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桜花舞う!!  作者: 高嶺の悪魔
第二章 夏(前) 恋する連隊
57/205

002

 真夏の到来を目前にして、久しぶりに丸一日の休暇を与えられたサクヤは珍しく朝早くから起き出すと、帝都西宮通りの一角でひっそりと営業を続ける喫茶店、琥翠堂へやって来ていた。


「祝賀式典?」

 いつも通りに注文を終えたサクヤは、女給仕のミヤコから聞かされた言葉を不思議そうに反芻した。

「ご存じありませんでしたか? 街は今、その話題で持ち切りですけど……」

 いま初めて耳にしたというその反応に、ミヤコは少し驚いたようだった。

「なんでも、一月後の八月中旬に、戦勝と今上帝主陛下のご即位二周年を記念した、盛大な祝典を執り行うんだそうです」

 彼女は持ってきた盆をサクヤの前に置き、砂時計をひっくり返しながら答えた。それから、いそいそと椅子に座っているサクヤの背後へと回る。「失礼しますねー」と言って、慣れた手つきで頭の両側で結われている髪の毛を解くと、いつの間にやら手にしていた家族の形見だという、あの木櫛で梳かし始めた。

「私、こういうお祭りって初めてなんです」

 本当に楽しみなのだろう。髪を梳かしながら言ったミヤコの口調は弾んでいた。

「そっか」

 櫛が髪の間を滑ってゆく心地よさと、彼女の楽しそうな様子に、サクヤも思わず口元を綻ばせながら相槌を打った。


 春頃、昔馴染みとの食事会へ向かうサクヤの髪を梳かしたがよほど気に入ったのか。以来、ミヤコは彼女が店に訪れるたびに、こうして髪を結いなおしてくれている。

 最初は遠慮していたサクヤだったが、断るとむしろミヤコのほうが悲しそうな顔をするので断りづらく、自分でやるよりも綺麗に仕上がるのだから、文句のつけようもない。そうこうしている内に、今では紅茶が出来上がるのを待つ間の過ごし方としてすっかり定着してしまっていた。


「それになんと。祝典には、帝主陛下御自身が直々にご参列なさるとか」

「陛下が?」

 さっさっと、サクヤの髪を櫛で梳きながら、ミヤコが興奮した様子で言った。

「陛下が?」

「そうなんですよぅ!」

 驚いた声で返したサクヤに、彼女は嬉しそうに身体を前のめりにした。立ち位置的に、胸を押し付けるような格好のまま、夢見るように続ける。

「これまで、一度もお姿をお見せになることの無かった陛下がですよ! まさか、私たちのような下々の前に出てこられるなんて……きっと、私が陛下のご尊顔を拝する機会なんて、これが今生最後になるんでしょうね……」

 無条件の敬意に満ちたミヤコの声を聞きながら、サクヤはふぅんと考えた。


 彼女の言ったように、二年前に即位したという新帝主は未だ、国民の前に姿を見せたことが無い。その理由については様々な憶測が飛び交っているが、巷に流れている噂を信じるのであれば、新帝主が未だ、幼齢であるからとされていた。

 今上帝は、十四歳の少年であるという。

 戦時中、この国の帝族は“万民に範を示す”という君臨者の血筋としての責務を全うするために、自ら兵を率いて出陣し、そしてほとんどが還らぬ者となった。老齢であった先帝が大戦の終結を見届けて崩御すると、後に残った帝位継承権を持つ男子が、その少年しかいなかったからだ。

 そこで議会が、少年帝が帝国の統治者として相応しい教養と品格を身に付けるまでの間、国民の前から姿を隠しているのだ。というのが、その噂の内容だった。

無論、噂に過ぎないため真偽のほどは定かではない。だが実際、新帝が幼齢であるため即位の儀はささやかに執り行ったと議会は発表している。その後、新帝に関して何らの音沙汰もなく、姿も見せず、一部国民の中には、少年帝の実在を疑問視する者まで現れるのだから、そうした風聞が流布しても仕方ないのかもしれない。


その少年帝が、遂に国民の前に姿を現す。

なるほど。帝都臣民の期待は嫌が応にも高まるわけねと、サクヤは納得したように息を吐いた。

「大佐さんは、陛下に直接お会いしたことがありますか?」

 そんな彼女へ、ミヤコが期待に満ちた声で尋ねた。

「私? いいえ、私もないわ」

「そうなんですか……」

 サクヤが正直に答えると、ミヤコはどことなく残念そうだった。

少し気落ちしているようなその声に、いったいこの子は私をどんな大人物だと思っているのかしらとサクヤは苦笑した。

大戦を終わらせた英雄などと呼ばれてはいても、サクヤは所詮、ただの大佐。連隊長に過ぎなかった。親任官である陸海軍の大将か、或いは親補職である師団長以上ならばいざ知らず、一介の連隊長如きが帝国陸海軍の統帥者である帝主と対面する機会など、よほどのことが無ければあり得ないのだ。

「あ。でも、もちろん、祝典には大佐さんもご参列なさるんですよね?」

そんなことを考えているサクヤへ、再び元気を取り戻したらしいミヤコが弾んだ声で訊いた。

「うーん……どうかしら?」

 それに、サクヤは困ったように応じた。

「まだ、そんな辞令は出ていないけれど」

 そもそも、そんな辞令が出るとも思えないけれど。

 考えつつ、話している間にすっかり砂時計の砂が落ちきっていることに気付いたサクヤは茶瓶から洋碗カップへと紅茶を注いだ。ちょうど、髪も結い終わったところだった。

 湯気の立つ洋碗を両手で抱えるように持ち上げて、ふうふうと息を吹きかけて冷ましながら、考えるように答える。

「辞令が出れば、まぁ」

 あまり気乗りしない様子で答えたサクヤだったが、それを聞いた途端にミヤコは「うわぁ」と嬉しそうな声をあげた。

「私、絶対に見に行きますからね! 大佐さんのご雄姿を!」

「あ、ありがとう……」

 両手を握りしめ、決意するように言った彼女へ、雄姿を見に来ると言われてもなぁとサクヤは思った。

 今のサクヤは士官学校の教官に過ぎず、率いる部下も、指揮する部隊もない。祝典に参加することになっても、祝賀御列、参加する部隊の行進に加わることはおろか、先頭に立つなどということもないだろう。

 というよりも、そもそも士官学校の教官風情が祝典に呼ばれることなんて……。

と、そこまで考えたところで。ミヤコが期待に満ちた瞳で自分を見つめていることに気付く。

「あ、あの……本当に参加するかどうかは分からないからね? その、あんまり、期待しないでね?」

「わっかりました!」

 予防線を張るように言ったサクヤへ、彼女は万事了解とばかりに胸を叩いた。

 それにサクヤは苦い笑みを浮かべてから、はぁと小さく溜息を漏らした。


「そう言えば、本日はどこかへお出かけですか?」

 髪を結ってくれたお礼を言い、紅茶の代金に幾らかの心付けを加えて会計を済ませたサクヤに、ミヤコが思い出しように尋ねた。いつもならば、昼過ぎにやって来て夕方までぼんやりとしている彼女が、突然朝早くにやってきたからだろう。

「ええ。ちょっとね」

 彼女の質問に、サクヤは微笑みながら答えた。

「昔の、仲間たちのところへ」


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