幕間 ~延槻コトネ中尉の日常~
近衛の起こした叛乱行動は全て、帝都内で完結されていた。
よって、この時点ではまだ、帝都で起こっている大事件について、街の外にいる者たちは知る由もない。
延槻コトネ中尉率いる第1148開拓部隊の駐屯する帝都南部の開拓村では、その日も普段通りの日常が営まれていた。
「はい。では、本日の作業内容についての説明は以上」
朝早くからじりじりと太陽の照りつけている青空の下、開拓村の広場に整列させた男たちの前で言葉を切ったコトネは、両手の平を打ち付けると言った。
「なにか質問は?」
「なにもありません!!」
彼女の問いかけに、男たちが一斉に返事を返す。
よろしいと頷いたコトネの前には、彼女の指揮する開拓部隊の兵たちと、一般から集められた開拓民たちが左右に分かれて並んでいる。
開拓計画の実行責任を負わされている開拓部隊指揮官の任務は多岐に渡る。兵を指揮しての開墾作業の他、現地の治安を維持することから始まり、集まった開拓民へ開墾や農作業の方法を指導することもその一つだった。そのため、開拓部隊指揮官には農作業についての基礎知識も一通り叩きこまれている。
「それでは」
「あのー、姐さん」
コトネが作業開始を告げようとしたところで、開拓民の一人が手を上げた。
「姐さん言うな」
その呼ばれ方に顔を顰めながらコトネは答えた。
「そう言われてもなぁ……」
少年のような開拓民は、周りにいる者たちへ同意を求めるような目を向けながら言った。
「姐さんは、姐さんだしなぁ」
彼の言葉を聞いて、うんうんと頷き合う開拓民たち。それを見たコトネは盛大な溜息を漏らした。
この開拓村にやってきて早一年。
彼らから姐さんと呼ばれるようになったのはいつ頃からだったろうかと、コトネは青空を仰いだ。
開拓村に集められている開拓民の多くは、未成年の子供である。
そして、ほとんどの場合、彼らにはやる気がないと言っていい。
彼らの多くは監督者からの指導、軍隊における命令を受けて集められているのだから、当然と言えば当然だった。半ば、養育を放棄される形で、強制的に労働に従事させられている彼らにやる気というものを求める方が間違っているかもしれない。
強制労働による弊害というべきか、当然の帰結と言うべきか。最低限の衣食住は保証されていることもあって、開拓民たちは与えられた仕事に対して可能な限り手を抜くようになった。
これは人間の習性とも言えるもので、一所だけで起こっている問題ではない。
帝国政府が躍起になって推し進めている開拓事業が遅れに遅れている最大の理由と言っても良い。
そして、コトネが赴任してきた当初。この開拓村も例に漏れず、似たような有様であった。
開拓部隊指揮官を任された多くの将校と同じく、彼女もまたこの問題には随分と頭を痛めた。開拓民は兵士ではないのだから、仕事を命じてそれで終わりとはいかないからだ。
しかし、開拓計画の実行責任を任されている以上、放っておくこともできない。
一日中、少しばかり地面を掘り起こしてはだらだらとたむろしている彼らに、どうにかして働いてもらおうと彼女は四苦八苦した。
こうした場合の対処方は、簡単に言って二通りある。
一つは当然、成果に対して正当な報酬を与えること。
だが。そもそも、報酬を与えようにも与えられるものがなかった。
もう一つの方法は極力、取りたくはないと思っていたコトネにできるのは結局、働くようにお願いすることくらいだった。
しばらくの間は、開拓部隊の兵たちだけで開墾作業を続けつつ、開拓民たちにどうにか協力してもらおうと交渉する毎日が続いた。村の責任者である、枯れ木のような老人はまったくあてにならず、彼女は全て一人でどうにかせねばならなかった。
数ヶ月経っても、状況は一向に好転しなかった。
或いは、彼女が女性ではなく、屈強な男の軍人だったならば話は別だったのだろうか。始めの頃に、下手に出てしまったのも逆効果だったのかもしれない。
つまるところ、コトネは開拓民たちから完全に舐められてしまったのだ。
そんなある日。
いつものように、協力を頼みに行ったコトネを開拓民の一人が面と向かって馬鹿にしたことがその発端だった。
どのように馬鹿にされたのかは彼女の名誉のために伏せておくことにするが、礼節を知っていれば決して口には出さない言葉を投げかけられたのは確かだ。
そしてコトネは投げかけられた言葉に対し、極上の笑みを浮かべながら遂にキレた。
怒ったコトネは怖い。
なにせ、あのコウにすら恐怖を抱かせることのできる、この世に数少ないものの一つなのだ。ソウジでさえ、彼女の機嫌には気を遣うと言えばどの程度のなのかが分かるかもしれない。
