021
「はぁ……近衛がねぇ」
突然、練兵場へ押しかけてきたソウジを自室へと案内したミツルは、彼の話を聞いてふぅんと息を吐いた。
そこは相霞台練兵場の敷地内にある将校用の官舎の一室だ。
将校は本来、営外居住が原則とされているが、今の帝国陸軍ではサクヤのように勤務地の外で部屋を借りている者などほとんどいなかった。そもそも、今の帝都では貸し出している物件など少ない上、佐官ならばともかく大尉と言えど尉官の俸給で家を買うなど夢のまた夢であるからだった。
結果、守備隊に所属する将校の多くはこの練兵場内に建てられた官舎で寝泊まりしている。その方が安上がりだし、何より彼らの多くは軍務以外にやることもなかった。
「そりゃまぁ、剣呑な話ではあるけれど……まさか、帝国陸軍中将ともあろう君が、わざわざそんな愚痴を聞かせるためだけに、酒瓶引っ提げてここまで来たのかい?」
聞かされた内容よりもむしろ、ちゃぶ台の上に置かれた一升瓶とその向こうに座るソウジに呆れつつ、ミツルは言った。訪れた際、ソウジが私用だと言ったので彼に対する口調は平素のそれだった。
「たまにはいいだろう、こういうのも。それにどうせ、明日は非番だ」
ま、それでも駆り出されるだろうけどなと呟きながら、ソウジは酒瓶を掴んだ。ミツルがとりあえず用意した茶碗に音を立てて酒を注ぐ。
俺は明日も仕事なんだがなぁと思いつつ、ミツルは自分の前に置いた湯呑が酒で満たされてゆくのを見つめていた。
「それで、お前はどうするつもりなんだ」
酒を抱えてやってきたソウジを目敏く見つけて、この部屋へ押しかけてきたコウが彼から酒瓶をひったくりながら訊いた。こちらもミツルが用意してやった深めの皿に酒を並々と注ぎ、それを嬉しそうに啜っている。
「どうもこうこ、どうにもできない」
コウの質問に、ソウジは悔しそうな声で答えた。茶碗を持ちあげ、中身を一気に干す。酒精交じりの息を吐きだしながら、茶碗をちゃぶ台に叩きつけるように置いた。
「お、いける口だな」
彼の飲みっぷりに、コウは楽しそうな声を出すとすぐに次の酒を注いでやった。それから、自分の一息に酒を呷る。満足そうな吐息を吐き出しつつ、手にしたままだった酒瓶を皿に傾けた。自分が持ってきた酒でもなければ、部屋を提供しているわけでもないのに、なぜか一番遠慮が無い。
「おい、飲み過ぎるなよ二人とも。特にソウジ。君をここから帝都まで引きずっていくことになるのだけは勘弁してくれよ」
調子よく杯を干してゆく二人に、ミツルが咎めるような声を出した。彼は元々、酒がそれほど好きではない上に、ソウジの持ってきたのが辛口だったため、まだ一口も口を付けていなかった。
そんな彼を無視するように、コウが口を開く。
「おい、酒だけってのも口寂しいぞ。なにか摘まめるもんは無いのか」
「無いよ。男の一人暮らしだぞ。自炊なんてしていると思うか?」
彼へじとりとした視線を向けつつ、ミツルは答えた。では何故、茶碗などの食器を用意できたかと聞かれれば、ここでの生活を始める際、妙に張り切って一式揃えたからだった。もちろん、無駄になったわけだが。
「ちっ……それじゃあ、中隊の隊舎へひとっ走りして何か巻きあげてくるか」
「やめろ、馬鹿。毎日、散々虐めてんだから勤務時間ぐらい放っておいてやれ」
立ち上がろうとしたコウをミツルが叱った。彼の声が割と本気だったため、コウは渋々といった顔で腰を落とした。
新たな一杯を注いでいる彼を横目に、なによりも今ごろ兵たちはコウの悪口で盛り上がっているだろうしな、とは言わないミツルだった。




