009
「さて。どうなっている?」
衛門付近に立ち並ぶ兵舎や施設の群から少し離れた林の中で、邑楽ミツル大尉は見張りにあたらせていた軍曹の隣に腰を下ろすと尋ねた。
「練兵場の司令部は完全に制圧されたようです」
茂みの中に伏せていた軍曹が、双眼鏡を覗き込んだまま答えた。それを聞いたミツルはふっと息を吐くと、軍曹が見ているのと同じ方向へ目を向ける。
「しかしまぁ、随分と簡単にやられたものだなぁ」
施設群の合間を武装した近衛兵たちが闊歩している様子を眺めながら、彼はやれやれと肩を竦めた。
確かに、練兵場にいるからといって常に兵士たちが武装しているわけではない。平素から武器を携行しているのは、警衛所に詰めている警衛小隊か、武器弾薬庫で歩哨任務に就いている兵くらいのものだ。
加えて、今日は祝賀式典の予行演習に合わせて、訓練の中止が言い渡されていただけに、武装していたのは本当に最低限の人員だけだった。
近衛の指揮官はそうした事情も知っていたのだろうと、ミツルは思った。
事前にソウジから警告を受けていたミツルは、衛門で騒ぎが起こるのと同時に中隊をこの林の中へと逃げ込ませていたが、他の隊はそうもいかなかったらしい。
練兵場内でこれといった抵抗が行われていないことから、恐らく将校だけがどこか別の場所に集められているのだろう。将校から引き離してしまえば、独断で行動することを許されていない兵たちは何もできないから。
帝都の治安維持に当たっている部隊も同じような状況なのだろう。
そうなると、守備隊で唯一残っているまともな戦力は俺の中隊だけということか。
ミツルは林の中で待機させている部下たちへ振り向いた。
幾人か、近くにいた兵たちと目が合う。この事態について、前もってそれとなく伝えていたということもあるが、駐屯地が敵に襲撃されているというのに、誰も気負った気配はない。むしろ、寛いでいるような態度の者ばかりだった。
そりゃそうだろうさ。
ミツルは心の中で微笑んだ。
彼が中隊長を務める帝都守備隊第五中隊は、元587連隊の将兵のみで構成されている。つまり、全員が大戦最大の激戦地から生還してきた古参兵なのだ。この程度のことで戸惑うような繊細さは持ち合わせていない。
前日に、近衛の引き抜きを受けていくらか定数が減っていたとしても、第五中隊の有する戦闘力は未だに、帝都守備隊隷下の全部隊中、最高のはずだった。
ただし。その戦闘力の一翼を担う重要な人物が一人、この場所にはいなかった。
「ところで。あの馬鹿はどうしているんだ?」
嫌なことを思い出したように、ミツルは再び軍曹に尋ねた。
「ええと、あの……」
その質問に軍曹は言い淀んでいた。
「どうした、須磨」
さっさと答えろとばかりに、ミツルは苛ついた声を出す。今さら、“馬鹿”というのが誰の事を指すのか分からないほど、浅い付き合いではないだろうと言いたげだった。
それを受けて、須磨と呼ばれた、ひょろりとした面長の軍曹は、双眼鏡を介して自分が目にしている現実について、何処までも自信のなさそうな声で報告した。
「ええと、それがですね……どうやら、あの。近衛兵たちに訓練を付けているように見えるのですが……」
「訓練……?」
部下の報告に、ミツルは愕然とした声を漏らした。
「ご自身の目で確認してみますか?」
思考を放り投げるような態度で、須磨は双眼鏡をミツルに差し出した。
ミツルは営庭のある方向へ向けて、それを覗き込んだ。一列に並んだ近衛兵たちの前で、コウが何か、朗々と声を張り上げているらしい光景が網膜に飛び込んでくる。
意味が分からなかった。
普段から何を考えているのか分からない男ではあるが、ここまで来ると理解の範疇を越えている。
そもそもアイツ、ソウジからの頼みを一緒に聞いていたはずじゃなかったか。まさか、もう忘れたのか。
サクヤの事は任せておけと自信満々に言っておいて、真っ先に自分がとっ捕まってどうする。何を考えているんだ。いや、何も考えていないのか。
「あー……また、別の近衛兵が引き込まれてますね。ありゃ駄目だ。あの調子だと、ここへ来た連中は全員、大尉殿にとっ捕まりますよ」
渋い顔をしたミツルに無言で返された双眼鏡を覗き込みながら、須磨が報告を続けていた。コウの訓練の厳しさを、身をもって知っているせいか、その声には近衛兵たちを笑えばいいのか、憐れめばいいのか迷っているような響きがある。
「あっちの将校は何をしているんだ」
勝手に兵隊を訓練し始めたコウへ何の抗議もないのか。敵ながら情けないと、誰に対するものなのか分からない怒りと共にミツルが訊いた。
「一応、止めようとはしておられるようですが……今のところ、全員が叩き返されていますね」
元々、須磨はコウの引き起こす事態について、自然災害と同じように捉えている。彼は納得と理解の両方を投げ捨てた声で答えた。
「もういい。放っておこう。アイツのことだから、死にはしないだろ」
しばらく計画の変更に頭を悩ませていたミツルが、やがて諦めたように言った。
考えてみれば、状況はそれほど悪くはない。コウが散々、敵の目を引き付けているおかげで、むしろこちらとしては動きやすい。
「須磨軍曹。銃は持ってきておるだろうな?」
「今月の武器掛は同期ですから」
彼の質問に須磨はにやりと応じた。
「中隊全員分の小銃は確保してあります。と言っても、銃弾はさほど。一人当たり、三十発といったところです」
ミツルは頷いた。
「須磨軍曹。中隊から、特に信頼できるものを五名ほど選んで、敵に見つからないように練兵場から脱出しろ」
「はい」
ミツルの命令に、須磨は当然にように応じた。
衛門は未だ、近衛に押さえられているだろうが、何もここから出る道は一つではない。幸いないことに、彼ら第五中隊の将兵はこの練兵場の地理を知り尽くしていた。
「目標は? 参謀本部ですか?」
確かめるように訊いた須磨へ、今度はミツルがにやりとする番だった。
「お前らには、あの馬鹿が泣いて悔しがるような大役を任せてやる。参謀総長殿をお救いするよりもやりがいがあるぞ、きっと」




