第五十話
御代ソウジと木花サクヤが街を去ったことを、織館ヒスイはヤトの部下である兵から聞かされた。
「そうですか。それで、七倉大尉は?」
「ここに居りますよ」
報告やってきた兵に尋ねると、扉の外から本人の声が返ってきた。相変わらず、書類だらけの部屋を呆れたように見回した七倉ヤトの背後には、駒塚が静々と従っている。
「いやはや。まさか、初手から大佐さんを寄こしてくるとは。帝都のご老人がたは、よほど我々のことを鬱陶しく思っているようですね」
言いながら、彼は懐から煙草を取り出して咥えた。すかさず駒塚が燐寸を擦った。
「煙草は身体に毒ですよ」
慣れた仕草で煙草を吹かしだしたヤトへ、ヒスイは咎めるように言った。
「なに。鉛玉の一発に比べれば、大したものでもないでしょう」
それに締まりのない笑みで応じた彼へ、ヒスイは諦めたような仕草で息を吐いた。
「木花少佐に会ったのですね」
そう尋ねた彼女へ、ヤトは楽しそうな顔で頷いた。
「ええ。噂に違わず、聡明なお方でしたよ。まぁ、少しばかりそれ以外の事には鈍感なようですが……恐らく、我々の手の内は全て看破されたと考えて良いでしょうね」
彼は紫煙の立ち昇る煙草を咥えたまま、くっくっと喉を震わせる。
「それは、どこまで?」
ヒスイは真剣な顔で聞いた。
「はてさて。どこまでやら……」
ヤトははぐらかすように肩を竦めて答えた。大きく煙を吐き出して、今度は彼がヒスイに聞き返す。
「それよりも織館さん。あの中将閣下に、いや、帝国議会に正面きって喧嘩を売ったそうじゃないですか」
彼の言葉を聞いて、何故そのことをと口にしかけたヒスイだが、すぐに口を閉じた。ヤトの背後に並ぶ兵たちの無表情に気が付いたからだった。
なるほど。貴方の監視の目は、私も例外ではないのですね。
彼女は誰にも気づかれないほど小さく、頷くと言った。
「ええ。議会が言うところの、“大人からの庇護”というものをこの街は必要としていないと、はっきり申し上げたつもりです」
「それは、それは。短絡的なご老人がたのいったい何人が、我々を討伐せよと言い出すものか」
ヤトは煙草を揺らしながら、嬉しそうに喉の奥を震わせた。まるで、そうなることこそを望んでいるような彼の口振りに、流石のヒスイも怒った声を出す。
「大尉、分かっていると思いますが」
「ええ。もちろん。すべては平和的に解決するのですよね。けれど、それは貴女の願望であって、議会の思惑ではない。計画を早めることにしましょう。まずは、用水路の完成を急がねば」
彼女の言葉を遮って、ヤトは冗談のように言った。終始、楽しそうな様子の彼に、ヒスイは疑念に満ちた目を向ける。
「雨季までに完成させればよいと言っていませんでしたか?」
「なにも空から降ってくるのが雨粒だけとは限りませんので」
「大尉……」
いったい、どこまで本気なのかと問うように声を絞り出したヒスイを無視して、七倉ヤトは本部を出て行った。
部屋に一人残されたヒスイは、やがて大きく息を吐いた。
七倉ヤトとその部下たちが、大陸でどのような経験をしてきたのか。彼女は知らない。
ただ、それはきっと自分では想像もつかぬほど過酷な日々だったのだろうとは思う。
だと言うのに。ヒスイには時々、彼らがその日々に帰りたがっているように思えてならなかった。馬鹿げた妄想なのかもしれない。
けれど、先ほどのような七倉ヤトの言動を見るたびに、言いようもない不安が彼女を襲うのだった。
彼と組んだのは、間違いだったのかしら。
そう自問しつつ、彼女は机の引き出しを一つ開けると、その底板を外した。中には何通もの書簡が収められている。彼女の父、織館キンセイと古くから付き合いのあった、各地の有力者たちとやり取りしたものだった。
恐らく、今回の視察によって自分は帝都に召喚されるだろう。
この手紙の相手は、その時に彼女の味方をしてくれるはずの者たちだ。そしてこの街は、未成年者には大人の庇護が必要であるとする議会の主張を覆すための証拠となるはず。
はず、はずばかりの、確信できるものなど一つもない淡い期待ばかりだが、ヒスイに用意できたのはこれだけだった。
そして、全てがもしもうまく行かなかったならば。
その時こそ、分かるのだろう。七倉ヤトと手を組んだことが正しかったのか、誤りだったのかが。




