きっかけ
《2》
シェリューズが十五歳になった時、エリューは戻る兆しすら見せてはいない。
しかし、変化は容赦なく訪れる。
『刻嘆の魔王ゾルゾバ』がシェリューズの住む領地の領主カドア将軍を抱き込み、この地の全てをその支配下に置こうとその魔手を這わせ始めた。その影響か、魔物達はここぞとばかりに村々に攻め入り支配していった。
多くの血と涙が流された。そして流れる。
魔王が現れた時代の魔物と人の関係は弱肉強食。相手に知性の有無は関係ない。
例え、それまで平和に人と共存してきていた魔物も魔獣も王の魔力と意志に影響を受け、血を肉を人の叫びを求め、友に牙を剥く。
急に母親が魔物の血に目覚め子供の喉笛を喰い破り、大人しい飼い犬が魔物と化し、飼い主を喰い殺す。
惨劇は支配されたカドア領全土に急速に拡がって行った。
シェリューズの運命はリルジェーダ・フェアリアンという妖精の少年に出逢ったことで歯車を回し始めることになる。
その頃、シェリューズはエリューの力の強さにあらためて感心し、同時に強い疑問も抱かせられていた。
長く離れていてすら未だシェリューズのことを気に留めているという希望。
シェリューズとラーバの家族の住む丘は炎精であるラーバの母の焔の結界と、エリューが張っていたらしい闇の結界に護られ、その中に魔族、魔物は侵入することは叶わぬことらしかった。
自分が何も出来ぬ子供である無力感をシェリューズは時折、結界の境を見回ることでごまかしていた。
そんなある日、魔物に襲われている妖精をシェリューズは見つける。
雑木林に逃げ込ませたその妖精がリルジェーダ・フェアリアンであった。
フォートシィア国のフェアリアン伯爵の名は妖精伯爵として実に有名なものであり、知らぬ者は少ない。
魔物に追われた所為か、怯え切ったリルジェーダを落ち着かせたのはラーバの母。
リルジェーダがぽつりぽつりと語ったことは、自分の生まれ育った地が『刻嘆の魔王』に落されたということ。
フェアリアン伯爵は魔王軍の軍門に下ることを拒否し、殺されたらしいこと。
リルジェーダは兄によって逃がされたらしいこと。
そして、魔王軍はリルジェーダを執拗に追い続けているらしいこと。
その理由と思うべきはフェアリアン伯爵家に伝わる秘術絡みではないかということ。
シェリューズとラーバは二人してしばし相談し、怯え切った少年をより力ある場で護ろうと、同時に人々が魔王軍の恐怖から少しでも解消されることを思い、反乱軍の力を頼ろうと二人は行動を決め、リルジェーダに相談した。この行動が正しいなんて断言は誰もできなかったけれど。
ラーバはその時、シェリューズやその妖精族の少年に告げぬことが一つだけ有った。
カドア将軍の元へ年始の挨拶に行き、未だ帰らぬ父と妹のことを。
妖精族の少年の境遇に比べれば他愛なきこと。そうラーバは判断を下し、それを後に責められることを考えもしなかった。
そして、反乱軍をいけばもしかして出会えるかも知れないという希望があったから。
はじめて訪ねた反乱軍は子供の目にも統制のとれておらず、子供たちは愕然とした。
周囲の大人達を見回したラーバは吐き捨てるようにシェリューズに言葉を向ける。
リルジェーダ・フェアリアンが魔王軍の探している子供と知れれば突出し兼ねない雰囲気にラーバの表情はきつかった。
「リューズ、ここから離れるぞ。リルもついてこれるね?」
ラーバはこわばった声ながらも、金の髪、不安そうな緑の瞳を潤ませた小柄な妖精族の貴族リルには、出来るだけ優しくできるよう心がける。無垢な子供を怯えさせたくなかった。
リルが頷きを返したのを確認したラーバは、ようやく明るい笑顔を二人に向けた。
シェリューズはリルをギュッと抱き締め、僅かばかりの荷物をまとめ始めるラーバを見咎める者がいないか、まわりに視線を走らせる。
「……ごめんなさっ……」
シェリューズは自分の胸の辺りから洩れた声に下を向いた。
リルは事ある毎に自分を責め立てる。
自分だけが逃がされた負い目がかなりリルの中にはあるらしかった。
自分より年上であろうリルが、ポロポロと涙を零しながら謝罪の言葉を繰り返すのを見て、シェリューズの心にリルに対する同情と、魔王軍に対する怒りのような感情が沸き起こってくる。
「リル、リルが悪いわけじゃないよ。リルは謝らなくてもかまわないんだよ。」
必死に慰めるシェリューズ、それでもリルは泣きながらずっと謝り続けていた。
結局、身を落ち着けたのは対魔王軍のうち、カドア将軍のみを討ち果たし、静かな生活の場を取り戻そうとする樹精がトップをつとめる部隊だった。
樹精は切り捨てるかのような冷たい言葉でリルを護ることを約束してくれた。
そこに行き着くまでに立ち寄った村々の大半は、血と焦げた匂いと死の匂い、絶望に包まれていた。
そして、たどり着いた時ラーバは複雑な表情をしていた。
シェリューズはそれをラーバの父親が元カドア将軍に仕える騎士であり、彼自身もそうなることが当然と育った所為ととった。




