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桜花舞う!!  作者: 高嶺の悪魔
第二章 夏(後) 近衛叛乱
99/205

017

 帝都内湾の埠頭に、鋼鉄の巨体を横たえるようにして帝国海軍の戦艦「紀伊」は接岸していた。

 その威容は、大艦巨砲主義の極地ともいうべきものだ。

 甲板上に据えられた巨大な三連式の主砲と、それに耐えられるだけの装甲を備えたこの紀伊は、帝国海軍が保有する艦艇の中でも最大であると同時に、世界最大、最強の戦艦でもあった。

 もっとも、大戦中における活躍の機会は少ない。

 建造自体は大戦中期に始まったのだが、たびたび建造中止の憂き目にあい、ようやく完成したのは大戦も末期になってからだったからだ。その頃になると、戦艦よりも航空機全盛の時代であり、巨大戦艦の戦術的価値は大きく減じていたのだ。

 同型二番艦である「尾張」は空母として改修後、多くの戦場に投じられたのに対して、一番艦の紀伊は巨額の国費を投じたにも関わらず、実戦では移動砲台として使う以外にこれと言った有効な使い道が見つからなかった。

 それ故に、大戦終結時、ほぼ無傷で残っていたことは幸運であったのか、皮肉であるのか。

 混乱に紛れて近衛部隊をひっそりと抜け出していたシュンは、その甲板に立って手すりを撫でながら、そんな思考を弄んでいた。


 彼の見下ろす先では、続々と紀伊から下船する海軍陸戦隊の将兵が埠頭に整列している。

 下士官たちが、海兵らしい威勢の良さで兵を怒鳴りつけているのを眺めていたシュンは、ふと背後から人の近づく気配を感じ取った。

「助かったよ、瑞島中佐」

 振り返ることなく、彼はそう口を開いた。

「まさか、本当に一個大隊を引き連れてくるとはね」

「なぁに。帝都の、帝主陛下の一大事だ。本当なら、一個艦隊引っ張ってきても良かったくらいさ」

 答えたのは、精悍な面立ちの海軍中佐だった。海軍の白い制服ではなく、陸軍の戦闘部隊が着ているものと同じ国防色の野戦服に身を包んでいる彼は、日焼けした顔面に野性味の溢れる笑みを湛えながらシュンの隣へと立った。

「それは無理としても、よく上が許したな。陸戦隊の残存兵力ほぼ全員じゃないか」

 整列した海軍陸戦隊を眺めながら、シュンが褒めるように言った。

「海軍だって、今のような時期に帝都でごたごたが起こるのは望んじゃいない」

 瑞島は肩を竦めながら答えてから、それに、と続ける。

「何よりも。こいつは汚名返上のための、千載一遇の機会だからな。五十年も前の先人が残した海軍史上最悪の汚点を、ここで清算できるかもしれんとなれば、上はどんなことでもするさ」


 瑞島が言ったのは、今から五十年ほど前。大戦初期の帝国で起こった、戦地帰りの海軍士官による叛乱事件のことだった。

 海軍士官叛逆事件と呼ばれるその事件は、首謀者である海軍少佐以下、数名の海軍士官によって引き起こされた。

 海外での作戦から帰投したその足で帝国議会議事堂へと乗り込み、占拠した彼らは「すでに開戦の目的であった、欧州列強による南洋国家群の支配からの脱却は成り、かつ豊富な資源の採掘地も獲得することに成功した今、これ以上の戦火拡大は不要である」と主張したのだ。これに加えて、各地で作戦活動中の各艦隊を帰投させ、大陸で戦線を伸ばしつつある陸軍部隊の即時撤退を時の政府へと要求した。

 しかし、当時は連戦連勝を重ね、戦争による特需も相まって、世論はさらなる戦争の拡大を求めていたために、市民たちの反応は冷ややかだった。

 さらに、海軍士官たちは議事堂を占拠する際、一般市民を巻き込んで数人の死傷者を出していたことが判明すると、彼らの行動に対して市民たちによる猛烈な抗議が沸きあがった。これを受けて、陸軍が実力行使に踏み切り、結果として叛乱は失敗。彼らの主張は完膚なきまでに否定された。

