汚物
彼女は前世で、彼と付き合っていた訳ではありませんでした。もっとも彼は彼女の事を気に入っていたようで、しつこく付きまとっていたようです。だけど彼女は彼に興味を持たなかった。そこで彼は、彼女を脅す事にした。自分と付き合わないと、彼女の恥ずかしい写真をバラまくと脅したのです。
弓道部で活躍していた彼女は、問題が起こって大会に出られなくなることを懸念した。そして問題が起きないように仕方がなく彼の言いなりとなり、その唇を奪われた。純潔までは奪われなかったようですが、それも時間の問題だったようです。そうなる前に死んで、この世界へと転生を果たした彼女は、特殊能力を持った彼によりその感情を捻じ曲げられてしまったという訳です。
ちなみに彼の女性関係は滅茶苦茶でした。彼女以外にも複数人の女性と関係を持っており、そちらとは肉体関係もあったようで中には彼女と同じように脅されていた子もいたみたいです。
まさに、本物のクズです。顔がよく、親がお金持ちで、それを利用してやりたい放題。相手の事など一切考えず、自分の欲望のためだけに他人を食い物とし、人生を狂わせた。その性格は転生先でも変わらず、魅了などという能力を手に入れたがために2人の女性を自分の配下とし、いいように付き従わせた。
「──と、いう訳だ。私はこの男に脅されていた。本当の私は、この男が大嫌いだった。殺したい程に憎かった。今でも殺したい程に憎い」
今までの話は、ミコトさんが語った物です。
彼とはツカサさんで、彼女とはミコトさんの事を指します。異世界での出来事なので、この話を耳にした人の中には意味が分かっていない人もいます。だけどなんとなくは理解できたでしょう。ミコトさんに顔面を殴り飛ばされた男が、クズだという事が。
「ひっ……」
ミコトさんに睨みつけられたツカサさんが、イズミさんにしがみついて震えあがりました。
その顔面は赤く腫れていて、イズミさんが魔法によって治療している所ですが動いた事によって魔法から逃れる形となってしまいました。イズミさんは仕方がないと言った様子で再度優しく手を添えて魔法を発動させますが、その行動に違和感を覚えます。
イズミさんもミコトさん同様、ツカサさんの魅了によって操られていたはずです。その能力がなくなった今、彼女もミコトさんのように本来の心を露にして彼を殴り飛ばす場面になると思いましたが、そうなる気配がありません。
……違和感は感じますが、とりあえずは置いておきましょう。
「ですが、魅了の能力は私が先ほども言った通り、心を奪う事が発動条件にあったはずです。聞く所によると貴女は彼を最初から恨んでいて、彼の事が好きではなかった。それで何故、魅了の能力が発動したんですか?」
「分からないが、最初、何も知らない時は彼に対して惹かれていた事もある。それから、ある時からこれは仕方がない事だと自分に言い聞かせ、ある意味では彼に心を引き渡していた状態にあった。それだけ追い詰められていたという事だな……そう言った要因があり、私はこの世界でツカサに操られる形となってしまったのかもしれない。もしそれが原因だとしたら、私が心をもっと強く持っていれば、この世界ではこのようにはならなかったかもしれないな……」
悔し気に言いますが、これはミコトさんのせいではありません。本人も分かっているのか、悔しそうにしながらもツカサさんに対する憎悪を再び爆発させ、作った拳でツカサさんに殴り掛かろうとしました。
「……!」
それを止めに入ったのは、サクラでした。ツカサさんを庇うように間に入り、ミコトさんを真っすぐに見つめて立ちはだかります。
サクラに、彼を庇う義理はないはずです。ツカサさんはサクラを荷物持ちの奴隷として扱い、やりたい放題でしたからね。でも、義理はなくともサクラは優しい子です。それだけで、ボコボコに殴られようとしている彼を庇う理由となってしまいます。
「どいてくれ、ナナ……いや、サクラさん。この男は、貴女に庇われる資格はない」
