012
数々の旧家、名家の邸宅が建ち並ぶ東宮通りに店を構える料亭、“天禄庵”。
かつて名のあった武家の上屋敷をそのまま店舗として使用したそこは、第二の議事堂とすら称される、帝都を代表する料亭である。
庭の池にスイレンが涼しげに咲くその日。店で最も大きな広間には、漆黒の軍正装で身を固めた一団が集まっていた。
数はおよそ、三十名ほどだろうか。縦長の広間を分断するように、三つ繋げて置かれた長卓を挟んで座っているのは少尉から大尉までの、尉官級の将校たちであった。
「よろしい。これで全員か?」
最後にやってきた少尉が静かに襖を閉じたところで、上座に座っていた近衛大尉が芝居じみた厳かさとともに口を開いた。
女性受けの良さそうな、ほっそりとした面立ちの男だった。
彼の言葉に、広間にいた将校たちが互いの顔を見合わせ、やがて首肯するように頷く。
それを見た近衛大尉、真辺センイチは得意そうな笑みを満面に浮かべると、やはり芝居がかった仕草で頷きを返した。
「では、さっそく本題に入るとしよう。本日、諸君に集まってもらったのは他でもない……」
「その前に」
彼を遮る声があった。声の主は、真辺の横に座っていた白刃を思わせる目つきの大尉であった。
「この場に集まった者がみな、真実、我々と志を同じくしている同志であるのか。その覚悟があるのか。それを確認したい」
大尉は場を見渡しつつ、その目つきを裏切らない声で言った。
「それは構わないが、どうするのだ?」
鋭い視線を向けられた少尉たちが居心地悪そうに身を揺すっている中で、上座に並んだ真辺と彼の真正面に座っていた、丸眼鏡の男が聞き返した。着ている軍服はよれよれになっているが、その襟元には彼らと同じ、大尉の階級章が光っている。
「これに署名してもらう」
答えたのは真辺だった。
彼はにんまりとしながら、懐から一枚の紙を取り出して長卓の上に置いた。近くにいた者たちが、卓の上の身を乗り出すようにしてそれを覗き込む。
ほとんどが白紙のそこには、円で囲んだ中央に“憂国同志一同”とだけ書かれている。
「連判状か」
それを見た丸眼鏡の大尉が納得したように言った。
「その通り」
真辺は頷くと、集まっている面々を見回した。
「この場に集まっている全員に、ここへ名を書いてもらう」
彼の一言に、何人かの顔が強張った。
「無論、この連判状は俺が厳重に保管する。計画が成功するよりも前に、誰かの目に入ることは決してない。異論はあるか?」
動揺を見せた者たちへ、真辺は脅すような声を出した。彼に睨まれた少尉、中尉たちが慌てたように首を振る。
「よろしい」
彼は尊大な笑みを浮かべると、さらに言葉を続けた。
「なお、この連判状は義挙の際、帝主陛下へ直接お渡しする。下手な字を書くなよ」
真辺の一言に、先ほどとは違った意味のどよめきが起こる。
「ほら、まずは言い出したお前からだ。砂霧」
彼らの反応をひとしきり楽しんだ真辺は、卓上に置いた連判状を隣にいた鋭い目つきの大尉へと手渡した。砂霧と呼ばれた彼は、淀みの無い筆で自らの名をそこに書きこんだ。
「次は君に書いてもらいたい、泰原大尉」
そう言って、砂霧は目の前に座っている丸眼鏡の大尉へと紙を差し出した。連判状を受け取ろうと伸ばされた大尉の手が一瞬、躊躇うように動きを止める。
「泰原」
砂霧はもう一度、彼の名を呼んだ。その声は急かすようなものでも、脅すようなものでもなく、どこか懇願するような響きがあった。
「おい、泰原。どうしたお前。まさか、ここまで来て怖気づいたのか?」
その横から、真辺が嘲るような声で口を挟んだ。彼は草臥れた軍服姿の泰原へ見下すような目を送りつつ言った。
「それなら、それでいいさ。別にお前なしでも……」
「真辺」
そこへ、砂霧がきつい声を出した。黙り込んだ真辺を無視して、彼は泰原に向き直る。
「泰原、強制はしない。だが……」
「分かっている」
砂霧の言葉を最後まで聞かずに、泰原は連判状を掴んだ。達筆とは程遠い、崩れた文字で自分の名を書きこむ。それを見た真辺が、小馬鹿にしたように鼻を鳴らしていた。
彼が連判状への署名を終えると周囲から歓声のような小声が漏れた。
「……次は?」
そうした反応に顔を歪めながら、泰原は広間にいる者たちへ振り返った。
「自分にさせてください」
真っ先に申し出たのは、真辺とすでに署名を終えた二人を除けばこの場で唯一の大尉だった。実直そうな顔をした青年で、真辺たち三人を見る瞳には憧憬のような光が宿っている。
「分かった。君だ、磯崎大尉」
泰原は何か耐えがたいもののように彼の視線から逃れながら、連判状を手渡した。磯崎大尉が署名を終えると、残っていた中尉、少尉たちも次々にそこへ名前を書きこんだ。
「よし。これでいいな、砂霧?」
手元に戻ってきた連判状に全員分の署名があることを確認した真辺は、満足そうな声で砂霧へ尋ねた。砂霧は真剣な表情のまま頷いた。
「では、共に国を憂い、国家改革を目指す同憂、同志諸君!」
真辺は大仰な仕草とともに立ち上がると言った。
「遂に時は来た! 今こそ、我ら近衛が国を救うために起つ時だ!」




