022
「おい、ソウジ。近衛だの、蹶起だのは置いておくとしても、もう一つの話はどうしようもないってことはないだろ。587連隊の兵隊を寄こせって言われてるんだろ? 黙ってていいのか」
中隊の隊舎襲撃を諦めたコウは、無言で酒を舐めていたソウジへ向きなおると言った。
「黙るわけではない」
ソウジは茶碗をちゃぶ台の上に戻すと、反論するように口を開いた。
「少なくとも、五百名全員を連隊の生き残りだけで差し出すつもりはない……ない、が」
「半数、少なくとも二百くらいは取られるか」
彼の言葉を引き継いだのはミツルだった。ソウジはむっつりとした顔でそれに頷いた。
「まぁ。それぐらいが限度だろう。それよりも少なければ、守備隊の戦力を維持するためという言い訳が通じなくなるだろうし、下手に連中の気に障るような真似をすれば、幕僚長から降ろされるかもしれないからな……」
「それは困るな」
中隊の運営について、自分たちがある程度自由にできている理由を知っているミツルが呟いた。
「それに最悪、木花の監督権を剥奪されるかもしれない」
「それはむしろ、そうなれ」
暗に、連隊よりもサクヤの方が大切だと言ったソウジに対して、まったく同じ価値観を持つコウが切り返した。
「馬鹿か、お前は」
ミツルが呆れたように息を吐いた。
「ソウジ以外の誰かが、サクヤの監督者になってみろ。何をさせられるか分かったもんじゃないぞ」
そもそも。大戦の英雄と呼ばれるサクヤが、今のところは落ち着いた生活を送れている一番の理由がそれなのだ。ソウジが監督者として、自らの身を堤防にしているからこそ、彼女は軍と議会の玩具にされることなく済んでいる。本来であれば、木花サクヤという少女は現在の帝国において、政治的にもっとも利用価値のある存在なのだから。
「……どういうことだ?」
そして当然、コウがそんなことを理解できるわけもないのだが。
「そうだな……たとえば、そこいらのぼんくら貴族と婚約でもさせられるとか」
これでも最悪とは程遠いのだがと思いつつ、コウにも分かりやすい例を挙げたミツルへ、彼は顔面を鬼の形相に変えると言った。
「駄目だ。絶対に駄目だ。ソウジ、絶対に監督権を手放すなよ。それか、俺に寄こせ」
「ちゃっかり自分の願望を混ぜるな」
「二百人は諦めよう。いや、五百人くれてやってもいい」
ソウジとは違って、コウは何処までも単純な世界に生きている。彼はあっさりと天秤をサクヤへ傾けると言った。
「お前はどれだけ馬鹿なんだ……」
ミツルは何かを諦めるように息を吐いた。
「はぁ?」
理由は分からないが、二度も続けて馬鹿にされたことだけは分かるコウが低い声で唸る。
「なんでソウジが俺たちのところへ来たのか、分かってないのか」
彼の剣呑な視線を気にすることもなく、ミツルは訊いた。
「愚痴を言いに来たんだろ?」
「馬鹿野郎、もっとよく考えろ」
首を捻りながら答えたコウへ、彼はこめかみに手を当てながら言った。
「いいか。俺たちの第五中隊は、守備隊の中で唯一、元587連隊の将兵だけで編成されている」
「そうだな」
説明するように口を開いたミツルへ、当たり前だろとコウが頷いた。そこへ、ミツルは確信めいた声で続けた。
「つまりだ。俺たちの中隊から優先的に人員が引き抜かれるだろうってことだよ。それも、優秀なヤツからな。お前の相棒なんて特に」
最後の一言を聞いて、コウの顔色が変わった。それまで他人事のように聞いていた話を、ようやく真剣に考えだしたようだった。
「それに。もう一つ問題もある」
コウが黙り込んだところへ、ソウジが少し酔いの回り始めている声で言った。
「数日前に、木花がここへ来ただろう」
彼の問いかけに、二人は同時に頷いた。
「その時、兵どもが木花に向かって、連隊長のご帰還を待っているだのと言ったらしいな」
「ああ。言ってたな」
それがどうかしたかと頷いているコウの横で、ミツルはしまったと顔を顰めていた。
「まさか、もうそこまで話が広まっているのか」
苦渋に染まる声で尋ねたミツルへ、ソウジは力なく頷いた。
「ああ。迂闊だったな、邑楽大尉。第二連隊の連隊長が、随分と深刻そうな顔で守備隊総司令官殿と話し込んでおられたよ」
帝都守備隊総司令官とは即ち、参謀総長のことだ。
そして、三個連隊を隷下に納める帝都守備隊で大隊長以上の地位にある者たちはみな、元参謀本部付き、つまり参謀総長子飼いの部下たちだった。
「思うに、近衛へ兵を送るという話をしている時。あの狸ジジイは内心で小躍りしていたんじゃないか。近衛へ兵をくれてやるのは癪に障るが、同時にこれは守備隊に対する木花の影響力を削ぐ機会でもあるからな。都合のいいことに、あちらも木花の下にいた兵隊を御所望だ。近衛に送るのは、態度成績の良いものから順に選べばよいなどと、俺に言ってくるくらいだからな」
吐き出すように言ったソウジの言葉を聞いて、ミツルは項垂れた。
サクヤに、兵たちへ顔を見せに来て欲しいと言ったのは彼だった。その責任を感じていた。
「少し、軽率だったか」
後悔するように彼は呻いた。
何よりも、この結果をサクヤが知った時。彼女がどんな気持ちになるだろうかと思うと胸が痛んだ。




