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19.父との挨拶



 無事に引越しが終わり、わたしのお父さんのところに挨拶に行くことにした。

 新幹線かレンタカー、どちらで行こうか話して、レンタカーになった。


 十月の晴れた週末。小さな旅行に行くような気持ちで、わずかなわくわくを内包しながらも、のんびりした気持ちで車に乗った。


 わたしも一応免許は持っているのだけれど、岸田が運転したいというので譲った。

 彼の運転を見るのは初めてだ。

 思った通り、見た目が似合う。こういう冷たそうな見た目の男には無機物が映える気がする。そして運転そのものは内面を表すかのように穏やかだ。


 しばらく黙って観察していると、岸田が前を向いたまま、口を開く。


「留里の、お父さんて……どんな?」


「お父さん?」


 何か物憂げに黙っていると思えば、彼はわたしの父がどんな人間かを気にしていたらしい。よく考えたらこれから会いにいくのだから当然だ。わたしはそのことを瞬間的に忘れていた。


「え、心配?」


「まぁ……多少は。俺、ほがらかな好青年ではないしな」


「あ、うん……それはそうだね」


「もう少し否定しろよ……」


「嘘は言えない……」


「お前、無駄に正直だな」


「お互いさまでしょ」


 わたしより、岸田の方が仕事以外で社交辞令もお世辞も建前も言わない。岸田は、どこまでいっても根が岸田だから。わたしは彼のそんなところが好きだ。


「でも、大丈夫だと思うよ。うちのお父さんは優しい人だよ。明後日の方向に気を遣いすぎて逆に失礼になってることはあるけど……いわゆる、怖いお父さんではまったくないし……性格的にも、頼朝を品定めするより、自分が粗相しないかを気にするタイプだと思うんだ」


 正直、うちの父は娘を嫁にもらいにいく相手としては、かなり楽な部類じゃないかと踏んでいる。

 父は明るくて愛想が良い。難点は少しうかつで、なんの気なしに言ったことが失礼になりがちなところだ。

 けれど、岸田は自尊心がそこまで高くないし、父の失言に対してわざわざ言葉尻を捉えて反抗的に返すタイプでもないので、会わせて険悪になる可能性は低い。


「留里とは似てる?」


「うちのお父さんは……顔が長い犬に似てるよ」


 そう言うと、岸田は緊張した表情を解けさせて、小さく吹き出して笑った。


「似てないのか……」


「いやぁ、どことなく似てなくもないんだけど……わたしは大まかにはお母さん似かなー。お姉ちゃんはお父さん似。あ、お姉ちゃん今回は都合がどうしても合わなくて来れないから……今度旅行も兼ねてそっちも会いにいこうね。お姉ちゃんも頼朝に会いたがってたし」


 わたしと岸田は結婚式はしない。

 ふたりとも式に興味がなかったし、なにしろ呼べる友達がほとんどいない。一応両方の親にもお伺いを立てたが好きにしろということだった。

 相談の結果、そのお金でふたりでたくさん旅行にでも行こうということになった。美味しいものを食べて、そのついでに身内に挨拶できたらなおよし。楽しい予定はたくさん控えている。