「……」
ミコトさんに言われても、サクラは首を横に振って退こうとはしません。人が殴られるのを、黙ってみていられる子ではないので仕方がありませんよ。
ミコトさんが頼るように私の方を見て来ましたが、私も首を横に振るしかありません。サクラは案外頑固なので、ここはミコトさんに引いてもらいましょう。
「この勇者がクズだという事は、充分に分かりました。でもどうしてその呪縛が急に解けたりしたのか、私はそちらの方が気になります」
話を割くように私に向かってそう言って来たのは、リシルさんです。私が何かしたというのは彼女の中で確定しているようですね。
「ええ、そうですね。それについては私がした事です。私の枯凋の能力によって、その男が持っていた能力だけを枯らしてなくしました。だからその男はもう勇者ではなく、ただの人間でしかありません。つまり、本当にただの役立たずのクズになってしまったという事です」
「ふざけるなぁ!枯凋だかなんだか知らないが、そんなバカな事ができる能力があってたまるか!オレは勇者だ!そうだろ、ミコト!?今ならまだ、今お前が言った事を訂正できる!軽い冗談という事で済ませてやる!だからオレの下に帰って来い!」
「お前が、勇者だと……?それに、帰ってこいだと?笑わせるな。命が惜しかったらもう黙ってくれ。本当に、殺してしまいたくなる。いや、もうなっているがな」
ツカサさんに対して放ったミコトさんの拳を見ても分かりますが、ミコトさんは本気です。許可があれば、彼女は本気でツカサさんを殺す事をためらわないでしょう。ツカサさんはミコトさんをこんな状態にするくらいに追い詰めていたんです。
私はそれに気づかず、彼女を解放するまで随分と時間をかけてしまった事を後悔します。それに、ツカサさんにただ付き従わされていただけの彼女に対し、弱いだの、今まで何をしていたんだのと怒りをぶつけてしまいました。
「ミコトさん」
私は謝罪の意味も込めて、また彼女を慰めると言う意味もこめた上で、ミコトさんを胸に抱きしめました。
「エイミさん……?急にどうしたんだ?」
「貴女はよく頑張りました。これまで、さぞかし辛かったでしょう。でももう自由です。自由になった貴女を汚す者はもういません。安心してください」
「……離してくれ。私は自由なんだから、その男をどうするかも自由だ」
「せっかく自由になれたと言うのに、貴女のその手を自ら汚す必要はありません。アレは汚物です。汚物を貴女のような可愛い女の子が処分するのを、私は黙ってみていられません」
「ダメだ。私がこの手でやらなければ気が済まない……!殺してやる。体の先端から少しずつ刻んで、泣いて喚いて許しを請うてもそれでも続けて殺す!」
私の胸の中で、ツカサさんに対する怒りを爆発させるミコトさんを、私は離しません。胸にそっと抱いたまま、優しく頭を撫でて自由にわめき散らかせます。私の胸にいる間、ミコトさんはずっとツカサさんに対する憎悪の念を述べていました。
しばらくそのままでいて、やがてネタが尽きたのかミコトさんは黙り込んでしまいました。
「……うっ、うぅ」
かと思ったら、次は嗚咽が聞こえて来ました。嗚咽は段々と大きくなっていき、やがて我慢できなくなってダムが決壊したかのように、ミコトさんが泣き出してしまいました。
必死に私に抱き着いたまま、私の胸に顔を擦るようにして泣き叫ぶミコトさんは、まるで子供のようです。
はぁ……可愛い。やはり、可愛いこの子の手を汚させる訳にはいきませんね。
「あ、あああぁぁあ!うっ、ああぁぁぁぁぁ!」
「よしよし……。辛かったですね。もう大丈夫ですよ」
私は彼女が泣き止むまで優しく頭を撫で続けました。
そうしているうちに疲れたのか、しばらくしてミコトさんは泣き止みました。そして力なく俯いたまま全身の力を抜けさせ、私が支えていなければ倒れてしまうような状態となります。
「タニャ。ミコトさんをお願いします」
「は、はい」
脱力してしまったミコトさんをタニャに預けた私は、ツカサさんの方を見ました。
