014
「砂霧! お、俺だ! 何をしているんだ、お前! すぐに戻ってくると言っていたじゃないか!」
兵たちにはそのままの態勢で待てと命じてから、砂霧が受け取った通話機を耳にあてるなり、酷く切迫した様子の真辺の声が飛び込んできた。
「悪いが、こちらは取り込み中だ。後にしてくれ」
サクヤと伊関二等兵に油断のない視線を送りつつ彼は答えると、すぐに通話を切ろうとする。
「それどころじゃないだろう!」
地団太を踏むような真辺の声が、それを引き止めた。
「聞こえていないのか、これが!」
「なんの話だ」
どうにも、彼がそこまで焦っている理由が分からず砂霧は聞き返す。
「先ほどから、陸軍の戒厳司令部と名乗る何者かが、帝都中の伝声機を通して、我々へ投降を呼びかける放送を行っているんだ!」
「なに……」
真辺の絶叫とともに齎されたその一報は、砂霧から言葉を忘れさせた。
「放送は、ただちに武装解除して、原隊へ復帰せよと。従わない場合、賊軍と見做して、帝都にある陸軍の全戦力をもって殲滅すると! そ、それも、帝主陛下からの勅命だと言っている!」
畳みかけるように続ける真辺の言葉に、砂霧はどうにか冷静さを取り戻すと考えた。
伝声機を通して、ということは。彼は辺りをさっと見回した。このあたりに伝声機は見当たらない。いや、帝都中とは言っても、通電している伝声機は大通りにしかない。
そこまで考えが至ったところで、恐ろしい予想が砂霧の脳裏に浮かびあがった。
「真辺」
「な、なんだ……」
有無を言わせぬ口調で名を呼ばれ、無線の向こう側から真辺の怯んだ気配が伝わってくる。
「陛下はどうした。玉体は保護しているのか?」
「あ、いや……それが」
歯切れの悪い返答が返ってくる。
「帝宮内はくまなく探したんだが……」
「見つかっていないのか」
砂霧は罵るように唸った。怒鳴られるよりも遥かに迫力のあるその声に、真辺が息を飲む。
「だ、だが、侍従長は拘束しているぞ……?」
この際、何の役にも立ちそうにないその言い訳を無視して、砂霧はさらに尋ねた。
「他の部隊はどうだ? 標的を確保できているのか」
「あ、いや、それもだな……磯崎隊は参謀本部を占拠して、次長の御代中将は拘禁しているが、参謀総長は未だ発見ならずと。首相官邸と議事堂を襲撃した泰原の第三中隊も、主目標である首相と陸相は見つけられず……ああ、でも議長の身柄は確保しているそうだ」
砂霧の喉が呻くような音を立てた。
してやられたという思いが沸きあがる。
ものの見事に、確保できているのは陸軍に関係ないか、或いは陸軍派ではない人物ばかり。
その事実から推測できる答えは、たった一つだった。
どこからか、情報が漏れていた。
では。いったい、どこから。誰から。
不思議なことに、その疑問を砂霧は抱かなかった。
「砂霧……」
真辺が躊躇いがちに彼へ呼びかけた。何かを言おうとしている響きがあった。
しかし、彼がそのことを口にするよりも先に、新たな声が無線に割り込んできた。
「大変です! 真辺大尉!」
やはり慌てているその声は、東宮通りの封鎖を任せている部隊の指揮官、笹折中尉のものだった。
「分かっている」
それに砂霧が静かな声で答えた。
「ああ、砂霧大尉も居られましたか」
「笹折中尉、一つ確認したいことが――」
安堵したように息を漏らす笹折へ、砂霧は尋ねようとした。もちろん、あの分厚い眼鏡を掛けた、顔色の悪い中尉についてだ。しかし、彼の質問は途中で遮られてしまった。
「先ほど、帝都内湾の埠頭に海軍のものとみられる軍艦が接岸しました! そこから武装した一団が下船中! 装備から見て、恐らく海軍の陸戦隊と思われます! 規模は約、一個大隊!」
吐き出すように、一息で言い切った笹折の言葉を聞き、砂霧は痛みを堪えるように瞑目した。
「……どうしますか?」
彼が黙っていると、無線から笹折の助けを求めるような声が聞こえる。
「君たちは、西宮通りまで後退しろ」
砂霧はどうにか絞り出した対処方を口にした。
「り、了解しました」
緊張に張り詰めた声とともに、笹折は通信を切った。
「砂霧……」
笹折が会話から消えたところで、真辺の茫然とした声が無線に響いた。
「真辺、君の隊は帝宮を確保し続けろ。私も急いでそちらへ戻る」
「なぁ、砂霧」
指示を出す砂霧へ、真辺が再度呼びかけた。何かを失っているその声に、砂霧が嫌な予感を覚えるのと同時だった。
「もう、終わりにしないか?」
それはまるで、登山を途中で打ち切るかのような口調だった。
「蹶起は失敗だよ。帝主陛下はおろか、目標としていた人物を一人も確保できていないじゃないか。そこへ海軍まで出てくるなんて、予定になかった事態ばかり起こる。さっきから、放送を聞いている兵たちの間にも動揺が広がっているようだし……それに、いま投降すれば、悪いようにはしないと向こうも言ってるんだ。きっと、俺たちの志にも一定の理解を示してくれているんだよ」
「何を言っているんだ、君は」
感情の無い声で、砂霧は答えた。
「本当に、なにも分かっていないのだな。終わりにする? 蹶起は失敗? それがどうしたと言うのだ。我々にはもはや、戻るべき道もなければ、帰るべき場所もない。ひとたび行動を起こした今、我々に残された道はただ一つ。目的に向け、ひたすら邁進するのみだ」
そして、彼は断頭台の刃を落とすような声とともに真辺へ告げた。
「降伏したければ、好きにするといい。どの道、行き着く先は同じだ。いいか? 我々は畏れ多くも、陛下の兵を私用したのだ。忘れていないか、我々は近衛なのだ」
近衛への指揮権を持つ者は、この国にただ一人。帝主のみである。たとえ近衛総監であろうとも、帝主の命なくして近衛兵を動かすことは許されない。
これを破った者に待つ報いはただ一つ。極刑のみだった。
近衛将校であれば、誰もが知っているその事実を砂霧は真辺に思い出させてから、通信を切った。




