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桜花舞う!!  作者: 高嶺の悪魔
第二章 夏(後) 近衛叛乱
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008

 近衛が参謀本部を制圧し、サクヤが近衛兵たちに銃口を突きつけられるよりも少し前。

 その日の相霞台練兵場は酷く静かだった。

 すでに起床ラッパは吹き鳴らされた後だというのに、営庭には訓練に励む兵たちの掛け声も、下士官たちの張り上げる叱咤激励の大音声も響いていない。早朝の、未だ夏の熱気に蒸されていない涼やかな風だけが、静かに演習場の青草を揺らしている。

 そんな、誰もいない営庭の中心に、榛名コウ大尉が不貞腐れた顔で寝ころんでいた。

 彼の周囲には誰の姿もない。

 常に彼の傍らに付き従っている相棒ともいうべき瀬尾曹長の姿もなかった。

 瀬尾は数日前、近衛への転属辞令を受け取り、ここを去っていた。彼だけではない。

 コウの所属する帝都守備隊第五中隊からは、少なくない人数が近衛へと引き抜かれていた。

 激戦を潜り抜けたわけでもないのに、たった数日で随分と寂しくなってしまった中隊の面々を励ますつもりで、コウはこれまで以上に訓練に熱を入れていたのだが、この日は祝賀式典の予行演習があるため、それすらも禁止されている。

 今、中隊には待機が命じられていた。

 待機。

 それはこの男が最も嫌いな言葉でもある。

 能動的な人間の極地にいるような男なのだ。ただ待てと言われて待てるような男ではない。

 どうせ何もしないのならば、何処にいても同じだろうとこうして、彼は一人隊舎を抜け出してきていたのだった。

 そうした理由から、今日のコウは鬱憤の塊であった。


 地べたに寝ころんだまま、コウが忌々しげに鼻を唸らせたときだった。

 彼の背後、ちょうど衛門のある方向から誰かの怒鳴り声が響いた。

 どうやら、何者かを制止させようとしているらしい。止まれ、止まれと叫んでいるのが聞こえる。

 コウはさして興味もなさそうな表情を浮かべながら、首だけを振り向かせて騒ぎの起こっている方向へ目を向けた。今日の警衛司令の当直は誰だったかなと、憶えてもいない勤務表を思い出そうとする。

