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第38話 取引

 


 一方その頃、東雲皇国では―。

 東雲帝国の今上帝の兄、慮淵(ぐえん)は報告を終えた曙暉(しょき)に鋭い視線を投げた。


「舞才人事件の真相がまだわからない?兵士を捕まえてから随分と日が経つのにお主は何をやっておる」

「申し訳ございませぬ。思いのほか口の堅い男で手古摺っております」


 舞才人とは、マウキのことである。才人は歌舞をもって後宮に仕える女官の称号で、位は高くない。称号の前に一文字の漢字を付けて呼称となる。捕まった兵士と言うのは、もちろんサブロのことだ。


「何を聞き出せた?」

「舞才人を連れ去ったと認めております。他国へ逃げ落ちてすぐ、舞才人は病死、男は転々としていたが、両親が心配になって帰って来たと」

「…舞才人は死んだか」

「そのようです」


 しばし慮淵は口を閉ざした。マウキの死を悼んでいるようにも見える。


「お主はどう考えておる?」

「は。証言並びに物証より、おそれながら炳燗(へいかん)殿下の御手付きとなり、舞才人が逃がして欲しいと兵士に依頼したと考えるのが自然かと」

「なるほど?ではその兵士がだんまりを貫いている理由は何とする」

「それは、炳燗殿下をかばっておられるのでは」

「あんな阿呆をかばう?そのような忠義者が出奔などするものか」


 顔だけは母に似て大変麗しいが、傲慢で浅慮な第三皇子など嫌われ者である。しかし如何せん右大臣の権力が大きいため、このような阿呆にも関わらず右大臣派の旗印となっている。母を皇后に持つ第二皇子の暘谷がすでに即位したのに、右大臣派の連中は政局を覆そうと朱雀国への派兵をもくろんでいる。


 長男である慮淵は、母の身分が低かったこともあり、幼いころより暘谷を尊重せよと耳にタコができるほど言い聞かされてきた。野心など持ち合わせていない。暘谷(ようこく)の治世を支えるべく、炳燗の排除に尽力しているところである。


 万が一にも炳燗が玉座に付けば、右大臣派の傀儡となるのは目に見えているし、下手をすれば東雲皇国が滅亡する。愚かで平和を脅かす愚弟は一刻も早く取り除かねばならない。


「私が直接話を聞こう。連れてこい」

「それが…少々差しさわりがありまして」


 慮淵はカッと目を開き、青筋を立てた。


「痛めつけたのか!ここに連れてくることもできないほどに。万が一にも命を落とすようなことがあってはならぬ!」

「は、申し訳ございませね」

「ならば私が出向く。出立の準備をせい!」

「はっ」


 サブロは石造りの地下牢の床に横たわっていた。顔は元の面影を見つけるのが難しいほど腫れあり、手の指の骨はすべて折れていた。激しい拷問にもサブロは折れず、炳燗の狼藉とマウキの出産、サクの存在を隠し通した。

 食事も喉を通らず、頬も痩せこけ、このまま死んでいくのだろうかと予感を抱き始めていた。


「おい!起きろ!」


 見張り番に乱暴に体を起こされ、地下牢から引っ張り出される。ろくに力の入らない足をほとんど引き摺るように、階段を登らされ、捕えられた日に目覚めた部屋へと連れてこられた。

 部屋には慮淵と曙暉が座っていた。サブロはすぐに二人を認識したが、体が言うことを聞かず、まっすぐ座ることすらかなわず、無様に二人の前に倒れ込んだ。


「おい!しっかり座れ!」


 見張りの男がサブロの体を無理矢理起こそうとしたとき、慮淵の射るような視線を感じた曙暉が、慌てて止めた。


「やめよ。皇兄の御前ぞ。もう下がれ」

「はっ!失礼しました」


 男が下がると慮淵は冷たい声で曙暉に言った。


「お主も下がれ」

「は…しかし…」


 戸惑いの声を上げた曙暉に、しかし慮淵は容赦ない。


「下がれ」

「はっ!」


 曙暉は頭を下げてから部屋を出て行った。サブロは状況もよくわからず雲の上の存在である慮淵を黙って見つめた。今日が自分の命日になるのだと、確信めいた気持ちで。しかし、慮淵は思いのほか優しい表情でサブロを見返している。


「ひどい目にあわせてしまったな」


 仕方ないと思っている。帝の寵姫を連れ去ったことは間違いようのない事実なのだから。そう返事をしたかったが、サブロの喉はひりひりに乾いてろくに声も出ない。かすれた音を聞いて、慮淵は水差しから水を器に注ぎ、サブロの傍らに膝をついて体を起こし、そっと口元に水を流してやった。サブロはおぼれたように苦しそうにしながらも、水を飲んで喉を潤した。


「ありが…と…ござ…ます…」

「よい、無理をするな」


 サブロは小さく頷いた。


「お主を罰するつもりはなかった。結果としてこれでは信じられないだろうがな。お主の親は無事でいるから安心しろ」


 それを聞いてサブロの両目にじわりと涙が浮かんだ。また自分のせいで両親を辛い目に遭わせているのではないかと、それだけが心配だった。もう自分は死ぬかもしれないが、両親が無事でいてくれるなら、思い残すことはない。


「舞才人を攫った罪を認めながら、詳細は黙秘していると聞いた。まさかとは思うが、わが愚弟をかばい立てしているのではあるまいな」


 サブロは何も答えない。その表情を確認しながら慮淵は言葉を続けた。


「炳燗が舞才人を襲ったことはこちらも把握している。隠そうとしても無駄だ。また隠す必要もない。我々は炳燗が犯した罪をあばきたいと思っているのだよ。もしも証言をしてくれるのなら、お主の誘拐罪をなかったことにしてやってもよい。両親も喜ぶであろうな。お主と家族の身の安全は私が保証しよう。どうだ、話してはくれまいか」


 サブロは視線をわずかに揺らした。炳燗がマウキを襲ったことを隠したかった。それはサクの安全のためだった。サクの存在は知られていない。もしもサクが生まれたことが知られてしまえば、サクの父親が炳燗だと推察されてしまう。サクが皇族のゴタゴタに巻き込まれることは絶対に避けたい。


 しかし、すでに炳燗の犯した罪が知られているのだとしたら、自分が黙っていても意味がない。サクの存在だけを隠し通せばいいのではないか。サブロの心は激しく揺れていた。


「何をためらっておる。…まさか」


 慮淵が何かに気が付いたように絶句した。


「そうか…十五年もの間、姿を隠していたのは…」


 慮淵の言葉に、サブロはギクッと体をこわばらせた。


「お主は他にも守らねばならない者があったのだな?そうか…。幸い、そのことに気が付いたのは私一人だ。お主が協力してくれるのなら、私が黙っていることもできるし、調べが及ばないように手を回そう。どうだ、考えてはくれまいか」


 サブロは静かに目を閉じ、観念したように頷いた。



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