 到着したのは午後四時を過ぎた頃だった。

 家の庭に車を停める。

 玄関には陽が射していて、鳥の声が小さく聴こえていた。


 父の生家であるここは、少し前から父しか住んでいない。


 幼い頃、何度か帰省に連れられていった時には家族四人と祖父母、従兄弟の家族も揃ってみんなで過ごしたこともある。

 あの頃、すごく大きく立派に見えていた家屋は、経年劣化なのか、もともと大きくもなかったのか、小さくて粗末な建物に見えた。


 わたしはこの家に住んでいたことはない。

 それでも父が住んでいる家だ。「ただいまー」と大きな声を上げて引戸を開けた。


 扉を開けると懐かしいような匂いがした。廊下の奥からはテレビの音が聞こえる。

 そちらから父が大袈裟なくらいの小走りで登場した。


「おかえり! 留里! それで! ……その方が!?」


 ほかに該当者がいないのでそうに決まっているのにわざわざ確認をした父は深々と首を垂れてお辞儀をした。


「ちっ、父です! 留里の父です!」


「岸田頼朝です」


 岸田もつられて慌てたように頭を下げた。


 父はぎこちない自己紹介をすますと「はぁ〜」と溜息を吐いた。それからわたしの顔を見て、安心させるように、にこっと笑ってくれた。


 それでわたしは、自分も緊張していたことを思い知らされて、不覚にも少し泣きそうになってしまった。


 岸田は岸田で、顔色は変えないまでも、視線が若干泳いでいたのでこちらも緊張している模様。


 居間に通されたわたしと岸田はテーブルにお土産を広げて、その間に父がお茶を煎れる。


「ふたりとも、遠くからありがとね〜」


 そう言いながらてきぱきと、お茶菓子を出してくれた。


「夕飯、お寿司でいいかな? まだ早いかな〜?」


 テーブルを見ると、既に近所のお寿司屋さんの出前寿司が置いてあった。わたしや姉がこちらに来た時は大抵ここのお寿司だ。


「ありがとう! あ、さっき山下さんとこでお酒買ってきたよ」


「え、お前それ、高いやつじゃないのか? 悪いなあ」


 そう言ってとぼけたように頭を掻きながらも父は酒瓶を見て嬉しそうだ。父の好きな銘柄なので、当然だ。


 お寿司を広げてみんなでお酒をチビチビ飲んだ。

 岸田は酔うのを警戒してか、さほど口をつけていなかったけれど、父は無理に飲ませるようなタイプではない。


 お寿司を食べて、少しの沈黙をつけっぱなしのテレビの音が埋めていく。


 やがて、父はニコニコしながら遠慮がちに岸田に質問をした。


「えっと、ふたりはどこで会ったの?」


「高校の、同級生なんです」


「えっ、高校の……はァー」


「はい……」


「前からの知り合いなんだねえ」


「はい。前からの……」


「そうかそうかぁー」


 眼前で気を遣い合った中身の薄い応答が繰り広げられる。わたしは少しくすぐったいような気持ちになったが、なんだかんだ、ほのぼのしていてよかった。


「あれ、もしかして高校生の頃から付き合ってたの?」


「いえ……その頃は」


「わたし達、ぜんぜん仲良くなかったんだよ」


 わたしが横から補足を入れる。父はわたしを見て、また岸田に視線を戻す。


「じゃあ、卒業後にふたり、また会ったんだね?」


「はい。偶然会って…………」


 岸田はそこで言葉を止めるつもりだったのかもしれない。しかし、父もわたしも、その後の言葉をなんとなく待ってしまった。

 そこで岸田は仕方なく言葉を探して、継いだ。


「……いろいろ助けられました」


「岸田君が? 留里に、助けられたの?」


「はい。いろんなことが……前と同じなのに、それを見る僕を……変えてもらったというか…………すごく、感謝しています」


 岸田の言ってることは具体性がなく、割と意味不明なものだったけれど、それでも岸田が彼なりに頑張って、考えて言葉を吐き出しているのはわかった。


 岸田はぱっと見だと口がうまく見える。


 けれど、実際の彼は口下手に近い。


 その口下手な感じは父にも伝わったようだ。


 父が、岸田のたどたどしい言葉にいくばくかの真摯さを感じ取ったように目を丸くして「そうかあ……」と呟いた。


「わたしも……すごく助けられたよ。この人に会えたから……今元気でいられてるんだ」


 負けじと伝えると、父は岸田とわたしの顔を順番に見て、目を細めて笑った。


「よかったなぁ、留里」


「うん。よかったよ」


「よかったよかった! わはははははっ! いや、ホントめでたいなぁ〜! わはははっ」


 父が嬉しそうにわたしの背中をバンバン叩いた。


 酒が一定量になると父は「岸田君! 岸田君! ありがとうね!」を繰り返し始めた。


 最近は人に会うことがあまりなくなっているという父は、いつにない上機嫌でニコニコとお酒を飲んで、ずっと、わたしが小さかった頃のことなんかをおしゃべりをしていた。

 しかし、涙もろいのか、途中からグスグス言い出した。


「留里はなかなか難しい子だと思うんだけどね……でも、すごくいい子なんだよ……岸田君」


「はい」


「わかるかい?」


「はい」


「うん、そうなんだよ! 何年前だったか父の日にね、ケーキを焼いてくれてね……」


 何年前というと、そこそこ最近のようだが、もうずいぶん前、わたしが中学生くらいの時の話だ。

 けれどそこは突っ込まず、わたしも思い出して「あれ、すごい焦げててマズかったねー」と笑って返した。


「うん。でも、嬉しかったなぁ……」


 父がしみじみ言ったあと、またグズグズ鼻を鳴らしだした。娘が嫁に行くのは初めてじゃないのに感傷的な人だ。ちなみに姉の時にも泣いていた。


「私が岸田君に望むのは……ひとつだけなんだよ……」


 岸田が顔を上げて、父を見た。父は胡乱な目で、虚空を見ながら続ける。


「なるべく、留里のそばにいてあげて欲しい」


「……」


「留里は、ひとりで勝手に生きてるように見えて、すごく、寂しがりな子なんだ……」


 父がぽつりとこぼした言葉に今度は岸田と顔を見合わせた。


「うん。ずっと一緒にいるよ。ね、頼朝」


「ああ……俺も……」と言いかけた岸田は「俺が、そうして欲しい」と言い直した。


 父はお酒で眠くなったのか、目をショボショボさせていたけれど、


「岸田君は、留里と少し似てるかな」


 そう呟いて、ふふっと笑った。


 父はしばらく「いやーよかったよかった」をブツブツと繰り返していたが、やがて潰れた。父がここまで酔うのは珍しい。よほど楽しかったのか、興奮していたんだろう。


「頼朝、お父さん運ぶの手伝って」


「うん」


 奥の部屋にお布団を敷いて、お父さんを寝かせた。


 そうしてふたり、居間に戻って、温かいお茶を淹れ直して、もくもくと寿司を食べた。


 岸田がお茶を飲んだ。それからわたしの顔を見て、落ち着いたような溜息を吐いて言った。


「お父さん、やっぱり似てないな」


「うん」


「でも、すごく留里のお父さんだな」


「そうかな」


「そうだよ」


 そう言って、笑い合った。





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