016
「ご無事ですか、連隊長殿!?」
「お怪我は?」
「目が赤いようですが……まさか、奴らに何か?」
駆けつけた第五中隊の兵たちは、サクヤを守るように取り囲むなり彼女を質問攻めにした。その中の一人が、サクヤの瞳が赤らんでいることに気付き、殺気立った視線を近衛兵たちに向ける。すでに武器を取り上げられていた彼らは、怯えたように身を震わせた。
「ま、待って、違うから!」
小銃を握りなおそうとしている兵を、サクヤは慌てて引き止めた。
「大丈夫、私は何もされていないわ」
その一言に、ようやく第五中隊の兵たちは胸を撫でおろしたようだった。
「ところで連隊長殿……こいつはいったい?」
ひとまず安心できたところで、須磨が尋ねた。彼が顎をしゃくった先には、伊関が所在なさげな様子で立っている。
須磨たちが到着した時、彼が他の近衛兵からサクヤを庇うように立っていたのを見たため、どう扱って良いのか迷っているらしい。
「ああ、彼は」
どうやら、須磨は伊関のことを知らないようだった。説明のためにサクヤが口を開きかけたところで、隣にいた兵が驚いたように声をあげた。
「伊関? 伊関じゃないか! ……どうした、お前。こんなところで」
「あ、これは赤間伍長殿。お久しぶりです」
二人はどうやら顔見知りだったらしい。赤間という伍長に名を呼ばれた伊関は、軽く会釈をしてから口を開いた。
「いえね。それが自分、今年でようやく十八になって、兵隊になれる歳になったじゃないですか。そんで、俺は陸軍が良いって言ったんですけどね、監督者の婆さまが、どうしても近衛に行けって聞かなくて。近衛に行かないなら、どこぞの開拓村にでも送り込むぞ、とまで脅されまして、で、仕方なく……」
元々、おしゃべりな性分であるらしい彼は、話をたびたび脱線させながらも、これまでの経緯を須磨たちへ説明した。
「なるほどな」
彼の話を聞き終えた赤間は頷くと、さっとサクヤへ顔を向けた。
「なにか、失礼はありませんでしたか、連隊長殿」
「いいえ」
それにサクヤは首を振って応じた。
「とても頼もしかったわ。ありがとう、伊関一等兵。あ、今は二等兵だったわね」
そう言って彼女が微笑みかけると、伊関は酷く照れくさそうに頭を掻いた。赤間もまた嬉しそうに笑う。
「こいつ、大陸にいた頃から俺が面倒を見てたんです。どうにもお調子者で、どれだけ教えてやっても読み書きもまともにできない大馬鹿野郎なんですが……ここ一番の肝っ玉だけはとにかくデカいヤツなんです」
「ええ。まさにその通りだったわね」
まるで兄のように伊関の事を語る赤間に、サクヤは大きく頷いた。
「ほれ、いつまで馬鹿をやっとるんだ、貴様らは」
伊関をもみくちゃにしている部下たちへ、須磨が叱るような声で言った。
「申し訳ありません、連隊長殿。馬鹿ばかりで」
「いいえ。本当に助かったわ、須磨軍曹」
そう頭を下げる彼に、サクヤはくすくすと笑いながら答えた。
「みんなも。本当にありがとう」
改めてお礼を言った彼女に、兵たちはむしろ恐縮したように応じた。
「ところで、彼らはどういたしますか?」
一通りのやり取りを終えた後で、須磨が窺うようにサクヤへ言った。彼らとは、砂霧に置き去りにされた近衛兵たちの事だった。
「そうね……」
サクヤは考えるように、顎に手を当てた。
「須磨軍曹。正直、私はまだこの事態について、よくわかっていないのだけど」
「それは自分たちも同じです」
聞き返した彼女に、須磨は肩を竦めるように答えた。
「自分たちは中隊長から、とにかく連隊長殿の安全を確保せよと命じられただけで。中隊長は何か、事情をある程度知っているようですが」
