第46話 咲弥誘拐①
時は少しさかのぼる―。
東雲軍を撃破し、皇弟の炳燗を捕縛した蒼月軍は、東雲との賠償交渉に向けて皆がバタバタと準備に追われていた。
サクはケガをした兵の手当てや食事の補助など、できる限りのことを手伝っていた。男所帯の討伐軍では、可憐なサクの存在はいるだけで皆の気持ちを癒している。
交渉の当日は、どこの部署でも人手が足りない状態だったので、サクは捕虜に食事を運ぶ仕事を手伝うことになった。一般兵の捕虜たちの檻は近づくと兵からも手が届き危険なため、貴族牢に入れられている捕虜だけサクが担当する。東雲皇国の皇弟と聞いたが、サクにとっては誰であろうと関係がない。
今日の交渉が終われば、蒼月とこっそり東雲に入り、父を探すことになっている。早く、早く、と気持ちは急くが、焦っても仕方がないと、何とか自分を落ち着けて、今できることに懸命に取り組んでいる。
貴族牢に到着し、食事を差し入れながら、サクは声を掛けた。
「お食事をお持ちしました。どうぞ」
女が来ることなどなかったから、炳燗は意外に思って目を上げた。そこにいたのは、かつて自分が恋し、凌辱した父の寵姫と瓜二つの娘であった。
「なっ!お前は舞才人か」
驚愕した炳燗は立ち上がってサクに近づいて来た。柵で隔たれているとはいえ、サクは恐ろしくなって体を震わせた。
「舞才人だろう?!私を恨んで出て来たのか!?」
「…いいえ、違います」
「そんな馬鹿な。舞才人そのものではないか」
「人違いです。失礼します!」
「待ってくれ!舞才人!マウキ!」
サクは身をひるがえして貴族牢を後にしようとしていたが、母の名を聞いて立ち止った。
「母をご存知なのですか?」
「母?お前は舞才人の娘なのか?」
「母の名はマウキでした。舞才人とは、母のことですか?」
「あの女、私から逃げて衛兵との間に子までなしていたのか!許せん!‥‥そこの娘、聞け!お前の母マウキは皇帝陛下の妃でありながら下級兵士と駆け落ちした罪人である!今すぐに罪人を引き渡せ!」
サクは衝撃を受けて立ち竦んだ。
(お母ちゃんが皇帝陛下の妃?駆け落ちをした罪人?そんな、まさか…!)
しかし、その話が本当ならば、東雲から移住して山奥に隠れるようにして住んでいたことと符合する。愕然として立ち竦むサクに、炳燗はさらに言いつのった。
「お前の母は男を誑し込む悪女であった。お前の父親はサブロという男だろう?そいつは私の護衛だった立場を利用し、お前の母に近づきふしだらな関係を持ったのだ!知らなかったのか?罪人の両親から生まれたお前は生まれながらの罪人だ!」
耳を傾けるのに耐えられなくなったサクは震える足で貴族牢から立ち去った。顔面は蒼白となり、どこかにつかまっていないと倒れてしまいそうだ。サクは人気のない裏庭に一人よろめき、まろび出てうずくまった。
(うそよ、お母ちゃんが悪女だなんて。お父ちゃんとお母ちゃんが罪人だなんて…!)
見ず知らずの男の言葉など信じない、そう思うのに、なぜかサクは心がざわついて涙があふれて来た。顔を覆って泣いていると、気づかないうちに3人の男たちに囲まれていた。
「お嬢さん、どうしたんだい?」
サクはハッとして、覆っていた手を放す。男たちは見たことのない甲冑を身に着けていた。東雲軍の兵士たちのようだ。
「なんでもないです」
「そんなに泣いて、なんでもないことはないだろう?話をきいてやるよ」
「いえ、大丈夫です」
「そんなにつれないことを言うなよ。さあ、こっちへおいで」
優し気な微笑みを浮かべて近づいてくるが、ろくでもないことを考えているに違いなかった。
「来ないでください!」
サクが大きな声を張り上げると、背後にいた男がさっと後ろからサクを羽交い絞めにした。
別の男がハンカチを持った手でサクの口を塞ぐ。
「うーっ!ううーっ!」
身をよじって自由になろうとするも、サクの力では男たちを振り払うことができない。残りの一人の男に足元をひょいと持ち上げられて、サクの体は宙に浮いた。精一杯じたばたと抵抗するが、あっという間に人目に付かない木陰に連れて行かれ、頭から大きいずた袋をかぶせられ、視界を奪われた。その後、馬の背に乗せて括りつけられたと思ったら、すぐに馬は走り出した。相当な速さで駆ける馬の背で、サクはなすすべもなく揺さぶられ、ついに気を失ってしまった。




