90.シスコン悪役令嬢、向き合うとき
フィアナが今までにない程顔を真っ赤にしながら部屋から飛び出していった。乱雑に開かれて悲鳴をあげたドアをぼんやりと見つめていたら、恐る恐るアイカが覗き込んできた。
「あ、あのー?」
その声は何があったのかという多分に疑問を含んでいたが、生憎私自身も何が起きたかいまだに理解できていなかった。
無意識に人差し指で自分の唇をなぞってみる。僅かに感じる湿り気は私だけのモノではないことは確かなはずだ。
「その、フィアナお嬢様が飛び出してきましたけどー……」
「シグネは追ってくれた?」
「はい。慌てて付いていきましたが、その何かあったのですかー?」
アイカは流石にここで起きたことを何もなかったこととして見逃すことは出来なかったらしい。私は彼女を部屋に手招いた。
「あのさ」
「はい?」
「私の頬を抓ってくれない?」
「……流石にお嬢様の肌を抓るのは無理ですねー」
「じゃあ自分で抓るわ」
「はいー……」
遠慮なく自分の顔に手を伸ばして頬を抓って引っ張ってみる。強くすると熱さと痛みがちゃんと返ってきた。
「痛いわね」
「それは、そうでしょうねー」
「……夢じゃなかったということね」
「あのー、大丈夫ですかー?」
突然起こした私の行為にアイカは心配そうに声を掛けてくる。まあ、私も目の前で突然そんなことをされたら驚くし、何があったのかと気になるだろう。
でも、一番驚いているのは何より私自身なのだ。
「……柔らかかった」
ポツリと呟いた言葉にアイカは「はい?」と返してきたが、真相を告げることは出来なかった。
何せキスだ、接吻だ、口づけだ。果たしてフィアナがどんな気持ちでそれをしたのか、私は量りかねていた。勿論、彼女がその時の気分でとか、からかうつもりでそんなことをするわけがないことはわかっている。だからこそ、真剣に考えねばならない。
「ごめんなさい、ちょっと色々あったの……あ、でも喧嘩じゃないから大丈夫よ。私も動揺しているから、その落ち着いてから話したいの」
「……そうですかー。いえ、別に無理に聞きたいわけじゃないので。何か仲違いがあったのかと気になっただけなので、そうじゃないなら大丈夫ですー」
そう言ってくれたアイカに感謝を述べて、今日は休むことにした。まだ全然眠くはないが一人になりたかった。じっくり考えたかったのだ。
しかし、それは間違いであることに気付くのは、朝日が昇ってきた時だった。
(な、なななななんでフィアナはあああああんなことをををを……!!)
暗い部屋に一人になるのは確かに考えるに適していた。しかし、それはフィアナとのキスを脳裏に深く思い出すことになるだけで、そのたびに私はベッドの上でのたうち回ることになった。
嬉しくないわけじゃない。フィアナのことは好ましく思っているし、キスをされたことは単純に喜ばしい。だけど、フィアナの言っていたことだけはまだ理解できていなかった。
『お姉様、好きです』
私に馬乗りして彼女が唱えた言葉。それは決して姉妹同士の間にある絆を確かめあうものではない。寧ろあれは……
「いや、そんなはずは……で、でもそうだったら……!? 私、どうしたらいいの!?」
思い浮かぶのはフィアナの切羽詰まった、今にも泣きだしそうで何かをずっと耐えていたような悲痛ささえ感じる表情ばかりだ。いまだにファーストキスを済ませた唇が熱いような気がする。
部屋が朝日に照らされ、夜が明けたことを気付いても私の心は戸惑いに曇っていた。事故からずっと寝ていたせいか、一晩過ぎても眠気はない。寧ろずっとハッキリしているぐらいだ。
(……だめね。寝たまま考えているばかりじゃ)
ふぅ、と息をつく。そして一度頬をパンパンと叩いた。こんなベッドの上で思い悩むなんて私らしくもない。こちとら泣く子も黙る(?)妹大好きシスコン悪役令嬢だ。こういうのは一人で悩んで先延ばしにするんじゃなくて聞けばいい。フィアナにだって何か思うところがあったに違いないのだから、そのまま放置など私の名が廃る。
「最初からそうするべきだったわ!」
ガバッとベッドから起き上がり、飛び降りる。そのまま部屋から出た私は真っすぐフィアナの部屋に向かった。
すれ違う使用人達にも心配を掛けていたのか声を掛けられたので彼ら彼女らにも大丈夫なことを感謝と共に伝えながら、目的地前に着くと扉の前で困った様子のシグネと会った。
「シグネ、おはよう。どうしたの扉の前で?」
「セリーネお嬢様!? もう大丈夫なんですか!?」
シグネが私を見て驚いた声を上げた瞬間、部屋の中からゴトゴトッと物々しい音が響いた。どうやらちゃんと中にいるらしい。
「私はもう大丈夫よ。昨日も言ったけど看病してくれてありがとうね。それでフィアナは中にいるんでしょ? どうしたの?」
「じ、実は昨日、セリーネお嬢様の部屋から飛び出したフィアナお嬢様を追ってきたのですが、部屋の前で一人にして欲しいと叫ばれてしまって……朝になったので一応来たのですが、そのどうしたらいいか……」
シグネの目は昨日何があったのかと尋ねてきたが、アイカと同じくまだ教えるのは躊躇われた。少なくとも本人に確認を取るまでは。
「そうだったのね。じゃああとは私に任せて頂戴。どうなるかはわからないけど」
「え……?」
「とにかく今は私とフィアナだけにしてもらってもいいかしら?」
「は、はぁ。それでは誰も入らないようここに立ってますので」
「ありがとう。よろしくね」
シグネにお礼を言って私は部屋の扉に手を掛けた。鍵がかかってるかもと思ったが、意外にも扉はあっさりと開いた。
「フィアナ、入るわよ」
少し開いてからそう告げて部屋に踏み込んだ。後ろ手に扉を閉める。そういえばフィアナの部屋に来るのは何気に初めてなことに気が付いた。いつも私の部屋で一緒に過ごしていたからだ。
部屋はフィアナらしく清楚というか、変に豪華な装飾などはないがシンプルに整理整頓されており、彼女の慎ましやかさがそのまま反映されたような装いの部屋だった。今に限ってはある一点だけを除いて。
「フィアナ……」
ベッドの上に不自然な膨らみが出来上がっていた。幾重にも積み重ねられた布団はその中に何かを匿っているようだった。というか実際に匿っているわけなのだが。
「フィアナ」
もう一度、今度はハッキリ呼ぶと膨らみがモゾリと蠢いた。だけど返事はない。私はふぅと息を吐くとそのままベッドに近寄ってその塊を剥ぎ飛ばした。
「きゃあああっ!?」
まさか勢いに任せてそんなことをされるとは思っていなかったのか、あっさりと布団は宙を舞い中にいた愛しの妹は素っ頓狂な声を上げた。そして、少しだけ赤くなった潤んでいる瞳を私に向けるとそのまま固まった。
「おはよう、フィアナ」
ああ、きっと今にっこりと笑っている私はある意味、今までで一番悪役令嬢に近いのかもしれない。
「話を聞きに来たわよ」
私を見たまま石になっているフィアナを見ながら私は彼女のベッドに腰を下ろした。
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