暁は信念を問う
夜明け寸前のロンドン、リズの部屋は不安と強烈な殺意が満たしており、外界から切り離されていたように張り詰めていた。リズ優勢であり、あのまま行けば負けていた自身は無い。しかし、直後乱入した男がそのまま戦闘になっていた場合、一体どうなっていたのか。
そして突如戦場に現れたメアリー。リズは彼女の呪いのことを知っていた。彼女の気迫に負けて戻ってきたが、あの場に戻ろうかと思い、来た道を引き返した。それなのに戻ることが出来ない。ウェルが結界を張っていたのだろう。どれほど強力な結界を張ったのか、幾度も考えた。次に会ったら文句を言ってやろうと何度心に誓ったものか。
そんな中、日の光が窓から差し込んだとほぼ同時に玄関の扉が開く音がした。「メアリーが帰ってきた」、「無事なのか」という感情が先行して、思わず玄関へ向かった。しかしそこに立っていたのはメアリーではなく沖田であった。
「沖田貴様、どこを彷徨いていた?」
「お前に答える義理は無かろう。貴様こそ昨晩、極力気配を消してどこへ行った?」
「貴様が答えないとあらば、こちらも答える道理はないと知って、問いているのか? まあ、よい。こちらもお前と同じものを追っていた」
リズはケトルに水を入れ、火にかけた。いつもならメアリーが朝食の支度をする時間である。しかしまだ帰って来てない。不慣れではあるが、簡単に済ませようと支度を始めた。
一方の沖田は頭を左の拳で支え、考え込んでいた。土方に問われたことが脳裏から離れないのである。
(土方さんは俺に剣をとる意味を問いた……。なら、今の土方さんは何のために剣をとっているというんだ?)
「リズ、お前は何が為に剣をとる?」
「いきなり何を言うかと思えば……。貴様は剣に賭ける理想がないとでも?」
「さあな。何のために剣を取っているかと問われれば、何かのために剣を取っていたか考えたことは無い。ただ流されるがまま、我が道は刀しかないと妄信して目の前に現れる敵を問答無用で切り捨てた」
沖田の話に耳を貸しながらも、調理を進めるリズ。ケトルが沸騰して、コーヒー豆を挽き忘れたことに気が付いた。豆をミルに一人分入れ、粉砕音を響かせた。
「そうか…。貴様には掲げるべき理想もなくば、理念もない。高過ぎる志は時に破滅を呼ぶものだが、その反対ときたか。それで剣を握るなとは言わんよ」
粉をドリッパーに移し、ドリップを始める。今度はボドボドど鈍い水の音を鳴らし、話を続ける。
「だが、人を斬る事に快楽を覚えるのは邪の剣。私はそうならぬよう志を剣を握るたび、思い返すが、歯止めとなりうるものを持たぬお前は危うさもある事を忘れるな」
ドリップしたコーヒーを沖田の前に差し出し、話を続けた。
「まあ、信念を持ち合わせて道を踏み外すものもいれば、その方向性を間違えるやつも少なくない。無理して持ってもなんの抑止にもならないということだ。かく言う私もかつては理念を求めて過ちを侵した。コーヒーいるか?」
沖田は目の前に出されたコーヒーを口に付けた。日本にいた頃斉藤に「貰い物だ」と言うものを一緒に飲んだのを思い出した。酷い苦味が口の中を襲い、後に斉藤の異邦の友人から砂糖やらを加えて飲むことも思い出し、再び悶絶しそうなところを何とか抑えた。
「すまん、砂糖をくれ......。差し支えなければ、どういう意味か教えてくれ」
「私の母はかつて異端のものとして罰せられた。火刑としてな......」
リズはテーブルへ砂糖を出し、キッチンへ背を向けた。目の前に出された砂糖を一杯コーヒーに入れ、再び口にした。まだ苦かったのだろう、再び一杯砂糖を入れた。
「母の生まれた国は約100年も侵略を防ぐための戦を行っていた。母はその戦を終わらすべく前線に出て、終止符に一役買り、祖国は彼女を英雄として称えた。しかしある時敵国に捕らえられた」
スクランブルエッグを皿に移し、パンを添えた。その皿を二つ持ってテーブルに移動した。沖田と向かい合い、食事をしながら、さらに続けた。
「母にも落ち度はあったさ。休戦協定最中に戦を起こしたのだからな。だが、祖国を思ってのこと。本来なら捕虜開放の手続きがある。王は最大の功労者である母を見放した。友軍のうち何名かは上の承認なしの救出作戦に参加したが、得られた成果は当時赤子であった私の救出のみ」
コーヒーで一息つき、深く、ただ深く考え込んだ。思えば彼女自身母の記憶は一切ない。しかし母のために剣を握った。
言うまでもない。復讐のためだ。物心ついたときには母であるジャンヌ・ダルクは祖国フランスを救ったと聞かされていたがその最期は魔女としての神判、火あぶりである。
彼女は不思議だった。英雄が魔女の烙印を押されるいわれなど何処にあったのだろうか。
彼女が最初に切った相手は百年戦争巻き返しの立役者でもあった、ジル・ド・レイ。同期のカリスマ的存在ジャンヌ・ダルクの狂信的な騎士でもあり、晩年はそれ故に黒魔術に手を染め、シリアルキラーとしての活動もあった。その蛮行は地に墜ちたジャンヌ・ダルクの名誉をさらに落としかねないものでもあったため、彼女はそれが許せなかった。これ以上の被害が出る前に斬った。
ーそれが最初の罪。
賞賛される事だったのだろうが、徐々にエスカレートしていった。幼き日の彼女には、『母を名を汚す者』を斬ることが正義だった。顔は血に塗れようが、次へ、また次へ粛清を行って行った。
彼女は剣を置く兆しはない。ある時を機にその行為もまた母の功績を穢れされるものだと知った。
受け入れられるものではなかった。彼女は剣を再び振るった。誰かのためではなく、道を見失い、ただ人を斬った。我を忘れ切り続けた。人を切るたび涙を流した。切った相手への贖罪ではなく、母への涙だった。
彼女の殺戮が落ち着いたのは、母、ジャンヌ・ダルクの魔女裁判の無効が確定したころだった。『もう誰も母のことを侮辱しない』と義経に言われた。
斬る事になんら抵抗を持たなかった彼女は剣を握る手にそれまでになかった重みを感じたのであった。再び剣を取ったのもまた義経の言葉であった。
「君にはおそらくキリスト教における原罪はない。だが、『穢れ』というものがこれから先、君を苦しめるだろう」
「かつて君は母のために剣を取った。しかし今度は己が正義の為に取るべきではないかと思う。その結果僕に剣を向ける道を選んだとしても、ね」
彼女は再び剣を取る決意を顕にした。己が思う正義のために。そしてそれは義経らが所属する組織への加入を意味した。かつて母を支援してた組織なら、その遺志はそこにある、そう信じて。
そんなことを思い出しながら、朝くらいは普段のものが毎日食べたいものだと願った。




