答えは一つに思えた。それにどうでもよかった。
「すきに、好きにしろ。」
シェリューズの苦悩と自棄の篭った答えに赤い影がシェリューズの側に下り立つ。
「礼を言う。好きにさせてもらおう。」
シェリューズはその姿を見て、息をのんだ。
炎を背後に従えた赤毛の青年は息を飲むほどに美しい。性別を疑いたくなるその華奢で整った風貌。暗い衣装。いや、強い炎で正しい色は解らない。
魅せられ、剣が手から滑り落ちる。
「……え……」
髪を一房切り取った赤い影の人物はシェリューズをじろりと睨み付けた。
「なにをしている。もしかして焼け死にたいのか?」
と、唸るように言う。
水面を移したかのような深い青い瞳がシェリューズを映した。
彼は舌打ちし、シェリューズの腕をとった。
もう片方の手で将軍の首を何処かへ投げ飛ばす。
遠いところ? すぐ近くだろうか? 悲鳴が上がった気がしたシェリューズをそのまま引っ張る。
「来い!」
シェリューズにとってはどこか心地好いラーバの操る炎の熱が遠のいてゆく。