そこへ。

 制止の声に応じるように、一発の銃声が早朝の空に木霊した。悲鳴があがり、追い打ちをかけるように怒鳴り声が続く。

 コウはもう一度、背後を振り返った。

 衛門と営庭を挟むように建ち並ぶ兵舎の間から、漆黒の軍装に身を固めた一団がやってくるのが見えた。

 それを見てなお。彼は寝ころんだまま、起き上がろうともしなかった。


 練兵場に入り込んだ近衛兵たちは、すぐにコウを発見した。

 発見したというか、広い営庭の真ん中に寝転んでいる男がいれば嫌でも目に入る。

訝しげな表情を浮かべながらコウに近づいた近衛兵たちは、彼が将校であることに気付き、さらに怪しむように顔を見合わせた。

「あー、大尉殿、失礼ですが……」

 装具をがちゃつかせながらやってきた兵の一人が、地べたに寝転んだままむっつりと瞑目しているコウへ、恐る恐ると声を掛ける。

「なんだぁ、てめえら? 近衛がいったい、何をしに来やがった」

 口を開いた兵をねめつけるように睨みながら、開口一番彼はそう言った。

「いえ、あの……」

 その質問に、兵は戸惑ったように口をもごもごさせた。

 それはそうだろう。「何をしているのか」と聞きたいのはむしろ、彼らのほうだった。

 不機嫌そうに自分たちを睨む謎の大尉に、近衛兵たちが対応しかねているところへ、一人の近衛将校が近寄ってきた。

「どうした、諸君」

 やけに気取った声の中尉だった。兵の一人がコウへ視線を送りつつ、彼に何事かを耳打ちする。納得とは程遠い表情で中尉は頷くと、地べたに転がっているコウへ近づいた。

「失礼します、大尉殿。自分は近衛第7中隊の古賀中尉であります」

 やはり、気取った声と仕草で彼はそう名乗った。それから、足元に寝転んでいるコウをしげしげと眺めてから。

「あー、大尉殿はいったい、ここで何を?」

 彼はこの場にいる全員が抱く疑問を口にした。

「見て分からんのか。命令あるまで待機しておるのだ」

 コウはにべもない口調で、彼に答えた。

「は、はぁ……」

 恐らく、山のように疑問は残っているだろう。命令あるまで待機していることまでは分かったが、それで何故、営庭の、地べたに寝転んでいるのかがまず分からない。

しかし、古賀はその疑問をとりあえず棚上げすることにした。咳払いをしてから、再び気取ったような笑みを口元に浮かべて口を開く。

「そういうことでしたら、大尉殿。残念ですが命令は出ないでしょう。すでに。この練兵場の本部は我々が制圧致しました」

 そして、優越感のようなものが滲む声音で続けた。

「我ら近衛は今日、御国を救済すべく蹶起を断行しました。汚職に塗れた帝国議会を一掃し、帝主陛下御新政の世を復活させ、栄えある帝国の再興を――」

「つまりなんだ。何が言いたい。分かりやすく言え、馬鹿野郎」

 罵るようなコウの声が彼を遮った。それに一瞬、古賀は頬を痙攣させた。しかし、すぐに取り繕ったような笑みがその顔に浮かぶ。

「ええ、つまりですね……」

 答えつつ、彼は右腕を掲げた。近衛兵たちがそれを見て、一斉に銃を構えた。

「我々に従わない場合は、実力をもって貴方を拘束させていただくと言いたいのです。まぁ、大人しくしておられれば――」

 彼は最後まで言えなかった。


「なんだ貴様ら、その銃の構え方は!! そんなへっぴり腰で弾が当たるか、馬鹿もん! それでも近衛か、貴様らはっ!!」


 銃を構えている兵たちを見た途端、コウが激高したように怒声を張り上げて立ち上がったからだった。

「――え」

 一拍置いて、なぜ彼が怒鳴ったのか理解の追いつかない古賀の口からそんな声が漏れる。

 コウはそんな彼に見向きもせず、ずんずんとした足取りで兵たちに近づくとその一人の前に立った。

「おいこら、貴様。今どこを狙っていた? あっちの山に兎でも見えたのか? あん? もっと脇を締めろ。反動で銃口がぶれるぞ。頬を銃床に押し当てて、照星を標的に据えろ。足開け、馬鹿野郎!!」

 口汚く罵倒しながら正しい射撃姿勢を教えても、すっかり怯えた様子の兵は言う通りにできない。コウは舌打ちすると、彼の握っている銃の銃口を引っ掴んだ。

「いいか、こら。人を狙う時はな、ここを狙うんだよ、ここを!」

 兵を怒鳴りつけ、彼は掴んだ銃口を自分の左胸に押し付けた。

兵の方はもはや泣きだしそうだった。助けを求めるように、その視線が古賀へ向けられる。

それに、呆気に取られて固まっていた古賀はようやく自らの役割を思い出したようだった。

「大尉殿、現在の、御自身の立場というものを理解できてい」

「あぁん?」

 またしても、彼は最後まで言えなかった。

 過剰な自尊心だけで裏打ちされた彼の将校らしさは、殺意に漲るコウの一睨みであっけなく叩き潰されてしまった。

 古くから続く名家の出であり、少尉任官以前から近衛への配属が決まっていた彼はただの一度も実戦経験が無い。生まれて初めて向けられることになった本物の殺意を前に、彼はあっさりと敗北してしまった。

 そして、それは決定的な敗北であった。

 近衛兵たちが、失望したような目で古賀を見つめていた。

 兵たちが彼よりも、コウを上級者として認めてしまった瞬間だった。

 部下からの尊敬を失った指揮官など、もはや指揮官足りえない。

 もはや、近衛兵は二度と彼の命令を聞かないだろう。


「なんと情けない。これが帝主陛下の御身をお守りする近衛の精兵。その実情とは」

 コウは動けなくなった古賀を無視して、近衛兵たちを見回すと嘆くように口を開いた。

「だが、よろしい。仕方がない。ここは陛下の御為、この俺様自ら貴様らを再教育して差し上げよう」

 不敵なことこの上ない笑みを浮かべながら、彼は両腕を大きく広げると言った。

「いいか、貴様ら。貴様らが今日、この営庭を出て行く頃には。貴様らはこの俺様を見事に銃殺した、立派な近衛兵となっているのだ」

 剣呑そのものの宣告とともに、百戦錬磨の兵たちが鬼と恐れる曹長ですら縮み上がる、閻魔による地獄の再教育が始まった。



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