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10歳 その5

 婚約についての話がいち段落付いたところで、リチャード様は目を細め少しだけ険しい顔をしながら私の額に巻かれた包帯にやんわりと触れた。

 苦笑を浮かべ「本当はこの話を先にするつもりだったんだけど」と前置きをした上で、私の額に出来た傷についてのお話をしてくれた。


 骨にまでは達していなかったが、額が割れてしまっていたため縫合手術を施したとの事。

 傷痕が残ってしまうのは免れないだろうが、適切な処置を施せばある程度は傷痕が目立たないようになる可能性がある事。

 その適切な処置をする為には、抜糸までの間、毎日の診察や消毒などが欠かせないという事。

 経過によっては傷口がひどく腫れてしまったり、突然発熱する可能性がある事。

 そして、その諸々の事情を考慮した結果、傷が癒えるまでの間は私が王城で暮らせるように手配を済ませているとの事だった。


 リチャード様の申し出は、確かに理に適っていると思う。

 シュタットフェルト家も専属の医師はいるが、定期検診や病気の際に通って貰う契約を結んでいるだけで常に屋敷に滞在している訳ではない。毎日の往診を頼む事は出来るとしても、突然の発熱や傷口の腫れに対応するのは難しいだろう。

 それに医師の腕の問題もある。当たり前の事だが我が家の医師より、王家お抱えの侍医の方がその腕は確かだろう。

 仮初とはいえリチャード様の婚約者という立場に就いた以上、連れ立って社交の場に出る機会は必ず訪れる。その際のリチャード様の名誉の為にも、そして何よりも婚約解消の際の憂いを少しでも取り除く為に、出来る限り傷痕は目立たなくなっていることが望ましい。

 だから本来であれば、謹んでお受けすべきなのはわかっている……のだけれど。


「あの……つまり、この客室で生活するという事ですよね?」

 ベッドの上から部屋の中をぐるりと見渡す。

 流石王城の客室というべきか、この部屋は豪奢な調度品が品よく配置されており、部屋もとても広々としている。

 その広さたるや実家の私の部屋の2倍……いやもっと広いかもしれない。調度品どれ一つとっても明らかにお高い品々だし、備え付けの家具類に関していえば本物のアンティーク。おそらくではあるけれど、最上級の客室に通されているようだ。

 いくら私が貴族の令嬢とはいえたかだが10歳の小娘で。その上、前世の私はただの小市民。こんな豪華すぎる部屋で寝泊まりする事を考えると落ち着いてはいられない。

 正直に言えば。おうちに帰りたい。それが無理なら、せめてもう少しランクを落とした部屋にしてほしい。


「いや、エミィには私の部屋の隣の部屋で過ごしてもらうつもりだけど」

 そんな私の思惑をよそにリチャード様はさらりと爆弾を投下してきた。

 リチャード様の部屋の隣の部屋? それはつまりそういう部屋?

 奥様となる女性が暮らす様な……いや、まさか。

「流石にそれは……」

「エミィは私の婚約者だろう? いずれ暮らすようになる場所だから問題ないさ」

 言いよどんだ私の言葉を塞ぐようにリチャード様が言葉を紡ぐ。

 いやいや、問題大有りです! リチャード様! だってそこは将来的にはヒロインが使う予定の部屋なんですよ。

 もちろんそんな事は言えるはずもないけれど私の頭の中では大絶叫だ。

 必死にこの状況を回避しようとする私に最大級の爆弾が落ちてきた。

「でも、寝ている間にエミィの具合が悪くなったら心配だから……一緒に寝たら安心かなって」


 は? え? 一緒に寝る?

 一緒にって、同じベッドで!? 同衾!?

 それはまずい。非常にまずい。

 いや、リチャード様は12歳で(エイミー)は10歳。そこには何の下心もないだろう。リチャード様が本当に私を心配してくれているからこその打診だ。


 でも無理。無理です。私の中身は今や25歳の記憶に引きずられまくってる。

 推しと、リチャード様と一緒に寝る?

 そんなの心臓が持つわけない。ドキドキして死ぬ。一睡もできるわけない。

 その上、私の知る面影を残しながらも今はまだ少年らしさの残るリチャード様は、ショタだって性癖な私には凶器過ぎる。

 一緒に寝ようものなら、うっかりムラっと来て襲ってしまう可能性だって無きにしも非ず。そんな事になったら一巻の終わりだ。

 女だって狼なのですよリチャード様。この外見で理解していただけるとは思ってませんが。


 そんな私の下世話すぎる欲望は心の中で押し止めながら、話し合いをする事、数十分。

 隣の部屋で暮らす事を条件に、一緒のベッドで眠る事だけはどうにかこうにか回避させて頂いた。


 リチャード様の貞操だけは何が何でもお守りしなくてはいけないのです。

 貴族社会の中では(エイミー)の貞操の方が大切な事はこの際どうでもいい。どのみち顔に傷痕が残る以上、傷物の誹りを受ける覚悟はあるのだから。


 当初の目的も忘れ、私は、私の脅威から推しを守った事にすっかり満足していた。

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