第五十一話
帝都中心に鎮座する帝宮から西宮通りへ出て、帝国議事堂の建つ通りから一つ北へ入った先。街の一区画を与えられた陸軍省の敷地でも、最も帝宮に近い場所に聳える飾り気のない、白く堅牢な練石造りの建物こそが、帝国陸軍の軍令を統括する参謀本部である。
視察任務を終えて数日後。御代ソウジはその報告のため、彼にとって軍で唯一の上官にあたる者の部屋を訪ねていた。
「――以上が、第1151開拓村の視察に関するご報告となります」
口頭での報告を終えたソウジが書面から顔を上げると、そこには恰幅の良い老人が来客用の長椅子に腰を沈ませながら、葉巻を吹かしていた。
「そうか」
帝国陸軍参謀総長、荒笠マレミツ大将はたっぷりと蓄えた口髭の下から、もうもうと紫煙を吐き出しながら答えた。齢七十を超えているにも関わらず、皺ひとつ刻まれていない丸顔には、なにもかもを放り投げたような表情を浮かべている。
「なるほど。開拓については当初目標面積の二倍か。随分と手際よくやっておるようだな。現地の開拓部隊指揮官は」
「はい。すでに半分以上の田畑で歯作付けも終えており、夏には稲作も始められるそうです。今秋には、昨年以上の収穫高が期待できるかと」
書類を確認しなおすふりをして、マレミツから立ち上る紫煙が寄ってこない位置へ移動しつつソウジは頷いた。老大将はそれに、ふぅんとどうでも良さそうに唸っていた。
「それよりもだ」
彼は提出された報告書の中から一枚を抜き出すと、長椅子の前に置かれていた机に叩きつけた。
「木花少佐からの報告書。これはなんだ?」
「ええ、それはその……」
苛立った声を出した上官へ、ソウジは内心で苦笑しつつ応じた。
「彼女は元々、こういった事務方の仕事が苦手でして……」
サクヤからの報告書は、任務の翌日にはソウジの下へ届けられていた。
彼女にしてはやけに早いなと思いつつ、その文面に目を通した時に流石の彼も呆れ返った。報告書はほとんど白紙だったからだ。そこには、ただ一言。
「“特に問題はないと思われます”……? ふざけておるのか、あの小娘は。軍の命令とは如何なるものかを、まるで理解しておらんようだな」
唸るように文面を読み上げたマレミツは、苛々とした調子で机を小突く。
「小娘には、作戦家としての軍事的見地から、あの村の戦術的脆弱性を指摘し、攻略の際に最適と思われる手順を明確化してもらいたかったというのに」
「……なぜ、そのような必要が?」
怒気とともにそう吐き出したマレミツへ、ソウジは自分でも冷めきっていることが分かる声で聞き返した。
「万が一、あの村にいる連中が馬鹿げたことを思いついたとしても、それを利用して反攻の意思を挫くためにだ」
老大将は白々しい声で言い放った。
「だとすれば、彼女はその任務を完璧に果たしたかと」
ソウジは機械的な発音でそう答えた。マレミツはわけが分からんと言いたげに、眉間に皺を寄せて彼を睨んだ。
そりゃあ、そうだろうな。
ソウジは漏れそうになる溜息を辛うじて堪えながら思った。
そもそも。その程度の意図も読めないほどサクヤは馬鹿ではない。すべてを承知した上で出した答えが、“特に問題はないと思われます”の一言だったのだろう。
そう言えば。
戦乱の欧州を平定し、一つに纏め上げた稀代の天才的軍事指導者である欧州皇帝が直率する欧州第一軍と、たった一つの連隊で渡り合わねばならなくなった時も。彼女は同じ台詞を言っていたなと、ソウジは思い出した。
もちろん。それを目の前の老人に教えてやるつもりはさらさら無い。
「それにしても、君も君だな。御代次長」
しばらく、ソウジを忌々しげに睨みつけていたマレミツが思い出したように別の報告書を取り上げると言った。今度は、ソウジの書いた報告書だった。
「当該開拓村で行われている幾つかの事柄について、帝国の現行法を一部逸脱している可能性はあるが……だと? ふん。逸脱でも可能性でもない。明らかに違反しているではないか。未成年の住民に対する監督者の不在。議会の承認無き教育施設の運営。加えて、この開拓村では生産物の一部を帝都へ納めず、現地で消費している疑いまで出てきておる」
「そうなのですか?」
最後の言葉を聞いたソウジは、白々しく尋ね返した。驚いたように両眉を持ち上げているその顔の裏では、流石に気付かれたかと思っている。
出来るだけ、ぼかして書いたつもりだったのだが。
そう。あの開拓村で開業していた店の品揃えを少し見れば、マレミツの指摘は間違いようのない事実だった。七倉ヤトは店で使う食材は山から採ってきていると説明していた。確かに、それは一部真実なのだろう。だが、ならばあの草餅に使われていた麦粉と、それを原料にして作ったという水飴がどこから手に入っているのかに説明がつかない。
まさか、山に麦が自生しているわけでもあるまいに。
そして、今回、彼らに与えられた任務内容から言えば、こちらの方が問題だった。
各地の開拓村で生産された農作物は一旦、各行政区の中心都市に納められる。北道であれば北府であり、西州であれば古都。そして、あの開拓村ならば当然、帝都といった風に。
開拓村ではない農村で生産されたものも同様だ。ただし、この場合は生産者から行政が直接買い取る形になる。
こうして集められた農産物は必要分(そのほとんどが軍への納入分だった)を差し引かれ、そこから配給分が計算され、問屋へと卸されて国民へ届けられる。米や麦など、配給品目録に記載されているものは全てこの順序を辿らねばならず、自由取引は制限されていた。
開拓村で働く開拓民たちが、自らの生産した食料をほとんど口にすることができないのにはこういった理由があった。
現在の帝国の、細々とした食料生産量のみで国民を飢えさせないためにはそれも仕方のない処理なのかもしれないが、戦時中、神州総要塞化と謳い全国民を戦争へ駆り立てて、食料の供給を外地へ丸投げしていたことの弊害ともいえる。
もっとも。それで帝国臣民が飢えているかと言えば、そうでもない。
戦争はそれだけの需要を奪っていった。
そして、第1151開拓村はその決まりを真っ向から無視していると言って良かった。
それは帝国政府が計画する食糧事情改善の、その根本を担う開拓村による最悪の裏切りとも言えるかもしれない。
だが、ソウジはそのことを理解しつつも、報告書の内容を出来る限りあの開拓村を擁護する言葉で埋めていた。
要約すれば、多少、法律は違反しているかもしれないが成果を出しているし、必要分の食料は納入しているのだから大目に見てはどうか、といった内容だった。
もちろん、それが許されるとはソウジも思っていない。
しかし、戦時中の陸軍には少しばかり軍規を無視しても、戦果さえ挙げれば褒章が得られるという前例があった。それと同じことじゃないかと、彼は開き直っていた。
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