「ミツ、邑楽大尉が?」
「はい。中隊長はなんでも、御代中将からお聞きになったとか」
「……そう」
二人の名を聞いた途端、サクヤは肩の力を抜いた。
あの二人が、ソウジが動いているとなれば。きっと、自分は何もする必要が無いだろうと思ったからだった。
「練兵場の様子は? みんな、大丈夫なの?」
「うちの中隊は全員、無事です」
唯一の心配事について訊いたサクヤへ、須磨は安心させるように答えた。
「何より、あそこには榛名大尉がおられますから」
「まぁ、そうね」
万全の信頼を寄せた彼の一言に、サクヤもまた頷いた。
しかし、そうなってくると逆に近衛兵たちのほうが心配だった。そのことについて尋ねてみると、須磨はなんとも言えない表情で「まぁ少なくとも。ドンパチは起こっていません」とだけ答えた。
一通り、安心できるだけの材料を得たたサクヤは最後に、残っていた近衛兵たちへ近づいた。
「兼益軍曹」
彼らの中で最も階級の高い者へ呼びかける。
「はい、少佐殿」
兼益は素早く応じた。
「この蹶起……叛乱には、近衛の全部隊が参加しているのかしら」
「はい、少佐殿。いいえ、そうではありません」
尋ねたサクヤへ、彼は近衛らしい厳格な言葉遣いで答える。
「参加しているのは、近衛の第一、二、七中隊の一部と、第三中隊全員を合わせた、およそ千名ほどであります」
兼益の返答に、彼女は頷いた。
「指揮を執っているのは、あの砂霧大尉かしら?」
「はい。ただし、中心となっておられるのは第一中隊長の真辺大尉殿と伺っております。他に、自分が知っているのは第三中隊長の泰原大尉殿、第七中隊長の磯崎大尉殿だけです」
そこまで聞いたところで、サクヤは再び考え込んだ。しかし、すぐに思考を打ち切る。
今の自分は士官学校の教官に過ぎないことを思い出したからだった。
それに、ソウジやミツルが動いているのならば、彼らに任せれば良いと思った。
大戦は終わった。私にできることなど、もう何もない。
「兼益軍曹。貴方たちに与えられた任務はどうやら、生気の命令系統に則ったものではないようですね」
顔を上げたサクヤは確認するように兼益に尋ねた。
「はい、少佐殿」
近衛軍曹は銅像のような態度でそれに応じた。
「では、これからどうするべきか。近衛で軍曹まで務めているのであれば、きっと分かると思うのだけど」
そう問いかけたサクヤへ、彼は踵を打ち鳴らして背筋を伸ばすと答えた。
「はっ。自分は部下を掌握して、原隊へ復帰。爾後、正規の命令あるまで待機します」
その完璧な答えを聞いたサクヤは、微笑みとともに頷いた。彼女の表情からは、先ほどまで、自分に銃を突き付けていた者に対する遺恨など欠片も見て取れない。
「よろしい。では、そうしなさい。ただし、もしも帰営の途中で守備隊に出会ったのならば、速やかに投降すること。抵抗してはいけません」
「承りました、少佐殿」
そう言ったサクヤに、兼益は恭しく腰を折った。
「貴方の名前は憶えておきます。もちろん、罰を受けさせるためではないわ。だって、貴方たちは私に傷一つ付けていないもの」
最後にそう付け加えて、彼女は右手の人差し指を唇に当てるとにっこり笑った。
「は! 有難くあります、木花少佐殿!」
その笑顔を前にして、兼益は敬意も新たに姿勢を正した。彼に倣って、他の近衛兵たちも同様に背筋を伸ばす。
彼ら全員が、何故この少女に銃を向けてしまったのだろうかという後悔を抱いていた。
須磨へ振り返ったサクヤは、これで良いかしらと視線で問いかけた。須磨は黙って頷いていた。