ただし、サクヤは例外だった。
というよりも、コトネが本気で怒るのは誰かがサクヤを傷つけようとした時か、若しくは男どもが彼女に何か馬鹿なことを吹き込んだ時くらいだったのだ。
今までは。
生まれて初めて、サクヤに関すること以外で怒りを爆発させたコトネはこれまで散々、使うことを躊躇ってきたもう一つの方法を採る決断をした。
その気がない者を、強制的に働かせるためのもう一つの方法。
即ち、恐怖による支配である。
もともと男勝りな性格に加えて、コトネは大戦史上最大の激戦地から生還してきたのだ。そこらにいる軟弱な男子など相手にもならない。
彼女は自分を馬鹿にした開拓民への報復を済ませると、直ちに彼らの根性を叩きなおすことにした。
もっとも、言うほどの恐怖政治を行ったわけではない。
出来たら褒める。よく出来たら絶賛する。出来なければ、再教育する。逆らえば地獄を見てもらう。信賞必罰を基本とした軍隊の教育方法をそのまま実践しただけだ。
少々野蛮かもしれないが、コトネもまたこれ以外のやり方を知らなかったのだ。
その結果。思ったよりも従順に仕上がってしまったのはまぁ、彼女も予想していなかったのだが。
「それで、姐さん」
うーん。どこで間違えたのかなー? と記憶を辿っているコトネを、開拓民の少年がまたそう呼んだ。
「だから、姐さんって呼ぶのは辞めて」
慕われているのは分かるのだが、その呼ばれ方は全然嬉しくない。
まるで舎弟と女親分ではないか。
とは言え、軍人でも部下でもない彼らに自分をどう呼べなどと強制もできない。
サクヤも“大佐さん”と呼ばれるのはこんな気分なのかしらと思った。
歩く軍神はまた別なので、この場合は比較にならない。
そもそも、銃弾飛び交う戦場も恐れずり歩き、指揮を執る様から付けられた渾名だとか言われているけれど、あいつはただ乗り物が苦手なだけだ。
脳筋大尉に至っては、ただの悪口である。
あ。いや、帝国陸軍技術部の粋を集めて造られた人型弾道歪曲装置っていうのは別に悪口じゃないか。
「で、質問はなに?」
そんなことを考えながら、コトネはため息交じりに聞き返した。
「ほら、もうすぐ帝都ででっかいお祭りがあるそうじゃないですか? あれって、俺たちは参加できたり……」
期待に満ちた瞳で尋ねた少年に、なんだそんな話かとコトネは肩を落とす。
「やめときなさい。あのね、あんなの見に行っても、どこの誰だか分からないお偉いさんのお説教を延々と聞かされ続けるだけなのよ」
そう。“式”と名のつくものは大抵そうなのだ。
例えば、一年前に帰国したコトネたちを出迎えるため、帝都の埠頭で開かれた凱旋式とかがその筆頭だ。盛大な出迎えではあったけれど、長い船旅で疲れ切っていたところへ、延々と長話を聞かされては堪らなかった。ミツルなど半ば死にかけていたのだ。
「そんなつまらないものを見に行くよりも、ここで健康的に身体を動かしていたほうがずっと良いわ。そうじゃない?」
昔の記憶を辿りながら、そう言って手をひらひらとさせたコトネへ開拓民たちが一斉に不満そうな声をあげる。
「うるさい! 下らないこと言ってないで、さっさと仕事をする!」
そこへ、彼女のぴしゃりとした声が飛び、少年たちは諦めたように肩を落としてぞろぞろと動き出した。
「あね……延槻中尉は、祝典に呼ばれていないんですか?」
田畑へ向かう開拓民たちの背中を見送っているコトネに、傍らに控えていた軍曹が尋ねた。
「確か、中尉は大戦中、木花大佐の下で」
「私はただの副官ですからね。他のお歴々と違って、戦功を挙げたわけでもなし。裏方はお呼びじゃないってわけよ」
軍曹が言い終わる前に、コトネが拗ねたように答えた。それから、思い出したように苛々とした様子で続ける。
「そう。そもそも私は事務官なのよ。肉体労働は専門じゃないの。だって言うのに、なんでこんなところに。まったく。こんな乙女に、農作業なんて重労働させるなんて。ほんっとにもう、軍隊ってやつは」
ぶつぶつと恨み言を言ってから、彼女は談笑しながら田畑へ向かう開拓民たちの背中へ喝を入れるように大声を出した。
「こら! アンタたち、何をダラダラと歩いているの! もうすぐ収穫期なのよ? 気合い入れなさい!!」
「は、はい!!」
コトネに一喝され、弾かれたように駆けだす男たち。
腕を組み、仁王立ちしながらよろしいと頷いている彼女の勇ましい後姿を見ながら。
「……いやぁ、似合ってますよ。姐さん」
軍曹が、誰にも聞こえない声で呟いた。