さぁ、この男をどうしましょうか。ミコトさんが望むようにいたぶって殺すのも良いですし、ひとおもいに苦しまずに殺す事もできます。そんな事を考えながら見つめていると、ツカサさんは怖がって全身を震えさせ始めてしまいました。
今すぐにでも行動に移したい所ですが、しかし彼を守ろうとする動きを見せる者が、この場にたった1人だけいます。
「……」
それは、怯えるツカサさんを胸に抱いて庇い、杖の先端を私に向けているイズミさんの事です。
「さて、イズミさん。貴女もツカサさんによって魅了されていた。だけど今はその魅了の力はなくなり、貴女もミコトさんと同じように自由の身になったはずです。それなのに何故貴女は、その男を大事そうに抱きしめているのか私に教えてください」
「それは私が、ツカサさんを愛しているからです」
私の目を真っすぐにみつめ、恥ずかしげもなくそう宣言したイズミさんは、嘘を吐いているようには見えません。
私はその宣言に驚きましたが、ツカサさんもそれに驚いています。まさか、魅了の力がまだ消えていない……?いえ、そんな事はないはずです。消えていなければ、ミコトさんが彼から解放されるはずがありません。じゃあどうしてイズミさんはまだ彼の事を愛しているなんて言えるのか。
……考えれば、おのずと答えは出て来ます。しかしそれは、とてもではありませんが理解しがたく、あまりにも現実離れしていて気味が悪すぎる答えです。
「……貴女はこのクズを、クズだと知ったうえで愛している。そういう事で良いんでしょうか」
「ツカサさんは、クズなどではありません。多少誤解される所はあるかもしれませんが、本当に小さな事です。……ツカサさんは私を愛してくれた。地味で目立たず、愛を知らなかった私に人を愛する事を教えてくれたのです。私はツカサさんが私に誓ってくれたように、私もツカサさんを一生愛する。例え何があろうと、私は彼の愛に応えるためだけに生きていく。だから、貴女がもしツカサさんを殺そうとするのなら、私は迷わず彼を庇って死にます」
「そうですか」
大して興味のないフリをして答えましたが、イズミさんを殺す訳にはいきません。また、イズミさんと対峙して思ったんですけど、この子ちょっとヤバイです。目がイッちゃってます。ここで私がツカサさんを殺そうものなら、彼女もセットで殺さなければ私は一生恨まれてしまう事になるでしょう。もしかしたら、やり返しにくるかもしれませんね。この子はたぶん、そういう子です。そうなると、間接的にタニャやサクラを危険に晒してしまう事になりかねません。
「はぁ……困りましたね」
「え、エイミさん。オレはミコトが先ほど言ったような人間じゃない。アレはミコトの妄想で、ただちょっと混乱してしまっただけなんだと思う。勘違い……そう、勘違いなんだ!だからオレ達が争う理由なんて何もなくて、とにかく今は協力してグリムダストに対応しよう!」
イズミさんにツカサさんを庇われ、ちょっと困ってしまった隙を見てツカサさんがそう弁明してきました。
弁明するのはいいですが、タニャに介抱されているミコトさんを刺激するのは得策ではありませんよ。下手に刺激したら先ほどと同じように、突発的に貴方に襲い掛かりかねません。この人は本当に何も考えていないんですね。そのバカさ加減に、いい加減うんざりしてきました。
「殺すのが一番手っ取り早いとは思いますが──……そういう訳にもいかなそうですね」
と、リシルさんが言いかけて、止めました。どうやらイズミさんに睨まれて、危険を察知したようです。
「……では、こうしましょう」
私はツカサさんを庇うイズミさんを見て、一つのアイディアが浮かびました。上手くいくかどうかは分かりませんが、上手くいかなかったらその時は素直に殺せばいいですし、上手くいったらとても面白い事になりそうで、思わず口角が上がってしまいます。
「──これからツカサさんは、イズミさんの物となってもらいます」




