第33話 咲弥のスランプ②
サクはどんよりと気分が落ち込んだまま大部屋に戻って化粧を落とし始めた。大部屋にはまだ先輩たちが大勢残っていて、無様に転んだサクを貶めようと意地悪そうに笑っている。
「ちょっと、あんた、どういうつもりなの。舞台を台無しにして、謝罪の一つもないの」
そう言われ、サクは体ごと振り返り、しっかり手を付いて頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
結局謝った所で、嫌がらせが止む訳ではない。
「稽古が足りていないのよ。寝ないで練習しなさい」
「素人が舞台に立つなんて無理に決まっているわ。身の程を知りなさい」
「これ以上迷惑をかけないように、さっさと辞めて田舎に帰りなさい」
サクを取り囲んで、口々に小言を浴びせて来る。サクには謝ることしかできない。
「もっと稽古をします。ミスのないように頑張ります。すみませんでした」
「だったら今すぐ稽古をつけてやるわ。だれか胡弓を持ってきてよ」
サクを囲んでいた女の一人が楽器を取りに離れた時、サクと女たちの間に割り込む者がいた。ライである。
「姐さん方、咲弥が何かしたんけ?」
「あら、雷門じゃないの。こんなところにいていいの?凛音姐さんに怒られるわよ」
「別に凛音姐さんは怒ったりしねえだ。大勢で咲弥を囲って、何してただ?」
女たちはちらっと目を見合わせて、くすくす笑った。
「舞台で失敗したから、稽古をつけてあげるって言っただけよ」
ライはムッとして声を強めた。
「咲弥は転ばされただけじゃないか。失敗させた方が悪いに決まってるべ!」
「あら、転ばされたなんて言い訳しているの?本当に反省しない子ね。無様に転ぶなんて、体幹がなっていない証拠なのに」
「もしかして姐さんたちが咲弥のこと転ばしたんか?」
「はぁ?冗談はよして。なんで私たちがそんなことをするのよ」
「咲弥が急に人気者になったから、足を引っ張ろうとしてるんだべ!」
「なんですって!」
女たちの眦がきつくなり、サクはハラハラとしながらライの着物を引っ張った。
「雷門、もうやめて。姐さん方、本当にすみませんでした。もっと精進します。今日はこの後、座長に呼ばれていますので、勘弁してください」
「ふん!生意気な子たちね。次にこんなことあったら、ただじゃおかないわよ」
サクはライを引っ張って、大部屋から出た。
「ライ!あんな風に姐さんたちを怒らせたら大変よ!」
「なんだよ、あんなやつらに好き勝手言わせて、おめえ、もっと言い返せよ」
「だって、みなさん先輩なのよ?わたしは教えを乞う身だもの」
「あんなの教えじゃねえだ。ただの嫌がらせだ」
「…そんなの、わかってるけど」
サクの目に涙がたまった。気にしないようにしていても、立て続けの出来事に心が弱っていた。
「泣くぐらいなら戦えよ」
「うん…、わかってる」
ライは呆れたのか、怒っているのか、そこにサクを残してどこかへ行ってしまった。サクは少しの間、涙をこぼしながら唇を噛んで立ち尽くしていた。
それから数日間。神楽座瑠璃光院の裏方には緊迫感を孕んだ奇妙な空気が漂っていた。ライにとがめられたせいか、サクへの目に見える嫌がらせは起きていない。しかし、助長した女たちの侮蔑を含んだような視線が飛び交い、サクは益々小さくなって化粧前に座る。
舞台に立っても、凛音と彩喜の言葉が頭から離れず、サクは自信をすっかり無くしてしまった。役を向き合う、役になりきる、そう自分に言い聞かせても、まったくうまくいかず、舞台に立つのすら恐ろしくなってしまっていた。
すると目に見えて姿絵の売り上げが落ち、千社札も余りがちになった。サクは急に自分の立っている足元がぐらぐらと揺れているように感じ始めた。立つのがやっと、息をするのがやっと。あんなに好きだった神楽が、いまは苦しくて、悲しくて、サクをさいなむ。
もうすぐサクの独唱の場面だ。舞台に設えられた高さのある豪華なセットの上に袖から出て行き、小歌を一人で歌いきらなくてはならない。この役をもらって嬉しかった。精一杯努めたいと思って必死に稽古をした。それなのに、今は舞台に出て行くのに恐ろしさに震え、心がつぶれそうだ。
(でも、やるしかない。お客様が待っている)
サクは決死の覚悟で舞台に踏み出した。
その時だった。サクが立つはずだった板がはずれ、バランスを崩したサクはダン!というすごい音と共に舞台上へ落下してしまった。
「きゃー!!」
袖から見ていた役者の一人が悲鳴を上げ、舞台上に立っていた役者も、客も、囃子方も、みなが落ちたサクを見た。衣装の真っ赤な羽織が広がって倒れているサクの頭から、ジワリと出血が広がり、一目で大変な事故が起きたことがわかった。
「咲弥!」
ライが囃子方から飛び出すようにサクへと駆け寄ると、そこからは騒然とし、サクに駆け寄る者、舞台上で倒れる者ともう演目どころ騒ぎではない。はっと我に返った者が緞帳を引き客の目から舞台を隠しても、あまりのことに客席のざわめきは消えることがなかった。