 今もなお、海軍史上最悪の汚点として語り継がれるこの事件は、たとえどのような主張であっても、武力をもってそれを押しとおそうとすることの愚かさを諭す教訓として陸海軍の教書にも乗せられている。帝国の軍人であれば、誰もが知っている話だった。


「皮肉なものだな。主張は正しくても、それが万人にとっての正義とは限らないとは」

 シュンが手すりに置いた右手を見下ろしながら、ぽつりと呟いた。それを聞いた瑞島はふんと鼻を鳴らすと言った。

「そりゃあ、戦争を終わらせようという志は立派だったがな。連中が下手を打ったおかげで、海軍は陸軍のために輸送やらなにやら、地道にコツコツとやらねばならなかったんだ」

 この事件以降、国民の海軍に対する信頼は一時失墜し、帝国議会における海軍の政治的立場は大きく低下し、戦争は陸軍主導によってどこまでも拡大してしまった、という歴史的経緯もあった。


「ところで、本当にドンパチはしなくていいのか?」

 手すりの肘を乗せた瑞島が、埠頭に並ぶ部下たちを眺めながら確かめるように訊いた。

「ああ、それでいい」

 シュンは分厚い眼鏡の奥に光る、細い瞳をさらに鋭利にさせながら頷いた。

「帝宮へ向けて、部隊を適当な場所まで推し進めてくれれば十分だ。後は陸軍がどうにかするだろう。帝都の治安維持を任されているのは陸軍だからね。君たちにそれ以上やられると、こちらとしても立つ瀬が無くなる」

「まぁ、そっちにも面子があるだろうからなぁ」

 ふぅんと詰まらなそうに唸りながら瑞島は応じた。彼の声に、不満そうな響きがあるのを聞き取ったシュンは苦笑を浮かべる。

「直接戦闘はせずとも、陛下が危機に晒されているところへすかさず海軍が馳せ参じたという事実は大きい。陸軍に貸しもできる。悪くない取引だと思うんだが」

「もちろん、悪くない。だがな」

 瑞島は同意するように頷きながら、甲板に向き直った。そこには紀伊の主砲である、51センチ3連装砲が圧倒的な存在感とともに鎮座している。

 それを見つめながら、彼は残念そうに声を漏らした。

「せっかく、戦艦で乗り込んできたというのに」

「……戦意旺盛なことは認めるけれど。流石にあれを帝都に向けて放つのは辞めて欲しいな」

 やたらと士気の高い事で有名な帝国海軍の中でも、特に血気盛んな海兵だけを集めたという陸戦隊を象徴するような瑞島の一言に、、さしものシュンも呆れたように息を吐いていた。

「流石にそんなことはせんよ」

 彼の視線に気づいた瑞島は、いまいち本気さの感じられない声で首を振っていた。


「ところで、あの少年はなんだ」

 手すりに腰を押し付けていた瑞島が、甲板で物珍しそうに紀伊の主砲を眺めている少年を見つけると、窺うような小声を出した。それはシュンがソウジの下を訪れた際にも連れていた、あの少年だった。

「ああ、あの子は」

 瑞島の質問に、シュンは億劫そうな声で答えた。

「少し事情があってね。預かっているんだ。見た通り、兵でもなければ軍属でもない。現状の帝都ではここが一番安全だろうと思って連れてきた」

 それを聞いた瑞島は、からかうように笑った。

「おいおい、子守りが今の君の任務なのか」

「それについては職務上の守秘義務に当たるため、お答えできないな」

 シュンはそう言ってそっぽを向いた。いつも通りの仏頂面に戻った彼の横顔をしばらく見つめていた瑞島は、やがてまぁ良いかと肩を竦めた。

「さて、それじゃあ、そろそろおっぱじめるか」

「よろしく頼むよ、瑞島中佐殿」

 身体を伸ばしながら言った彼へ、畏まった態度でシュンが応じる。

「おいおい、今やお互い中佐だろ。それに海軍うちでは、中佐も殿も付ける必要はないぞ、識防君」

「相変わらず、海軍の伝統は面倒が少なくていいな。瑞島君」

 敬礼を送りつつ、シュンが言った。

「なぁに、この馬鹿騒ぎもすぐに終わるさ」

 答礼を返しつつ、瑞島は不敵な笑みを浮かべた。



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